<HY-Ⅱ>

 あなたは屋上という舞台に親しみを感じていました。校舎や百貨店だけでなく、病院の天井もすり抜けて、純白のシーツ達が天日干しされている場で立ち尽くしています。足元には蝉の死骸がバラバラと落ちていまして、こんな処で絶命したのは本望だったのかと数秒先には忘れてしまいそうな憐憫の念をあなたは懐いていました。

 その日の太陽はいつも通り黒く、墨汁を凝縮したような光のシャワーを下界に流していました。夕方頃に各病室へ配られるシーツは海苔色に変わっているでしょうけど、あなたの肌は穢くなることを知りません。きめ細やかなパールの輝きで皮膚を守っています。

「偶然ですわね。どういった御用でしたの」

 その日もあなたは一人ではなく、寄り添ってくれる共存在が必ず一人いらっしゃいました。彼女は偶然の二文字で納得されていますが、私の見地では必然となります。

「診察です。性病の疑いがあったので」

「あらまあ」

 驚嘆されるものの、賢い彼女は直ぐにあなたの御相手を察しました。

「当然の結果ですわよ。ルミナさん、異性と矢鱈滅多まぐわっていますから、そりゃ病気の一つくらい御持ちかしらん」

「僕も知らない訳ではなかった。だから、自覚症状が酷くなる前に医師に診てもらったんだ」

「賢明ですわね。医師は何て?」

「僕が性病だと思い込んでいた症状は、癲狂だと診断された。だから僕の右手が医師の頬を殴ったのさ。そしたら医師は憤慨して、もしも私が握手会を開くアイドルであっても同じことをするのかって言ってきたから、左手の中指を突き立てて退室した次第だった」

 僕が殴ったと直接的に言わない辺り、責任から逃れようとするあなたのしたたかさを窺えます。

「とまれ、性病じゃなくって良かったではありませんか」

「冗談じゃない。僕は賎しい性の罹患者なんだ。それを立証してもらえなければ、冥(くら)がりから放射せられるコロナに焼き殺されてしまう」

「杞憂ですわよ。ホオリさんがそれで死んでしまったら、坊間は焦げ臭い屍で埋め尽くされてしまいますわ」

 彼女に宥められても、あなたは腑に落ちない様子でした。悲劇のヒロインになりきれなかった娼婦と同じ表情をされています。

「《イデアガール対話篇Ⅱ》を読ませてもらった。あれは何だ」

「わたくしはエイセイさんの望むストーリーラインに乗っかっただけですの」

「あんな作品、書いてはならない。<遺界>其物だ」

「エイセイさんと同じことをおっしゃりますのね。《彼岸の世界》も彼女の解釈では<遺界>だった、と……」


「となれば、文芸部の活動自体が<死の練習>の一環だった?」

 あなたの思惟が加速すると、彼女は何度も頷きました。恰も、私の心情を代理してくれたかのように。

「彼女の自殺の手助けになるのであれば、わたくしはこれからも小説を書きますわ」

「ユクエさんは愛する人が死ぬことをすんなりと受け入れるんだな」

「ええ。過去のわたくしは混乱していたらしいですけど、とある覚醒分岐点を契機に決心がつきましたわ。彼女の死期とわたくしの実存を衝突させることで発生する愛の雷霆……それに撃たれたく思いますの」

 彼女の覚悟は銀色の風と共に流され、干されてあったシーツ達が一斉に空高く舞い上がりました。渡り鳥の如く旋回する布地の陰影に隠れたあなたと彼女は、久遠即一瞬の時で互いの心を無音で通わせていました。

 セーラー服の襟を翻す彼女の風貌を、あなたが躊躇っていたように私も上手く紹介できません。誰よりも美しいだとか、世界中の愛を掻き集めたような人だとか、少しでも現実じみた言語が混淆してしまえば嘘くさくなってしまうのです。

 同様に、あなたの完成された美も他の言葉で置き換え難いものです。抑々、完成された美という表現ですら間違っている気がします。だからこそ、万人にとってのシュルリアリズムが待望されているのでしょう。

 落ちてきた一枚のシーツに包まれた彼女は、下腹部をさすっております。肉壁を挟んで存在する新たな生命の予感をあなたは一拍遅れて看取しました。

「まさか」

「ええ。目出度く懐妊いたしましたわ」

「誰の子供だ」

 目を瞠るあなたは、流石に驚いたようです。ルミナさんならまだしも、彼女が媾合する姿は架空世界でも再現しかねます。

「エイセイさんだけが知っていることです」

「僕には直接教えてくれないのか」

「だって、恥ずかしいですもの」

「ふざけるな」

 手で顔を蔽う彼女の媚態の仮面は、あなたの憤怒で粉々に砕かれていきます。

「ユクエさんは処女であるべきなんだ」

「あるべき? おかしいですわね。わたくしが妊娠してはならない法律が何時制定されましたの?」

「きみが生を享ける前から施行されていたさ」

 強情を張るあなたがあなたらしくない、唯一無二の瞬間でした。空しい劣情のボルテクスに身を委ね、拠り所の無い精液を彼女に注入することは決して不可能でもなく、あなたがその気になれば彼女を押し倒して獣臭い男性器を隆起させたことでしょう。強姦即和姦の超越的倫理をあなたは会得していたはずですから。ところが現実のあなたは自らの委縮した矢印を真下に向け、自分自身が総合的な包茎的存在へなることに甘んじて、彼女の名付け親に立候補しました。

「そう言ってくれると思っていましたわ。ホオリさんのお好きなように、わたくしの子供に命名してくださいね」

 晴れやかな笑顔を存分に振りまく彼女は、愛が無くても抱かれる少女とは対蹠的に、愛があれば誰とでも寝られる女の子であることを把握していたのは一・五人でありました。一人は私で、残りの〇・五はあなたの半身です。

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