<HE-Ⅰ>

 あなたは、私にとって眩しい存在でした。

 と、劈頭で書かせてもらいましたが、手垢に塗れた喩えであることを反省しまして、あなたの価値を正当に知らしめるべく、再始動いたします。


 は、世界と世界の狭間を幾度も跨ぎ、二世紀以上は生きたような精神と実年齢に相応しい瑞々しい肉体を備え、周りからの恋慕を超現実の波動で跳ね返すことに由って、快楽と日常を確認する変人であります。

 これで大方表現出来たと思います。仮令、あなたの描写が不足していたとしても爾後、ノンフィクションの言語世界で逐一補完していきますので御安心ください。

 初めての文芸誌を制作し終えました私達は、安堵の大海を悠々と泳ぐように部室で滞在しておりました。

「エイセイさんは、《彼岸の世界》の出来具合についてどう思う?」

 廻転椅子に腰かけているあなたの質問は、キーボードの打鍵音を響かせている私に向けられたものでした。

「どう思う、というのは定量的な十段階評価で訊かれていますでしょうか」

「お好きにどうぞ」

 回答に窮し、唇を横一直線に結びました。《彼岸の世界》とはもご存じの通り、文芸誌に掲載した部員全員の合作小説であります。これにより文芸部の具体的な活動実績を得られましたので、部の存続が高校側から認められた次第です。

 ところが、《彼岸の世界》を紙媒体へ変換せられた際、看取したのは達成感ではなく懐疑でありました。私は是を文芸部のために執筆したのか、自身の創作欲求を満たすためだけに書いたのか、判らなくなってしまったのです。

「僕は書けて、とても満足している。十段階なら慧敏、五段階なら新体系の試行的体験と評すべきかな」

「何ですか、その評価方式は。ちぐはぐな定性的になっているじゃないですか」

 恐らくあなたは冗句を言表されましたが、糞真面目な私は陶器のような硬い声音で異論を唱えました。

「僕らが目標としていたこと自体、ちぐはぐだったのを忘れたのかい。矛盾を矛盾で塗抹する仮初の世界は、靄がかかった熱砂の中心に抛り投げておけば充分さ」

 あなたの見解には素直に頷けませんでした。漠然なことを漠然と言われても、解釈のしようがありません。掴みどころのないあなたとの会話に惑わせて、ノートパソコン上で紡いでいた言語世界がストップしてしまいました。

「流石は部長だね。もう新作の構想をしているのか」

「ええ」

 違います、と答えるはずが何故か否定できませんでした。現在進行中の小説は新作ではなく、《彼岸の世界》のリライトでありました。作品の意義を喪失してしまったことで、完成された小説を敢えて私の感性で崩すような作業をしているのです。 

 あなたは匕首よりも鋭く尖る目線を私に突きつけまして、過たず私の頸動脈を抉り、情意を醸し出す血液を噴き出させましたのはあなたにとっての私でありました。私にとってのあなたは初夏の黄昏時に佇む爽やかな男の子でした。


 当時も同じ季節であった、とは追想いたしまして、文芸部の部長として青春時代を送っていた私に周囲世界の描写を促しました。ノートパソコンを閉じて、墓地を放浪する幽霊のようにそろりと移動しました私は窓辺に寄りかかり、夕陽の赧光を浴びました。せんから窓は半開きになっておりまして、喧騒たる蝉の鳴き声が私をノスタルジックな思いに溺れさせます。啻に、天蓋と地上の区劃線でありますなだらか丘陵を眺め、自身のみずぼらしい二つの丘陵を撫でる私は、視線を遠方から近傍へと移し、無人のグラウンドを茫と見下ろしました。夏休みに入ってから何週間経過したのだろうとつまらない疑問を抱え乍ら、肉体的に転身しました。精神的にはもしかしたら、丘陵の彼処で取り残されているかもしれません。

 部室の中央には縦にくっつけられた二つの長机と四つの椅子があります。あなたは決まって、私の対角線上の席を好んで座っていました。どうして対面或いは真横に居てくれないのか過去に訊いたことはあったかもしれませんが、あなたの答えは特筆すべき理由でないが為に、暗黙のルールという簡素な言葉で片附けさせていただきます。

 他にも、充足率十パーセント以下の本棚やハンガーだけがかけられているハンガーラックなど、紹介しようと思えば様々なアイテムをあなたと共存させることは可能ですけれども、あなたの認識している周囲存在には該当されていないものであることが予測されますので、文芸部を中心とした舞台内装の詳細は以上といたします。

「僕達はこれから、何を手伝えばいい?」

「それは、ホオリくん達三人がまた協力してくれる、との認識でよろしいのでしょうか」

「勿論さ。また長編を書きたいんだろ? エイセイさん一人に執筆を任せてしまっては、年刊誌でさえも〆切が怪しくなるよ」

 物凄く的確な見解でした。部長とは名ばかりで、私は皆に支えられて部活動をさせてもらっております。

「助かります。新作ですが……《彼岸の世界》の続編でも構いません?」

「むしろ、その方が有難いね。ルミナさんとユクエさんの二人も屹度喜ぶに決まっている」

 あなたの前向きな力添えを無礙にはしたくありませんので、訂正中の《彼岸の世界》を契機にして、すぐにでも空漠たる虚構世界の限界を超えたく存じ上げます。

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