<HY-Ⅳ>

 <死の練習>を終えた直後のこと、と時間を指定しようと思いましたが、<死の練習>に終わりはないとおっしゃったのはあなたでしたので、《真偽の彼岸Ⅳ》の推敲を屋上で行っているあなたの周囲には具体的な時の流れが発生していないものとします。あなたは様々な屋上で露顕する機会が増えているため、学校なのか百貨店なのか病院なのか特定する情報が不足しているでしょう。


「現実的には留置場が自然な舞台かしらん」

 あなたの前に颯爽と登場した彼女の身体は日傘で守られています。あなたは干されているシーツの影にすっぽりと入り込んでいました。これで場所は特定されました。

「太陽の眼から逃れられる屋内が良いけど、四方を壁で囲む空間は落ち着かない。窓を突き破って飛び下りてしまいそうで」

「屋上にいる方が、より飛び降り易いではありませんか」

 図星なことをあなたは鹿爪らしい顔で流しました。

「文芸部最後の作品になってしまいましたわね」

「いや、正確にはユクエさんとエイセイさん二人の作品だ。僕とルミナさんは……書かなかった。書いたけど書かなかったことにしたんだ」

「わたくし達への顧慮的気遣いでしょうか」

 あなたは頷く代わりに打鍵音で首肯しました。

「タイトルも《イデアガール対話篇Ⅱ》から《真偽の彼岸Ⅳ》へ変えた。何方も大した意味を持たないが、合作小説の意図に合わせるべきだと思って」


 私と彼女の実存協同を表した小説は、あなたの手で標題を書き換えられました。その件をは失念したふりをして、標題が違う理由をに問い合わせたのは流石でした。は真偽の彼岸で革命に等しい擾乱を徹底的に起こしていました。には真似できないことです。は、唖になることでしか苦境を打破できず、仮病を盾に自分の妹を使者にしました……。


「推敲が終わったら、二人にデータを渡すよ」

「いいえ、その必要はありませんの。ホオリさんがずっと、御持ちになってください」

 僕にとっては価値の無い小説だ、と歯に衣着せぬ発言はあなたらしくありません。悧巧なことに御自身の立場を解っているあなたは、改題した文芸部最後の合作小説をノートパソコンに保存し、USBメモリで大切に取って置き、最後に凡て忘れてしまうことを決意しました。

「藪から棒になんだけど、ユクエさんはルミナと実際に会ったことが無い理由において、見当はついているかい」

「本当に突然ですわね」

 ケラケラと笑う彼女は、あなたの疑問がとんでもなくズレていると感受していました。


「わたくしとルミナさんは、同じ部員よ。部室だけでなくって抑々同じクラスなので教室でも御話はしますし、メールのやり取りもしますわ」

 と、彼女は当たり前のように答えるかもしれなく、

「今更な確認ですわね。わたくしとルミナさんのを把持しているのは御二人のくせに」

 と、三角の舌をチロチロと動かしておどけるかもしれません。


 さて、はどちらのユクエさんがお好みでしょうか。前者であれば青のボタンを、後者を選ぶ場合は赤のボタンを押してください。視聴者参加型の小説も実現しそうな時代ですので、このくらいの冗談は許容範囲内でしょう。


 此処で着目すべき点として、彼女がどのような反応であってもあなたのメタフィジカルアンサーは確定していました。

「ユクエさんのパパは元気?」

「その確認には、どういう意図が含まれていますの」

 あなたからパパの件に触れるとは予想外でした。彼女は困惑した表情で夏風或いは冬風に飛ばされた病人用のシーツに包まり、あなたの目顔を窺いました。

「僕は僕が登攀してきた山道を振り返りたいだけだ。奇しくも、僕等の世界には大事なイベントの仔細が欠落している。ぽっかりと穿たれた穴のように……」

 それはホオリさんの匙加減次第ではありませんの、と反論したのは彼女あり、あなたはあなたで何もない遠くを見据えて硬直していました。彼女の子供に与えるはずだった記号を空虚に流し、一つの魂を浄化させようとしている行為にも見て取れます。


 <姉に内在されているホオリさんが語ったように、二人の過去小説には肝腎な箇所が抜けています。ユクエさんのパパは三人の手で殺されたのでしょうか。それと、ユクエさんとパパの子供はどうなったのでしょうか。どうしてこんなにも断言を避け、曖昧模糊な世界を浮行しているのでしょうか。斬新な推理小説だと思い込んでも熟読は難しく、頭も眼も非常に疲れます。まるで、偉大なる女流作家様の作風を低地平で模倣したみたいですね>

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