【23】冷徹な男


 台地の断崖の表面にそった羊腸ようちょうたる山道を降りた先は、湖の畔だった。

 カイン・オーコナーは、その水辺の湿った砂を踏み締め、湖面を眺めながら思い出す。

 彼女の事を――




 カイン・オーコナーには歳の離れた妹がいた。名前をシルヴィアと言う。

 両親は、その妹が三歳のときに村を襲った鉄砲水で行方不明になった。頼れる親戚もみんな死んだ。

 それ以来、カインとシルヴィアはずっと二人で生きて来た。

 スキルのお陰で、傭兵や冒険者として身を立てる事が出来ていたので、生活には不自由はなかった。

 誰しもが意味のわからないほど強い上に、勝利のために手段を選ばない彼を恐れていたが、シルヴィアだけは別だった。シルヴィアただひとりがカインの唯一の理解者であった。

 そんな妹が不治の病におかされていると知ったのは、彼女が八歳になったときだった。

 始めは質の悪い流行り病だと思った。

 微熱が続き、手足の指先が痛むのだという。

 だからカインはシルヴィアを町の治療院に連れて行き、神聖術師にみせる事にした。

 すると……。


「琥珀病こはくびょう……」

 カインは治療院の一室で向き合って座る神聖術師の言葉を繰り返す。

「ええ。残念ながら妹さんは……」

 “琥珀病”とは、発病すると身体が末梢から長い時間をかけて、徐々に琥珀化してゆく病気である。

 如何なる治療魔法でも薬でも癒す事は出来ない死の病……。

 カインもその名前と恐ろしさは聞き及んでいた。

「はひ……いひひひ」

 狂人じみた笑みを浮かべながら椅子から立ち上がるカイン。

「気をしっかり。お兄さん……」

「いひひひひひひっ」

 神聖術師が、カインの両肩に手を置く。カインはへらへらと笑ったまま神聖術師の胸を突き飛ばした。

「うわっ!」

 床に転ぶ神聖術師。

「いひひひっ……いひひひひひひひっふひひひひひ……いははははははははははっ」

 カインは天井を仰ぎながら運命を呪い、笑い続けた。




 ミラ・レブナンは、北東の草原を抜けて湖の南東へと辿り着く。

 すると、岸辺で佇むカイン・オーコナーの姿を発見する。

「いた……あいつ……」

 ガスヴェルソードを脇構えにして、人外のスピードで一気に間合いを詰める。

 物思いに耽っていたカインの反応が少しだけ遅れる。

「死ねええええええッ!!」

 ガスヴェルソードを逆袈裟に振り上げる。

「……てめえ」

 カインは二刀で左下から迫るその一撃を受けようとした。

 しかしカインの戦士としての直感が告げる。


 ……受けたら死ぬ。


 カインは湖から遠ざかる様に地面を転げる。 

 まるで竜の爪が薙いだかの様だった。

 想像を絶する剣圧。

 ついさっきまでカインの立っていた砂の地面が裂けて、そのまま地走りが起こる。

 それは遥か遠くの岸辺にあった馬くらいはありそうな大きさの岩を粉々に砕いてようやく止まる。

 流石のカイン・オーコナーも目を向いて驚いた。

「……何だその物騒なオモチャは? どこで見っけて来たんだよ」

「あっちの岩に刺さってた」

 ミラは正直に答える。

「……クソが。あの神様だな? ろくでもないもんを用意しやがって」

 カインは体勢を立て直す。

 右肩の肉が少しこそげて血を流していた。

 これは殺す気でやらないと、こっちが死んでしまう。というのに……。

 カインは舌打ちをして苛立たしげに顔をしかめた――




 妹の病気が発覚して以来、彼は琥珀病の治療法を探すのに全精力を捧げた。

 腕利きの神聖術師や錬金術師の噂を聞けば冒険者として稼いだ金を積んで妹を診せた。

 また自分でも書物を買い漁り、病に対抗する術すべを模索し続けた。

 飲まず食わずで倒れるまで研究に没頭し、覚めたあとに再び冒険者の仕事に向かう。その報酬を再び研究につぎ込む……という生活をずっと続けた。

 実は彼の【錬金術level5】は生来のスキルではない。この過酷な日々により獲得したものだった。

 しかしスキルは彼自身の戦闘能力を引き上げただけで妹の病を癒してくれる事はなかった。

 彼の勇名は日に日に大きな物となっていったが琥珀病の治療法に関しては五里霧中だった。

 時間の経過と共に妹の病気は進行し苛立ちだけが募った。

 そんなある日の事だった。

 ある錬金術が琥珀病の特効薬の作り方を知っているという噂を耳にした。

 カインは、その錬金術師が住まう、人里離れた山中へと足を運んだ。




「ほら……どうしたの?!」

 ガスヴェルソードが空を斬る。

 カインは慌ててしゃがみ、その右からの斬撃をかわす。

「あなたには死んで欲しい。でもッ!!」

 頭上からガスヴェルソードの刃が迫る。カインは左に転がる。

 剣先が振り下ろされたと同時に地走りが起こり、再び砂地が割れた。

「……弱い者いじめは良くないって、ルークが言ってた。だから本気でやってッ!!」

「テメー……誰に向かって……」

 カインは立ち上がり、後方に祓闇ふつやみの剣を高々と放り投げた。コートの内ポケットから爆弾を取り出す。

 それをミラの眼前に、ひょいと放った。

「何これ?」

 左手でそれをキャッチして、きょとんと目を丸くするミラ。

 後方へ飛び退くカイン。

 爆発音が轟く――




「……魔王の角じゃ」

 丸太小屋の狭い部屋で粗末な木のテーブルを挟んで向かい合って座る、その年老いた錬金術師は言った。

 顔は良く覚えていない。

 フードを目深に被り、常に伏し目がちだったからだ。

 錬金術師は更に言葉を続ける、

「特別な血筋の魔族……すなわち魔王の角。これが、なければ……薬は作れん」

「はっ。魔王の角をぶち折れば、妹は助かるんだな?」

「じゃが魔王の住まう魔大陸へと行くには、伝説の勇者が持つスキル……輝光術きこうじゅつが必要じゃ。輝光術抜きに魔大陸へは降り立てぬ」

「なら、まずは、その勇者を探さねーとな」

 ようやく見えた光明にカインは獰猛な笑みを浮かべた。




 カインは左手を伸ばし、砂に突き刺さっていた祓闇の剣を抜いた。

 そこへガスヴェルソードを掲げたミラが迫る。

「爆風を切り裂いただと?! クソっ!!」

 カインとしては、距離を取りたかったが、ミラはそうさせてはくれなかった。

 カネサダM892の引き金をひく。

 ミラが銃弾を叩き割る。

「いやああああああああああ、死ねー!!」

 胴体を狙った突き。大気の裂ける音がした。

 ぎりぎりでかわしても、剣圧でダメージを喰らう。

 まともに受けても武器が持たない。

 余裕を見てかわしても、反撃に転ずる隙がなくなる。結局のところジリ貧だった。

 カインは一か八か身体を捻って反転し、突きをかわす。

 右脇腹がえぐれ、コートに大穴が空いた。

「くっ……」

 痛みを堪えながら、祓闇の剣で足元の砂をすくってミラの目に飛ばす。

「うっ!! ずるいっ!」

 隙は一瞬だった。

 しかしカネサダM892を叩き込むには充分な時間だった。

 カインは――




 治療院の病室のベッドの上で上半身を起こす少女。

 病的な色白。

 痩せ細った肩。

 シルヴィア・オーコナーであった。

 ベッドの脇に立ったカインは、彼女を見下ろしながら言った。

「んじゃ、行って来るわ……」

 それは勇者パーティを探しに旅立つ直前だった。

「……もしも、本当に病気が治ったら、ワタシも兄さんと一緒に冒険者やりたいな」

「ああ……」

「だからワタシも呪文の勉強、たくさんするね」

「ああ……」

「ワタシ、冒険者になれるかな?」

「ああ……多分な」

 カインはシルヴィアの頭に右手を置いた。

 妹に対しても、ぶっきらぼうで表面上は冷たい態度を取りがちだったが、この日はとてもそんな気分になれなかった。

 カインは、自身が誰よりも強いと信じていた。

 しかし、共に魔王討伐を目指す勇者達の強さを信頼していなかった。そして簡単に勝たせてくれるほど魔王が弱いとも思っていなかった。

 カインは精一杯、ぎこちなく微笑んだ。

 すると突然シルヴィアがその手を払い除ける。

「シルヴィア」

 振り払われた右手と、妹の顔を交互に眺めて唖然とするカイン。

「優しく、しないで……」

 シーツに涙がこぼれ落ちる。

 そして、病床の彼女は関を切った様に泣き叫ぶ。

「優しくしないでよ……何時もみたいにワタシの事バカにしてよ。いじわるな事を言ってよっ! 冒険者なんて、お前には出来ないって笑ってよっ!!」

 カインには何も言う事が出来なかった。




 カインはミラを右の回し蹴りで吹き飛ばす。

 銃弾を叩き込めた。

 剣で切り刻めた。

 でも出来なかった。

 どうしても彼女と歳の近い妹の事を思い出してしまう。

 そして自分の境遇と重ねてしまう。

 ミラ相手に本気を出せない。

 彼女と戦いたくない。

 出来れば他の誰かに殺されていて欲しかった。

 自分でも思う。

 あの目的のために手段を選ばない“反則野郎チーター”カイン・オーコナーがお笑い草だと……。

 彼には自分の手でミラを殺す事が、どうしても出来なかった。

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