私はここ数年で優しくなれなくなってしまいました。
一時は相手の声を聞くことも、向き合うことも、目を見ることも、できなくて。
存在を感じるだけで、声が聞こえてしまうだけで、嫌悪感のようなものに襲われることもありました。
今は少し回復しましたが、やっぱり受け入れられずに心が苛立ちや失望のような感情に支配され、自分をコントロールすることも上手くできなくなる時があります。
街中で助けが必要な人とその人を当たり前のように手助けをしている人を見るだけで、感情が悪くなる時もあって…
こうなってしまった自分、このようにしか感じられなくなってしまった自分、優しくいられない自分が、情けなく汚れているなとよく思います。
人を支えながらの生活は難しいですね。
作者からの返信
雨音さん、読んでいただいてありがとうございます。
痴呆の介護は、理屈ではないし、綺麗ごとではないだろうと思います。
この小説の中の母は、こんな感じですが、私の母は痴呆ではなく、介護もしないまま逝ってしまったので、雨音さんの心情に迫れていないかもしれません。
ただ、生前の祖母が痴呆だったので、そんなことを思い出しながらこれを書いていました。
感情VS感情になったり、嫌悪感を感じたりすることは、介護職ではなく、家族であるからこそ起こることだろうと思います。
私なんかは、感情的になった後に感じる嫌悪感に耐えられなくなった先の優しさもあるんじゃないかなって思います。
そして、その優しさっていっても、心からの優しさではない、優しさを演出した言動であることを自覚して、それに対しても嫌悪感を感じながらだったりもしました。
なんにしても、どうかご自分を責めないでください。
雨音さんは、きっと、それでも、その方から必要とされているはずなんで。
あ、もしも、的外れなことを言っていたらごめんなさい。
治らない病気…リアルで切ないです(ToT)
私もこの家族みたく優しくできるのかな、なんて考えます
作者からの返信
ぴゅうさん、読んでいただいてありがとうございます。
この小説では軽くしか書かれていませんが、人によると思うけど、この心境に至るまでには相当、“優しくない接し方”があったのだろうと思います。
でも、そういう経験があったから、そういう心境と優しい接し方に至ったわけですわね~
自分の母親がもし同じ状態になったら、私はこんな風に対応してあげられるだろうか、と思いました。
辛いことも苦しいこともたくさんあったから、でしょうか……。
本当に優しい人は、いろんなことを受け入れられる強い人なんだなと思います。
作者からの返信
プラナリアさん、引き続きお読みいただきありがとうございます。
他の方へのコメントにも書きましたが、(此の作には表されていないけれど)明夫は最初から優しく接してなんかいなくて、いろいろすったもんだあったその先の様子がこの回の母子のエピソードだと思ってください。
どんなに辛い経験を積んでも、優しくなれない人だっていて、母への扱いがエスカレートする人だってきっといると思います。
いじめを受けた人が、その痛みを知って、他人には優しくするか…と思いきや、自分より下だと見ている人に、自分が受けた苦しみと同じようなことをしてしまう人が案外多い、というのもあります。
心の中では優しくしなきゃしなきゃと思っていても、いざ、対峙すると、辛く当たってしまうとか…
綺麗ごとになんてなかなかいかんものだろうと思います。
此の作は、対 母がメインじゃないので、明夫にはこんな優しい役を私は与えました。