第2話

 それ以来、その女性を見てはいない。


 どうやら地縛霊なんかではなく、住み処を変えてくれる移動式の幽霊さんだったようで、どうやらすぐにこの部屋からいなくなってくれたのはありがたかった。のだけれど、残念ながらその怖かった記憶と感情だけはまだしっかりと私の頭に残っている。これは当分夢に見るななんて思いながら毎晩眠ったものだった。



 ――これが、私の生まれて初めて遭遇した心霊現象だった。

 

 結局彼女の夢を見ることはなかったのでそこは幸運だったのだが、しかし、その分、私は他の心霊体験に会うことが増えた。


 ペースとしては二、三週間ごとに一回。時間は決まって夕方から夜の時間帯。


 私が起き出す時間帯だ。


 毎回毎回、ご丁寧に違う人で、バリエーションに富んではいたのだが、しかし別に種類が豊富だからといって、それがなんだという話である。普通に迷惑だった。

 

 

 とまあそんな感じで、ここここしばらくは毎回のように彼女らの遭遇に苦しんでいた私だったのだが、しかし、そんな状況にもなんとなく慣れそうな昨今、私はまた遭遇したのである。


 そういえば、男性は初めてだった気がする。



「ん? 見えているかい? 俺のこと」


 そんな風に言いながらフリフリと手を振ってくるおっさん。


 彼は部屋の真ん中であぐらをかいている。


 ここまでしっかり見えたのは初めてだったし、なんならあっちからコミュニケーションをとってくるスタイルなのも驚いた。


 へぇ、幽霊って喋れるんだ――なんて冷静に思っている自分がいる。


 確かに怪しさ満点ではあったのだが、相手はすでに死んでいる、まさかいきなり襲ってくることもないだろうと、私は、こくんと小さく首肯した。

 


「おおっ、それは良かったぜ」

 

 彼はニヤニヤ笑いながら、こちらの様子を伺うような視線を送った。



「仕事が忙しくてよ。俺が直々に人と喋るなんてことはなかなかなかったからなぁ。人と話すことができて、んで、言葉が——日本語が通じただけでもう結構な感動もんだわ」


「…………」


「おっと、そんなに警戒しなくてもいいぜ。……ってそりゃ土台無理な話か。いきなり自分の部屋に見知らぬこんなおっさんがいて警戒しなかったら、一体お嬢ちゃんのどの辺りが女子高生なんだってなっちまうもんな。ごめんごめん。気遣いが足りなかったぜ。死に別れた女房にもよくそんなこと言われたっけな」


「…………」


「いやあ、よ。俺、今、多分四六歳なんだけどよ。ちょうどあんたぐらいの娘がいてな。それがまたムカつくぐらいに生意気なんだ。『お父さんの洗濯物は一緒は嫌!』なんてフィクションだけの世界の話だと思ってたぜ。まさか自分が言われるなんて考えてもみなかったらなぁ。普通にショック受けちまった。というか、それどころかあいつ、俺の顔見て食事すらしたくないって飯の時間ずらすまでするんだぜ? これって流石にひどくないかね。俺は生ゴミかなにかってんだよ。——で、それでいて欲しいものとか行きたい場所があるとくれば、あっさりプライドもへったくれもなく媚びてくるもんだから始末に負えねえ。全く誰に似たんだか……」


「…………」


「まあ、そんな娘でもやっぱり可愛いんだけどな。顔は俺に似て美人だったし、スタイルも親の俺が少し興奮しちまうぐらいに成長したからな。あれは世界一の女だぜ全く。今頃モテモテだろうから変な男が寄り付かないか、お父ちゃん心配だ。……おっと、とはいえ嬢ちゃんが嬢ちゃんが美人じゃないっていってるんじゃないんだぜ? ただ俺の娘が完璧で可愛くてちょっと美しすぎるってだけなんだから、まあそんなに気を落とすなって。その……なんだ? いい感じの乱れ具合のその髪も、ヨレヨレにくたったそのシャツも、多分……醤油か何かのシミがついているそのルームパンツも、なかなかどうして、味があって俺はいいと思うぜ。うん」


「…………」


 話長ぇよ、このおっさん。


 久しぶりに話せて嬉しいからといっても限度があるだろう。


 きっともともと人と話すのが心の底から大好きな、私みたいななめくじ系女子とは対極の人間なんだろうけれど、それにしても口が回りすぎである。


 私の目がだんだん死んでいってるのぐらい察してくれよ。空気ぐらい読んでくれよ。いや、幽霊に対して無茶な願いかもしれないけれど。


 あと服はほっとけ。


 なんで私幽霊にまで励まされなくちゃなんないんだよ。泣くぞこら。

 

「……え、えっと」


「ん? どうした?」


 私は精神的な、かつ物理的な距離を限界まで開くように離れながら、言葉を出す。


「なんで……喋れるんですか?」


「なんで、って言われてもなぁ。物心つく前からそんなことに疑問を持ったこともなかったし、もちろん今だって疑問に思ってないし。よくわからんよ。――逆にお嬢ちゃんはなんで喋れるの?」


「……え? 私ですか?」


「ここにお嬢ちゃん以外の誰かがいるなら、そいつでもいいけどね。そうじゃないならお嬢ちゃんに俺は聞いてみたいな」


 そんな風に、突然落ち着き払った表情になった彼は細目になってこちらの答えをゆっくりとまっているようだった。


「え、えっと……私だってそんな、なんで自分が喋れるのか、なんて考えたこともなかったですけど……えっと、えと…………く、言いたいことが、あるから? とか?」


「ほほう。なるほど」


「……ダメですかね?」


「いやいいと思うよ。『言いたいことがあるから喋れる』うん。いい答えだ」


 ウンウンとうなづく彼に少し安堵をする。


「じゃあ、俺もそれで行こうかな」


「……?」


「自分が喋れる理由。これから『なんであなたは喋れるの?』って聞かれたら『言いたいことがあるから、俺は喋る』って言うことにするわ。ありがとうな。貴重な意見だった」


 何が? と思った私の疑問にすぐさまの答えを用意してくれたみたいだったけれど、コミュニケーション能力がミジンコぐらいに小さい私は、その彼の発言が一発では理解できず、わからない行を何度も読み直す小説のように、彼の言葉を頭で復唱していた。


 結局よくわからなかった。

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