<HY-Ⅰ>

 夜の帷が降り、星宿が暗い街を照らしている頃、あなたは河川敷で散歩をしていました。飼い犬を連れた老婦人とすれ違うあなたはランニングに適した格好をされていましたが、走りはしません。シュルリアリストでありロマンチストであるが故に、満月の見栄えが最も良くなる観測位置を求め彷徨うあなたでした。

 片頭痛を起こしたように呻く携帯をポケットから取り出し、通話ボタンをあなたが押すと、スピーカーから優しい音色が届きました。

「今晩は、ホオリさん」

 あなたの名を呼ぶだけで一つの崇高な音楽として成立させる発信者の彼女は、微かなブレスを沈黙上に置いてから続けて声を鳴らしました。

「じんわりとした恋の熱を彼方此方へ放射させ、苦しくも喘いている夏の夜を如何御過ごしでしょうか」

「季節も恋をするんだね」

 彼女の直喩を揶揄うように深掘りしたあなたの言葉には意地悪さが含蓄しておらず、年相応の純朴な好奇心が自分自身をにこやかにされています。

「ええ。折角なので四季が織り成すダブル不倫の御話をさせていただきますわ」

「是非お願いします」

 由って、彼女をストーリーテラーとした春夏秋冬の不倫劇を小一時間延々と聴くことになりました。概要としては、実質四か月半を占める欲張りな夏とその一歩後で従順について来てくれる秋の夫婦と、新年の始まりを元旦で迎える冬と新期の始まりを桜で彩る春の夫婦がそれぞれ仲睦まじく暮らしていたのですが、互いにセックスレスの不満を抱えていたため、夏が冬と、春が秋と情事を重ねる展開になってしまったようです。


 しかし、此処の時点であなたはぼんやりと満月を眺めていました。なお、適切な観測地点はまだ決まっておりません。

「待ってくれ。ユクエさんの話す春夏秋冬は擬人化されているのか」

「いいえ。概念ですの」

 却って、あなたにはピンと来る解釈でした。下手に人間の男女へ被投させてしまうよりかは、超現実の潤色で施された不倫ドラマの方がお好みなのです。気を良くしたあなたは、彼女に物語の続きを催促しました。

「性欲に飢えた四季はやがて、血を血で洗う泥沼の喧嘩を繰り広げまして、秋が夏の首を絞めて殺し、春が冬を高層ビルから突き落として死なせました。それから、春と秋の往復が未来永劫続く世界になりまして、人々は穏やかな気候の中、平和に過ごせましたとさ」

「新・日本昔話として朗読できそうなオチだけど、牽強附会なるハッピーエンドを子供達は納得してくれるだろうか」

「御安心を。この商業用創作話のターゲット層は、育児放棄を検討している三十代の既婚女性ですので」

「成程」

 納得していませんでしたが、あなたは納得したような様子を見せました。そうしないと、彼女に失礼だからだと思ったのでしょう。

「それで本題ですが」

「今まで脱線していたんだっけ」

「言うまでもないことですの。態々(わざわざ)わたくしがイオリさんに電話するからには、重大な告白が附随しているってことですわよ」

 四季の猥雑なラジオドラマをこのまま堪能しても充分に良かったのでありますが、端倪すべからざる前置きを彼女から聞いてしまいましたので、あなたは話材の転換を承認せざるを得なくなりました。

「何かあった? 海外旅行中で現地のアウトローギャングに万引きされたとか?」

「大外れ。抑々(そもそも)、パスポートを所有していないわたくしが島国から出られるとでも?」

 あなたとルミナさんの憶測は単なる偏見でありました。彼女の特徴から連想せられた富裕層という属性は正しいのかもしれませんが、安直な推理だったようです。

「失礼しました」

「よろしくって。用件はエイセイさんのことですわよ」

 彼女がどうした……とあなたは言いかけましたが、ルミナさんとの会話を想起したことで無声の風が喉からスッと流れるに留まりました。


「ホオリさん?」

 応答の無いあなたは、怪訝そうに呼ばれております。もう一度。

「ホオリさん?」


「忘れてた。今日、学校でルミナさんに遭遇した際に言われていたんだった。エイセイさんのこと」

「あら、そうだったの。ということは、ルミナさんもエイセイさんの<異変>を察知されたのかしらん」 

 あなたは目を見開き、氷柱に頭を殴られた思いをしました。その理由は二つ。いつの間に河川敷から外れて叢林に囲繞せられた公園へと赴いていたあなたは、其処のブランコから眺める満月が最も美しく見えたことに頓悟したのが一つ。三人の少女煩瑣的に絡み合っている霊妙不可思議な事実が一つ。世界内=存在しての存在意義が補強された気分を味わったのが一つ。つきましては誠に申し訳ございませんが、理由を三つに訂正させていただきます。

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