<HE-Ⅲ>

 Aの達成感を探す為に電車に乗り、知らない街の駅のプラットホームで僕はBときみを待っていた、という申告は脚色されており、実際はAに対する期待を喪失していたしプラットホームの床几で待っていたのはきみだった。


「お疲れ様です。ユクエさんは?」

 手筈通りではなく、彼女が警察と霊柩車を呼んだらしい。エイセイさんはどうして彼女にパパの最期を看取らせようとしたんだ。

「私の本望でなく、彼女の希望を尊重しただけです」


 きみは嘘をついた。彼女は本来、Aに立ち会う意志が無かったのに。だから彼女の希望は紛れもないきみの自己愛に該当していて、彼女の意志はきみと直結していて、下手すれば僕の自我もきみと共有されている、とは言えなかった。きみの眼差しは物差しで引かれた直線よりも真っ直ぐだったから。


「ユクエさんのパパを殺したのはホオリくんでなく、私です。私がホオリくんを演じていた分裂病患者でして、彼女に幻滅して裏切られた憎しみが<死の練習>を導いた顛末となった……とさせていただけますでしょうか」


 小説内=存在が作家にプロットの変更を依頼するのはどうかと思う。汗をかき乍ら僕を俯瞰しているは屹度、二倍に増えた僕等の何を文字に書き起こし、何を行間に委ねるのか迷っているだろう。


「五分後、零番線に快速電車が通過します。私達の精神的な娘達に言いそびれたことはありましたでしょうか」


 あったとしても、僕は二人に本当のことは言わない。真実を告げることは、二人の存在地平を取り去ってしまうことと同義だから。

 然れども、小説内=存在の少女兼僕等の娘二人は賢いが故に、世界と自分の区別がついた頃から既に適切な顧慮的気遣いの方途を解り得ていた。僕が頑なに少女達へ生きた血を注ぎ続けていても、太陽の熱で忽ち沸騰させた血液は迷妄の霧へと昇華していった。少女達の肉体は新鮮さを喪失するはずが、僕等の能力を超越した逞しさを発揮しては自我に見せかけた他我で屍界へと邁進したのだ。


「ルミナさんを娼婦にさせたのはホオリさんでしたっけ」

 だと思う。

「ユクエさんがホオリさんの好きだった人に<設定>したのも、ホオリさんでしたっけ」

 確証は無いが、推測は可能だ。

「何故、私への愛をユクエさんに与え、その愛をルミナさんに引き継がせたのでしょうか」


 小説内=存在はアンドロイドではなかった、という結論が凡てだ。もし僕がルミナさんと結ばれ、きみがユクエさんとレズビアンの関係を成立させていたならば、<死の練習>には至らなかった。<死の練習>はきみや僕の意志ではなく、彼女達の奸計だったのだ!

 だが、直ぐに矛と盾が激突する音が聞こえた。少女達を生み出したのは僕等だから、彼女達の自由意志は自由でなく僕等の自作自演なのだ。前々から理会していることなのに、何遍も僕は無知を演じている。頓悟した振りをして全知全能の神になりすましているのだ。

 僕は何かに迷い、やがて何かを特定することに迷い、迷っている対象について何故特定しなければいけないのかに迷い、笑い乍ら吐いた。Aを果たしたことに由る精神異常などではなく、Aを果たしたからこそ無事に覚知した因果関係の鎖が、飼い犬のように僕の頸に巻かれている。この鎖を辿れば確実にの手よりドックフードをもらえるようになるが、僕が食べたいものは悲劇即喜劇が齎す爆発的な快楽だった。


 Bを決行する。エイセイさん、飛ぼう。

「待ってください。私なりの遺書をメモしたくって」


 何を言っているんだ。


 口元に手を当てて驚倒した(ように見せかけている)きみは、例によって所持していたアイスクリームの包み紙を丸めてゴミ箱へ投げ入れた。肝腎のアイスクリームとコーンは剥き出しになったまま、床几の脇に置かれていた手提げ鞄にしまわれていた。


 線路が揺れ出し、右方より汽笛が空襲警報のように長く鳴り亙る。僕等二人は初めて手を繋ぎ、プラットホームの舞台から羽搏いたが翼の無い架空存在は地面に足を附ける前に爆発に類似した衝撃を受けて四肢が彼方此方に飛んでいくのを第三者の視点から見ていたのは勘違いであり、実際には半壊した頭部に辛うじて附随した目玉が捉えた僕自身の視点だった、と断定できるかどうか解らないまま世界は綴じた。


 <世界を鎖したのも僕だった。これで良かったのだ。僕達は複雑に生き過ぎた。抑々、こんなにも大げさなグランドエピローグを公開する必要性は無かったのに、そうせざるを得ない断崖の状況へ僕達自身が追込んでいたのだ。そして恐ろしいことに、小説内=存在の四人を全滅させても僕ときみが虚構へ帰化する可能性はゼロではない。イミテーションに再び逃げることは至極自然であって、きみが少女達の影を追い出しても止めはしないだろう、と虚勢を張るのは僕の悪い癖だ。本当はとても不安なのだ。現実のきみが現実の僕と目を合わせてくれない辛苦をまた十年、二十年と味わい、年老いた身体が時間の非可逆性を呪うだろう、と自身の将来へ先駆する気になっていた僕の思惟は確かではない。僕ときみの存在性も、支離滅裂な人生を歩んだ少女達の努力も、AとBの経験も、共同執筆した言語世界も、何もかも保証され得ない虚ろな舞台装置は崩壊し、残存したのは揺るぎない真実へのだった>


 僕はきみを愛している。

 私はあなたを愛している。


 この一言をきみに、あなたに、此処ではない彼処で伝える為に、世界は極限迄屈折されたラブロマンスの嵐に巻き込まれた。万人がこの物語に附随する正式な愛を承諾せずに読み捨てても、協同愛を頑迷に主張し続ける者が二人いれば、小説内=存在は屹度笑ってくれるはずだった。

                                (了)

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遺書 春里 亮介 @harusatoryosuke

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