軋むオルゴール


 誰が世界を凶悪だと言ったろう?

 誰が世界に嫌われていると言ったろう?

 誰が歯車の軋む音のする箱に我らを閉じ込めたろう?


 箱を覆う苔を啄んでいた大鷲の背に乗り空を飛んでいると、今までの暮らしが酷く馬鹿々々しくて腹立たしくなる。

 空には限りなど無く、そこに浮かぶ雲たちに決まり事など無い。鳥は籠の中なんかで黙っていないで羽ばたいている。しかし話に聞いていた鳥たちより随分と大きい。木々などは箱の七くらいまで成長したものもあるではないか。

「あの雲ナリに似てるね。白くて丸くて小っこい」

 不躾なキリが私に噛みつかれたのは仕方がないだろう。

 そんな風にして遊んでやっていると、ピチョンと水滴が頬をかすめた。アリだ。この子が風に削れている。アリの傍まで行って慰めてやると、アリが笑っていた。

「外から見る箱ってオルゴールみたいね。蓋を開けたら音楽が鳴るのかしら?」

 それは恐らく狂声のオルゴール。ブリキの階段のぼる私たちは、世界の外にいた。

 そこへ二人の人間が飛んで来た。翼の生えた人間だ。二人は自前の翼で間違いなく羽ばたいて飛んでいるのだ。アリが二人に言う。

「ねぇ、どこかに降りられない? このまま飛んでいる訳にもいかないの」

「あぁ? おい。人だよ、俺はじめて見た」

「俺も。伝説じゃなかったんだな」

 しばらく顔を覗き込んでから二人の翼人は、大鷲を岩山の頂上に誘導してくれた。

 キリが地面に這いつくばるので、その上に座ってやった。言っておくが、私はキリが好きだ。いい友人だと思っている。

 アリが問う。

「私たち、初めて外に出てきたの。どう生きたらいいのかまるで分らないのよ。箱に帰りたくはないし、どうしたらいいと思う?」

「どうって言ってもなぁ。余所者を村へ入れちゃいけない決まりだから、何とか生きてもらうしかないよ」

 焼けた肌に緑の目の翼人が申し訳なさそうに言う。

「でも今夜は嵐になるからなぁ。子供と子犬を放っては置けないだろう?」

「そうだけど、決まりを破るのは大変だからなぁ。神獣くらい居れば何とか説得もできそうなんだけど。ほら! 早くしないと門限を過ぎちまう」

 翼も髪も瞳も、全てが黒い翼人が何とかしようと粘ってくれる。

「神獣がいればいいのか?」

 私は言った。その場にいた全員が、大鷲までもが私を見やる。私はキリの背で目一杯に胸を張った。

「ナリ!? 神獣だったの?」

 一番はじめに言ったのは足の下のキリだ。

「そうだ。国王の声真似で助けてやったろう?」

「あれもそうなの!?」

 アリが私の頭を撫でて笑った。「いつも聞こえていたの?」そう恨めしそうに言っただけで、ずっと一緒に暮らしていた私への文句は一つもない。

「だが、いいのか? 神獣がいるからと言って決まりを破る事に変わりはないのだろう?」

 二人の翼人が私に目線を合わせて腰を落とす。

「神獣は我らにとって友人だ。何とでもなるさ」

「決まりには必ず抜け穴が用意されているんだよ。例外で決まりを破らせる為にね」

 そして私たちは翼人たちの村へ招待された。外の世界には居ないらしい水人間のアリは随分と質問攻めにされていたが、可哀想だったのは何と言ってもキリだ。キリが人間の王族であると私がバラしてしまったために「あの不可思議な建造物は何なのか?」「あれのせいで空が窮屈になった」などと言われ放題なのだ。

 そしてその夜、私たちは生まれて初めて嵐の中にいた。

 身を寄せ合う夜の中で、あの黒い翼人が言う。

「君たちは出てきて正解だったよ。土台や地面をよく見ると分かるけど、あの建造物はいずれ落ちるからね」

「落ちるだって!? 土台の整備は完ぺきだったはずだよ」

「問題があるのは土台の埋まっている地面の方なんだ」

「そんなぁ……」

 キリがうな垂れる。家族の事でも考えているのかと思ったが、後から聞くと人間たちが皆して外に出て来たらまた逃げられなくなる、と思っていたらしかった。

「君たちはあれを国と言うんだよね?」

「そうだ。一つの箱は集落。いくつか集まって町になり、あれら全てを国という」

「俺たちには同じ種族みんなで暮らすここが村だけど、種族にこだわらない村や国をつくったらいいんじゃないかな? 別に大掛かりな事じゃなくてさ。君たちだけで生きるには限度があるし、ここでずっと暮らしてもらう訳にも行かないから」

 叩きつけるような雨の音がする。それを煽る暴風が吹き、木造りの家は激しく揺れる。それでも箱の中で感じる嵐よりよっぽど恐ろしくはなかった。あのギィギィと箱の軋む音が無く、何が箱の外にぶつかったのか分からないという事もないのだから。

 そこに何があるのか知っている。見えているのだ。

「なるほど。面白そうだな。あんな臆病な国王より、私ならいい国が作れるぞ」

「ナリが国王様になるの?」

 ふふっとアリが笑って聞く。

「本当はそんなに堅苦しい役はいらないんだ。けれど人間は、いや……もしかしたらドワーフも神獣も水人間も、明確な指導者がいなければ道に迷うだろう?」

 いつものように擦り寄ったアリの膝に、それでも私は乗らなかった。

「外で誰よりも偉い奴は?」

「偉い奴? どの種族が一番かってこと? そんな事は誰も決めた事が無いよ」

「じゃあ誰よりも大きな奴は?」

「それなら……」

 黒い翼人は村長に聞きに行き、嵐の夜はバタバタと過ぎ去った。

過ぎた朝の地面は水浸しだったけれど、箱の中で聞いたような何もかもを奪う残虐な爪痕は見えない。空は昨日よりもさらに青く、外の世界の全ては生き物たちで溢れているし、木々は何事もなかったかのようにそこに立っていた。

かつて見た事がないほど嬉しそうなアリが走り出す。

「アリ! 待ちなさい!」

「大丈夫よ。自分は水に溶けたりしないから」

 私を見透かしたアリが水溜りの中、降り注ぐ陽を一杯に体に宿してキラキラと舞い唄う。



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