<HY-Ⅲ>

 雨傘を差して交叉点から次の交叉点へベルトコンベヤーで運ばれているかのように等速で歩く僕は雨と混じったコールタールの匂いを嗅いで心拍数を減少させていた。敢えて目的地の一駅手前で電車を降りて半時間の散歩を自らに強制させたのは冷静になるのが目的だった。人間の死を看取する(と勝手に想像している)第七感は研ぎ澄まされてすれ違う歩行者の死相を見ずとも判るようになった。


 目的地が廃墟寸前の外装をしているラブホテルだったのはの内界を拝見しても判明することだ。コンクリートが剥き出しになっている壁の彼方此方に罅が入っており看板のネオンは識別不能な建物名を光らせていた。其処の入口でいずれは女神だと評されるようになる少女と落ち合う予定であったが居たのは想定から外れた少女だった。


「Aの決行日は今日だとエイセイさんから御聞きしましたわ」

 きみはユクエさんを意図的に舞台へ誘導していた。その意図を読めたのは彼女の死相と僕の第七感が饗応したからだった。依って僕は異論を胸の裡へしまっておいて彼女と共に建物内へ入って行った。

「ルミナさんから伝言がありましたの。三〇九号室でお願い、とのことですわ」

 無言で頷いた僕はエレベーターに乗り凡ての階のボタンを押して閉めた。無意味なことではなく偶々同乗してきた一組の男女に対する嫌がらせだった。糞に塗れたような茶色の髪が特徴の男に肩を掴まれたが鼻と口の中間にある急所を二三発殴ると男は前歯を吹き飛ばし乍ら斃れて大人しくなった。今度は女の方が奇声をあげて威嚇してきたので鞄に入れていた麻縄で黙らせた。女は白目を剥いて腐乱臭のする唾液を垂らして僕等を不快にさせたので仕方なく女の頸から縄を解いて三階で降りた。

「エレベーター内でのマナーを守らない猿達には辟易しますわね」

 僕を忖度してくれるということは彼女の癲狂性が示唆されていると見做して良いだろう。けだし<死の練習>がより希求されている問題に直面しており僕は早急に彼女のパパを始末せねばならない。早足で回廊を通っては突き当たりにある三〇九号室のドアノブを烈しく回した。鍵がかかっている。

「これもルミナさんからの預かり物です」

 彼女より頂戴したカードキーを前蹴りでセンサーに叩き附けて開放させた。何やら聞いたことのない音階のアラームが鳴り始めたが物損事故の損害賠償はパパに請求させておけばいい。パパにはこれから高額の死亡慰謝料が入るのだから金には困らないはずだ。


 アラームが機械的故障を通知していないことが判明したのはパパが寝ているシングルベッドの傍迄来た時だった。ナイトテーブルに布置されていたデジタル時計が悲鳴をあげていたので電池を抜いて永眠させてやった。起床を促す音にしては可也気色が悪いおたまじゃくしであった。

「起きる気配がありませんわね。ルミナさんに睡眠薬を盛られたからでしょうか」

 近くにあったゴミ箱を見下ろすとカプセルと男性器の抜け殻が其処に入っていた。ルミナさんが任務を果たした跡を確認した僕は胸を撫で下ろし長い髪とカサついた皮膚が付着している麻縄で輪を作る。彼女に手伝って欲しいことを目顔で促す。

 本来ならばハンガーをかける機能を有する壁の出っ張りに麻縄の先端同士を結わえてぶら下げる。その間に彼女は自分の体重より一・五倍ほど重い男の肉体を持ち上げようとしたが男もろともベッドの外に放擲されるように転倒した。

「今のはわたくしが非力だから転んだのでしょうか」

 恰ももう一つの解釈が暗々理に潜んでいるような口振りで彼女は言ったが引き返せない段階まで到達している。彼女にはソファーに座ってカーテンの隙間から雨に濡れる昼下がりの街を眺めていればいいと命令しておき僕がパパの両肩を抱えた。麻縄の処まで持って行かせて屍界と連結している輪に頭部を潜らせた。僕より数センチほど身長が高いパパは縊れた状態だと床に足がついてしまっているが問題は無い。僕が重力に加担すればいいだけの話なのでパパの腰にしがみ附いて底無き底へ邁進するように力をかけた。

「パパが起きたわ」

 彼女に警告されてから顔を上げると両手をばたつかせて噛み切ろうとしている舌から血を流して必死にもがくパパがトマト色の顔をしていた。下等生物特有の呻き声で抵抗の意志を見せているものの次第に身体の揺れは小さくなっていく。パパの膝が僕の頬骨や顎に当たった回数だけ腹癒せに鼻先にある股間を握り潰したのが功を奏し、数分もすればパパは棒状の骨肉に変わり果てた。最期に高圧電流が走ったかのような鋭い痙攣を見せて死亡証明書代わりの糞尿を床に提出した。

「死にましたの」

 あっけないAだったという感想が彼女の声音から看取され得る。僕も同感でありも<死の練習>など所詮はこの程度だったかと失望しているであろう。

 

 外はまだ雨が降っていることを知ったのは彼女の視線を追ったからだった。彼女は興味をパパの亡骸から離して自分の代わりに泣いてくれた天蓋に親しみを覚えていた。

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