<HE-β>
一方的に続いた筆談は文量的にも時間的にも相当な尺を取り、高校生でいた僕が夜道を散歩していた頃には街が夕陽の赧に染まり、どうにもこうにも声音を発しないきみにはメールアドレスと電話番号をノートの角に残してあげて、一旦帰宅した。その翌朝にきみからメールが入り、<EY-Ⅰ>の劈頭迄が書かれた小説をデータで寄越されたので、仕方なくその続きを僕が執筆して彼女に送り返した次第である。
きみの過去をきみから拝聴することは無かった。情報源はきみではなくユクエさんとユミナさんだった。二人からきみの<異変>について知らされた過去を思い起こし乍ら、僕は彼女の物語を補填したのだ。きみは、今まで僕と直接会ったことはない。部室で言葉を交わした遠い過去も、百貨店の屋上で再会した近い過去も、僕はきみに会っていない。僕が見ているきみは、鋼のように硬く人の心のように脆い七色のプリズムで屈折された紛い物なのだ。
きみの<異変>、即ち<死の練習>は僕等三人を困らせた。率直な感想を申し上げると意味不明であったし、きみが自殺を望む徴候を感ぜられなかった為、疑問符を増やすばかりだった。僕はきみの死の動機を穿鑿する一方、ルミナさんは冗談に決まっていると嘲笑していたが猛暑日の自動販売機でホットコーヒーを選ぶほど動揺していて、ユクエさんはきみを不安視しつつ、新作に登場する小説内=存在のヒロインの死因を縊死にするか毒死にするかで検討していた。
僕ときみの関係性を解体する上では……《彼岸の世界》はさておき……文芸部の新作となる小説について抵触する必要がある。然し乍ら、その新作の題名を僕は失念していた。厳密に言えば仮題であるのだが、結局のところ新作は文芸誌に掲載されず有耶無耶にされていたのだ。
僕が忘れてしまったのも、新作が途絶したのも、無理もない話だった。で、その無理もない話を律儀なことにきみの無声なる言葉で語り継いでもらえるらしい。テキストファイルがくっついているきみのメールが僕の手許に引き寄せられた。それで漸く、未完の合作を示す仮題を蘇らせた。但し、漸くと言うほど時間は要していないなと思った。僕等の関係をバラバラにさせた十年は、指の隙間からすり抜けて流れる砂のようにあっという間だった。
メール本文、及び掲題は空白。
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