<HE-Ⅳ>
大学受験に失敗した僕は、この街から離れることになった。第六希望の大学しか僕の学力を認めてくれなかったのは相当な屈辱であったが、遠くで暮らした方がいいと神様に言われたことにして、浪人を諦めて地方都市での一人暮らしを決めた。
「エイセイさんは都内の私大に行くんだよな」
卒業手前になっても、文芸部の様相に変化はない。後輩の部員は皆無で、僕等の卒業と同時に文芸部は自然消滅する。
「はい。じきに御別れですね」
彼女の言葉はしめっぽくあって欲しかったが、花粉が舞う冬の空気と匹敵するくらい渇いていた。僕の記憶が非現実と混淆していなければ、彼女は部室にいても読書ばかりしていた。彼女も僕も小説は書いていなかった。<死の練習>が終わってから、創作意欲が消失していた。由って、僕等が卒業するタイミングで文芸部が消えると言ってしまったが早々に訂正させていただき、今の時点で既に文芸部は文芸部と名乗れなくなっていたのだ。
「卒業なんてそんなものさ。みんなが大人になり、文芸部で出会ったルミナさんとユクエさんもそれぞれの新しい人生を歩むことになる。後ろを振り向いても人生は進むことをみんなが知っているから、日々更新する一期一会に期待して前を向くんだ」
「私とホオリさんはそうかもしれません。でも、ルミナさんと……特にユクエさんは過去に取り残されないでしょうか。非常に心配です」
彼女の憂悶には同感できた。あの二人は特別だった。<死の練習>に関与した経緯もあり、僕もまた二人を忘れずに生きていきたい願望は無きにしも非ず。
「提案がある」
「何でしょうか」と、彼女は長机に置いていた肘を真っ直ぐに伸ばし、身体を前後に揺らしてパイプ椅子を軋ませた。
「<死の練習>の真相を内緒にすることで、僕達四人の関係性は永遠に保持される。僕達の未来を変えたのは確かに<死の練習>だけれども、これは完結させてはならない物語だ。だから僕とエイセイさんは大学を卒業して、社会人になって、この街でない都会で再会をしても……<死の練習>をはじめとした文芸部の憶出を改竄して忘れたふりをするのが理想なんだ」
「ほう、自分自身を騙すことで、ルミナさんとエイセイさんを随伴させられるのですね。ホオリさんは可能かもしれませんが、私は素直な人間ではありませんので難しいかと」
自虐を交えて、彼女は裏返しの肯定をした。自らの存在価値をゼロ未満にしてしまう最低な契約であることを知っている上で、僕に応えてくれたのだ。
詐称性精神病乃至佯狂に罹患していた僕等二人の現実は何処にもなく、互いの過去を網羅していることへの異存を有さない体質になった。
<あれ……<死の練習>が終わった後の世界で、私の姉とホオリさんが部室で話しています? 巧妙に誤魔化されたようですが、ホオリさんの話し方に何か引っ掛かりを覚えますね>
時は加速し、卒業式の日になった。現在に至るまでの顛末を先に明かすと、僕と彼女は其処から十年会うことは無かった。電話やメール等の超間接的なやり取りもされず、ましてや実体をずっとぼかしていた僕等二人が再度顔を見合わせても間接的な接触に過ぎず、僕は彼女の合わせ鏡になり損ねた妹に語り継ぐ。
「さようなら」
最後に聞いた彼女の声だった。また会う日までと附言しない処が彼女らしく、静まり返った校門で彼女と僕はN極とS極の磁石としてくっつくはずであったが、何方かが嘘をついていた為反撥して真反対の方角へ去って行った。両方が嘘であれば結果引き合ったのに、という仮定的希望は意味を為さない。
彼女と僕の関係性は九割方解説されたが、もしもこれが藁半紙で出版された一冊の本だとしたならば、どうしても閑暇を過ごす方途が思い附かなったのでその本を手に取った読者がいた場合、ここいらへんで本を山羊に食べさせてしまうであろう。僕が考えている九割は他人の一厘に満たないこともあり、良心的な読者ならば十割理会したと言ってくれるのかもしれない。でも、客観的な私見は前者が九割九分占めると断言している。割合ばかりの話で恐縮だが、兎に角納得していない顔をしているようなので時間軸を鋏で切り取ってみようと思う。そして実際に切断したのは良いのだが、余計な次元の下敷きも合わせて切ってしまったらしく、時間軸の裏側を確認すると希望と絶望の両方を演じている無生物が其処にいた。
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