<EY-Ⅰ>

 窮屈な視座より開放されたは、久々に自分自身の追想を始めたく思います。つきましては御手数おかけしますが、が述懐しますので、が記録していただけますでしょうか。

 ……二度手間ですって? そんなことはありません。主観のバトンタッチには意味があります。今は無くとも、これから屹度有意義になるはずです。


 と、異なる時間座標、別階層の存在位置で半強制的に聞かされた物語を、実験的にが喋ることになった。釈然としないが、煩瑣的な時代も来るだろうと予期していた僕の慧眼を覚えているので、未来乃至過去改変プログラムの歯車になったつもりで書かせてもらう。

 ある夏の日(季節の附記はもう要らないだろうか?)、きみは愛する彼女と部室で会った。この愛するというのはきみが愛していることであり、彼女自身が愛しているとも見做せる。はたまた、リーベ或いはラブを彼女にくれる相手は世界其物であったりする。

 きみが僕の描写を迷っていたように、彼女の外見を言語世界へリライトすることを僕は躊躇っている。


 彼女は、僕にとって眩しい存在でした。


 恐らく、その一文の主語をきみに置換しても、きみは憮然とした態度で此処に修正液を撒き散らすだろう。日本語としてのルールに則しているが、僕等の世界性倫理的規範には確実に悖ることであり、フィルターの外されたガスマスクを装着されて毒ガスの部屋に閉じ込められても文句は言えない。


 頼りない前奏が続いておりまして恐縮です。とどのつまり僕は、皆を俯瞰する神様には向いていないのです。


 情けない告白をしても、文芸部員二人の会話が始まるトリガーが引かれる。となれば、僕は神様ではなく道端でゴロゴロ転がっている猫みたいな存在に近しい。それはそれで有難い。

「ホオリさんとルミナさん、今日は来ませんのね」

 滑らかな声でそう言ったのは、革製の通学用鞄を長机に置いた彼女。きみはいつも通り、ノートパソコンと睨み合っていた。

「文芸部には出席簿も欠席のペナルティもありませんから」

「自由闊達なコミュニティですわね」

 嫌味なようで嫌味にならないギリギリの口調で彼女は告げて、原稿用紙と万年筆を机上に布置した。アナログな執筆が好きな人だったことを懐古する。

「ユクエさんは二章部分を書いてもらえますか。断片的に作ったプロットより着手していただきたく思います」

「承知ですの。昨日にメールで送ってもらった梗概に沿ってやりますわ。それにしても四人でまた小説を共同で書けるなんて、嬉しいったらありゃしませんわねえ」

 嬉々として語る彼女は、僕等のみならず創作活動に対しても厖大たる愛を注いでいた。一般的な愛とは違って彼女のは最早固形化しつつある愛であり、多即一の概念を順守しているイデアなのだ。生クリームがふんだんに盛られた巨大なパンケーキを完食するのと同じくらい胸焼けを起こしそうな彼女の愛を僕はいつも強制的に食わせられ、綿と悪意で詰められたテディベアが嘔吐塗れになって僕の口から放下される日々を送っていた。

「そう言っていただけると、私も嬉しいです。ユクエさんが文芸部に入ってくれるなんて、最初は思いもしなかったのに」

「わたくしだって意外だって、今でも思っていますわよ。世界を放浪する詩人になるには迂回した山道を登攀しなければならない覚悟で小説を書き始めたのが、今となっては彎曲された路の端と端を引っ張って最短距離の直線にさせた気分かしらん」

 彼女は多弁であり乍ら、ちゃんと手も動かしている。二十×二十の升目には着々と文字が嵌め込められてはいるが、その半数以上はたった四種類のアルファベットで事足りていた。

「ユクエさんにとって、《彼岸の世界》はどんな作品でしたか」

「聖地ですわ」

 間断を許さずして彼女は断言した。説明不足で頭を擡げるのが正しいリアクションであるのか、或いは両手を万歳して歓喜の雄叫びをあげるべきなのか、きみは判断に迷っているであろう。だが、きみでもきみでもない真なるきみならば、逡巡は着飾ったアクションとなる。その事実を認知しているのは僕でも僕でもないうらぶれた僕である可能性が高い。

「逆にエイセイさんは、《彼岸の世界》に解説を与えるならどうされますの」

 僕も訊いたことはある。その時は答えてくれなかったが、今のきみは一つの着地点と自身の存在位置を示すN次元座標の一部を一致させていたことを理由に口を開いた。

「<遺界>と称すべきでしょう」

「<遺界>?」

 わくらばに放たれた造語に、彼女は困惑してしまった。自分の知識不足を嘆くべきか悩む彼女の良心は爾来も保持されてはいるが、自責の念は大概損することを学んで欲しいと注意する僕は傲慢だろうか。


「ユクエさん、一緒に<死の練習>をしましょうよ」


 彼女の得心を無視するきみは、我慾を原動に挙措を展開する。薄っぺらい機械の匣に閉じ込められている文章作成ソフトウェアはきみの命令に従い、<死の練習>の仔細を箇条書きで連ねた。

「すみません。わたくし、エイセイさんの言っていることが今一つ解りませんの」

 全くとは言わず今一つで濁した彼女の優しさが見え隠れしている。

「大丈夫です。これから理会するように導かれますから。さあ、<死の練習>です」

「だから何だと言うのです。エイセイさんは死にたいのですか」


「はい」


 芯の通ったきみの二音に対し、疑えばいいのか怒ればいいのか悲しめばいいのか狂えばいいのか十重二十重に重なる選択肢が彼女の心理を圧した。


 程なくして、文芸部員の新たな合作小説の一部が完成した。句読点の代わりにLOVEを組み入れているラブスプレマティズムと、厭世観の幻想を多重化させたメタフィジカリズムの混淆が約束された二人の小説は、傍から読めば喜劇に特化したエンターテインメントを獲得しているようであるが、内輪から読んだ僕は、一刻も早く自殺をしたいきみを宥める彼女の物語としか解釈できなかったのだ。《彼岸の世界》の続編と言われれば納得できなくもない……ただし同作者が執筆したとは思えない言語内世界の様相にはきみと彼女の心変わりが確りと附随していた。

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