『死にたい人』に向けた1万字あまりの小説
西井ゆん
第1話
私が住んでいるこのアパートにはどうやら幽霊が出るらしかった。
出るらしい――という多少濁った表現になるのは、私自身、全く霊感などなく過ごしてきた人生であったというのがある。
私が体験した心霊体験なんて、友人から見せてもらった合成写真寄りの心霊写真か、いつも通っているトイレまでの廊下がなんとなく薄暗くて怖かった幼少期、はたまたシャンプーのときに後ろに誰かいるような気配にすらなっていない何か――程度のもので、ほとんどそういったものとは無縁の人生を送ってきた。
今まで、見たことも、聞いたことも、もちろん触れたこともない。
ほとんどすら関わったことがなかった。
だから、怨霊や幽霊や呪いなどという非科学の代表選手のような存在を、まさか科学が支配した世界に十七年在籍している身として、私は当然、信じてなどいなかった。
信じているわけがなかった。
確かにそこまで科学に絶対的な信頼を置いているわけではなかったし、すべての物事を合理的に考えてしまうことには否定的だし、まして私自身が物理学の見地から批判を講じることができるわけではないのだけれど、しかしそれでも。
一応私の基本スタンスとして、『自分の目で見たこと以外は信じない』なんていうものを持っていたりする。
これは生まれつきの性格というか、育ってきた環境のせいかは知らないが、そうなっている。そういう風に私はできているのだ。
というわけで、起床である。
どことなく体が重い。最近は毎日こんな朝を迎えている気がする……いや、もう夜か。
窓を見る。明らかに外は、太陽のそれではない灯で照らされていた。
私は、そんな昼夜逆転生活を送っていることへの自嘲からか「……ふふっ」と最後に不気味に笑い、ニヤついて、そしてそんな自分の気持ち悪さに相当引いた。
私がここに引きこもってから、いったい何日が過ぎたのだろう。
なんだか……最近はより一層、寝て起きてだけを繰り返している気がする。
今日のように自分の意識をここまで覚醒できたことがとても久々だ。
こんな時間に起床したことからも推測できる通り、最近は感覚などがとにかくおかしいのが私である。
一体、何日間、何ヶ月、外を見ていないのだろう。
朝日を浴びていないのだろう。
外を見ていないのだろう。
私はふと、そんなことを思った。
「…………?」
いきなり。
ふわりと風が待ってピンク色のものが目の前をよぎった。
自然と、目線がそちらを向く。
そこにあったのは趣味の良い薄ピンク色のカーテンで、風を受けた影響からゆらゆらと揺らめいていた。
光が時々漏れ出るようにして、部屋全体を淡く薄く照らすそのコントラストが綺麗だ。
――あれ。
違和感から生じた思考。
カーテンの柄って変えたっけ。
そんな、なんてことない思考。
思いながら、考えながら、しかし、唐突に芽生えた『綺麗』という感情に懐かしさを感じる。
そして私はそれに手を伸ばそうとした。
「よう」
――ビクンッ
私は突然聞こえたその声の方向に顔を向けた。
そこには……おっさんがいた。
多分……四十代そこそこ。
タバコを片手に持って。
浮浪者のような格好をしている。
なかなかに汚らしい。
そんなおっさん。
まさか、不法侵入……というわけではあるまい。
この部屋は二重鍵だし、はオートロックだし、管理人さんも屈強な男二人体制で朝昼交代でほとんど侵入者がいないかチェックししている。
カメラの数も十分で私が確認した限り、一階だけでも十台はあった。
このマンションは、ちょっとした監獄よりも厳重だ。
その安全性を期待して、私はここに住むことを決めたほどにはセキュリティは万全なのである。
こんな見るからに怪しげなおっさんを易々と、それもうら若き乙女の家に侵入を許すわけがない。
それに……だ。私は家から少なくとも一週間は出ていない。
つまり鍵にすら触っていない。
だから、その理由でも勝手に家に入ってこれる訳などないはずだった。
「まあまあ、驚くのはわかるぜ。俺もいきなり自分の住んでいる部屋にこんな汚ねぇおっさんが来たら驚くって」
どうやら自他共に認めるらしい汚いおっさんはそう言うと、いきなり笑いだした。
不気味で。
低い声で。
しかしなんだか楽しそうで。
目の前で確実に、物体として、存在して、そして笑っている。
そう。
確かに私は自分の目で見たこと以外は認めないことを胸に抱いて生きてきた人間ではあるけれど、しかし、実際に目の前で見たからといって目の前の『これ』が、本当に幽霊であるとするのには、結構な抵抗があった。
私がこんな風にしっかりと幽霊を見るようになったのはこれが初めてではない。
少なくとも四回。
私はこんな心霊体験に遭遇している。
一人目は若い女性だった。
顔はよく見ていないけれど——うん、確かにあの長い髪は、きっと女性なはずだ。
なんとなく。
白いワンピースが可愛いな、なんて感想を持ったことも覚えている。
その時の状況は基本的に今回と同じだった。
ただそこにいた。それだけである。
起きたら——いたのだ。
なんの変哲もなく、ただそこにもともとあったかのように、目の前に立っていたのだ。
私はこの部屋の押し入れをベットにしているのだけれど(ドラえもんスタイルと呼んでいる)襖を開けたら突然、彼女がいたのである。
いきなり——人がいたのである。
悲鳴しかなかった。
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