<EY-Ⅳ>

 きみと彼女にとっての舞台は、冬の季節を望んでいた。薄く曇る天蓋の重圧に依り雪片がボロボロと落ち、下界を灰色に染めさせる。


「ねえ、エイセイさん」

 ラブスプレマティスト特有の熱烈な艶美は顕在であったが、それは僕の主観でなく万人の眼が捉えた客観的事実を基準にした感想であり、僕の卑見は何も言っていない。

 対蹠的に、きみの双眸は雪の結晶のような形をして冷徹に相手を見つめており、

「何でしょうか。あなたのパパを殺したことを今更怒っているのですか」


 躊躇いなく……僕等の負い目(だと偽装していること)を解放させた。せめて、Aという隠語を使って欲しかったのだが。


「とんでもありませんわ。Aは(彼女の方はアルファベットの代理ルールに従っているらしい)わたくしに有益な結果へと成り得ましたわ。それで……Bの可否についてどうされますの」

 きみは断言を避け、膝をついて周囲の雪を集めて雪だるまを作った。頭でっかちの冷たい人形はほどなくして胴体と分離し、二つの珠になった。

「これこそ私が望む悲劇でありますが、どういうことか生へしがみ附くことを私の身体は覚えてしまいました。Bの為にAを遂行した(事実の隠蔽を想起したきみはアルファベットで言い直した)企図は四季の変化と共に失せてしまったのでしょうか」

「エイセイさんは迷われているのですね」

 彼女の頸に巻かれていたカシミアのマフラーは解かれ、ブレザーの表面を蔽う雪化粧を払い、マフラーはきみの両手首を手錠のように固定した。

「どういうつもりですか、ユクエさん」

「ルミナさんは断鎖をされました。なのでわたくしは代わりに何かを結び止めようかと思いまして」

 きみは釈然としないようだが、僕は大いに理会している。彼女とルミナさんの相互関係は徹底されていた。


 矢張り、僕ときみの理想郷は少なからず類似していたに違いない。交通事故で自らの過失割合を百パーセントにさせるために加害者側か飲酒をするように、きみは常に自己を貶めて蔑んでいた。その行動指針は僕のベクトルと同一の方角を向いているが故に、写し鏡のような無限(夢幻でも構わない)の並行世界で同速に歩んでいたのだ。


 僕はきみの妹に叱咤された。肉親側の意見に於いて、きみの精神障害の起因は僕の不届きになっているらしい。

「出来の悪い妹で申し訳ございません。とんだ勘違いでありますので、お気になさらず」

 と、ことで、きみからこんな言葉をもらう可能性も考えられたが、実際(畢竟、こんな出鱈目な舞台構造で何が実際で何が嘘に成り得るのだろう。僕ときみの四~五次元的座標位置が不鮮明になっている以上、真偽の区劃を定められる訳が無いのに、僕等は一つの真実を無前提で確信していた)には彼女の鼻歌で間隙を補填させた。御機嫌ですね、ときみが言うと彼女は白のカーペットの上にローファーの爪先で模様を描き始めた。暫く待つと、テニスコート半面ほどの広さを存分に使って書かれた模様は何かの絵であることが判った。


「わたくしのパパの遺影……いや、わたくしの自画像ですわ」

 彼女が言い直した意味は、此処では深く穿鑿させない。まだ、僕等は<死の練習>をモザイク処理する必要があるものの、無修正での公開はそう遠くない。失われた時が求められるのは彼女のエンディングに立ち会ってからが条件となる、と勝手に決定したのは僕であり、きみの覚悟であった。

「いよいよ、その時が今なのですね」

 白い息で両手を暖め、きみは屋上の角へ後退した。彼女の死の匂いを嗅ぎ取ったことに由る恐怖と不安がそうさせたのだが、きみは彼女の終焉に同伴する義務がある。

「ホオリさんには……御世話になりましたと宜しく御伝え下さいませ」

 彼女の白皙の頬は血の交流を拒否しており、一段上がったコンクリートの縁に起立しては天国に最も近い距離からきみを眺めていた。

「無難な遺言だけで大丈夫でしょうか。本音を与えてくださってもいいのですよ」

「人と人は、表象的な言語以外でも通じ合う方途を有していますわ。彼は屹度……この瞬間を異なる地平より見守っており、わたくしの心理の風を正確に読み取ってくれているはずですの」

 的を射た彼女の持論は僕の許までこうして届いており、縁に腰掛けている僕と目線を合わせていた。

「其処にホオリくんがいるのですか? 私には見えない彼がどうして」

「今は解り得ないことでも、時の川の流れを俟てば必ず答えは出ます。高校を卒業して……異なる人生の分岐路を選んでも……やがて一点のジャンクションに到達することでしょう」

「私は今知りたいのです。未来のホオリくんは未来の私にどうやって接し、壊れた関係を修復していくのかを……」

 霊妙不可思議な表象を疑わないきみは、僕の多重的存在性の理由を暴こうとしたが、即座に訪れた彼女の飛び降りで思考回路を止められた。

「わたくしの<死の練習>は達成しましたわ。後は御二人の御判断に任せ……わたくしはルミナさんの背中を追いますの」


 彼女の身体が宙に浮いた一瞬にしては長い台詞だったが、僕の耳は確かにそう聞き取れた。ミュートにされた落下音を無理矢理脳内に響かせたきみは、縁をつたって歩いて来た。足を滑らせて地上の地面に叩き附けられたいと思っていればいるほど、きみの足指はぐっと力を入れて重心を整えていた。


「ホオリくんの魂が此処にあります」

 左を向けば、寒そうに露出している彼女の両膝が至近距離にある。


「僕の魂はどんな色をしている」

「雪と同化しそうな彩色です」

 実体の階層を隔てている相手に対し奇蹟的に言葉が通じたのは奇蹟でなく、当然なる要因があったからだ。


「もう、止めにしよう」

「何をですか」

「きみは僕を見えている。きみのいる時間軸は……僕と共有されているんだ」

「私への反骨精神でしょうか」

 僕はルミナさんの死を許し、きみはユクエさんとの心中を拒んだ。その理由は一と一の加法よりも解り易く明確なのだ。

「初めから文芸部は僕等二人だけだった。ルミナさんとユクエさんは――」


「小説内=存在の少女でした」


 殊の外、きみが率先して言ってくれた。相当抵抗があったはずなのに。


 きみは縁から降りた先を、其方側ではなく此方側を選んでくれた。しかるに、僕も死ぬ理由を失くしてしまったので、雪の溶けた屋上の地面に足をつけた。季節は反転し、長い夏休みが再始動する――。

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