Assertion

ミーシャ

1.

 世界共通の「辞書アプリ」と銘打った、新機軸のAIが開発されて早10年。今では国際連合の加盟国より、そのアプリを導入している国が多いくらいで、国際平和の「足掛かり」なんてことも言われている。


 その分野の専門家ではない僕が知っているのは、そのアプリの国籍や開発者が全くの非公開であり、利用および定期メンテナンスにかかるはずのコスト負担を、利用者に一切求めていないということ。それにも関わらず、内容の信用性が高いのは、独自の情報収集メソッドによるもので、それはAIが判断した執筆者と、評価者に、直接SNSやメール、時には電話などで協力を求め、随時、自身の情報源の有用性と新規性を維持している為なのだ。

 

 何の前触れもなく、AIのご指名をくらうことは、はじめこそはかなり不気味がられて、個人と直接連絡を取るためのアクセス情報が、いったいどこから漏れたのかと、世界的にネガティブな関心を集めたこともあった。

 訴訟問題になるならば、遅かれ早かれ、その開発者の責や、得体のしれないAIの正体も分かるだろうという期待もあったのだ。だが、どうしてなのだろう。いつのまにか、そのニュースは、当事者たちの何らかの決着のもとに、トップラインからも消え去った。

 安全かどうかは分からないが、問題にし続けるような利益より、それを支持し今後の発展に寄与する利益の方が、勝ったのかもしれない。


 ハイスクールに入学したころから、授業のレポートでその辞書アプリを使うことが強く薦められるようになったし、間もなく新規の学術論文で、そのアプリによる内容確認、すなわち似たような論文が過去に無かったか、盗作の疑いが無いか確認を経たものでない限り公開できないという、国際ルールが誕生した。


 図像学分野で研究の道を志していた僕も、それならばと、そのアプリとの関りを強めていった訳で、大学に進んでから書き上げた論文2本も、十二分にそのアプリの恩恵を受けている。

 辞書アプリに、写真や絵などの画像が付随するようになり、月日を追うごとにそれが充実していくのは、見ていて楽しいものがある。正直、僕の研究分野なんて、社会からすればこのアプリで間に合うことなのかもしれない、―そう思ったこともある。だが、それと自分の関心と生き方は別問題、そう考えて今日までの月日を送って来た。



 

 「一通の未開封メールがあります」


 朝起きたときには気付かなかったメールは、知らない宛先からのものだった。だが、そのアドレスを眺めて、ふと、これは辞書アプリ発信ものではないかと気付いた僕は、早速検索エンジンで、そのアドレスを探した。

 調べた結果、やはりその通りで、今月限り使われる、辞書アプリの発信専用メールアドレスだった。おそるおそる僕は中身を見るために指を上げたが、はじめての経験を惜しむかのように、あらためて考えた。



 「僕は評価者か、それとも執筆者か」


 どちらであっても名誉なことには違いない。評価者は、評価後10日を過ぎれば、そのことを口にしてもよいことになっている。但し、執筆者は別だ。何があってもそのことを口にしてはいけないことになっている。これはアプリの決めたルールというより、アプリを導入している各国が独自で制定した法律が、その告白を禁じているのだ。


 確かに少し考えれば分かることだ。辞書アプリの情報ソースが、仮に敵対国の人間だとわかったら? 政治関係者、国のトップだったらどうだろうか。

 まさか、そんな重要ポジションにいるような人間が、こそこそアプリの協力をしているとは思えないが、もし本当にそうだったとして、執筆者を名乗る意義と、その行動の結果起きることを想像したら、ちょっと鳥肌が立つ。

 いや、辞書アプリの内容の公平性には、いつも驚かされるので、おそらく執筆者のバイアスを取り除いた形で、AIが再編集していること間違いなしなのだが、それでも、執筆者の存在は無視できないのだ。


 メールのタイトルには、「新規語句:管理番号W0000000001」とあった。その数字がとても気になったが、好奇心には勝てなかった。あらゆるリスクを承知で、僕はそのメールを開封した。


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