【22】退場
「やられたわね……」
穏やかな波間。
海鳥の鳴き声。
メルクリア・ユピテリオは海面に浮かびながら、黄昏色に染まりつつある空を見上げた。
あと一瞬あれば神様を殺やる時間は充分にあった。
あのとき彼女が使おうとしていた魔法は魔術第九級位“
残りの全魔力を消費して絶対の防御と、当たれば必勝の攻撃を同時に行う。最強の攻撃魔法アサルトスペルである。
例え無詠唱であっても、この魔法の威力は変わらない……というより、まともに受ければ、どのみち相手は死ぬので威力云々の問題ではないのだ。
それゆえに、向こうがメルクリアを殺すつもりか、捕縛するつもりだったなら、勝っていたのは彼女だった。
しかし、神様は第三の選択を取った。
彼女は強制転移魔法で、あの狂ったゲームから退場させられてしまったのだ。
そしてメルクリアを島外に追い出してから、神様は再び時空結界を張り直した。
メルクリアは、離れた場所に浮かぶ飛行島へと目線を向けた。
「あの結界を外から破るのは、骨だけど……」
……まだ手はない訳ではない。
幸いにも強制転移魔法のお陰で、“
つまり、まだ魔力は残っている。
波間に浮かぶメルクリアの瞳に、近くを浮かぶ木の板が映る。
それは片手剣程度の大きさで、ちょうどお誂え向きに見えた。
「要するに結界の障壁と同じ硬さの物をぶつければいいんでしょ? 強引だけど、多分いける……流石は天才の私」
そう独り言ちて、メルクリアは木板に股がり魔術第五級位“
木板が彼女を乗せて浮かび上がる。
「待っててね。必ず戻るから……」
メルクリアはそのまま猛スピードで近くの沿岸の町へと向かった。
「……何だって?! もう一度、言ってみろよ?!」
アレックスは再びラエルに向かって発砲する。しかし、ひらりとかわされる。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ……何度でも言おう。賢者のクソ眼鏡は、ルール違反により、このゲームから累積なしの一発退場としたわ」
「嘘だッ!!」
アレックスは勘違いしていた。別にメルクリアは死んだ訳ではない。
しかし、彼の脳裏に呼び起こされるのは、彼女のどや顔……どや顔……そして、どや顔……どや顔の数々……。
まるで走馬灯の様に彼女のどや顔が脳裏を駆け巡る。
「あのメルクリアさんが! メルクリアさんが……嘘だッ!!」
どや顔はさておき、アレックスにとっての彼女は恩人だった。
長年自分を苦しめて来たスキルの謎をあっさりと解消し、強力なふたつのアイテム――カリューケリオンと、眼鏡の魔導端末を貸し与えてくれた。
彼女がいなければ、今も彼は絶望に包まれたままだっただろう。
……というかアンナに喰われて死んでいた。
そんなメルクリアに何一つ報いる事が出来なかった。その事をアレックスは恥じた。
「……これでもう、お主はこのゲームを勝ち抜く以外に道は無くなったという訳じゃな」
神様が笑う。
そして少し距離を置いた場所に転がるアンナの死体。更にその少し奥でうずくまるフランティーヌの死体。
そのふたつを目にしてアレックスは思い出す。
メルクリアが死んでしまったら、もうこの二人を生き返らせる事は出来ない。
そしてアンナを殺したのは自分だ。
つまり……。
「お、俺は……人殺し……人を……」
アレックスは自らの震える掌に目線を落として戦慄わなないた。
罪悪感も嫌悪感もなかった。
ただひたすらに、黒いマグマの様な憤りの感情が胸の奥より噴出する。
ラエルの向こうで神様が言った。
「そうじゃ。お主は人殺しじゃ……」
「……五月蝿い」
「あと何人殺しても大してかわらんぞ?」
「……五月蝿いッ!!」
再び発砲。しかしラエルには当たらない。
「……殺してやる」
「そうじゃ、それで良い」
「俺が殺すのは、貴様だッ!!!」
「構わん……デスゲーム物では主催側にプレイヤーが逆らうのものまたテンプレ」
「何がテンプレだ。じゃあ死ねッ!! 今すぐに死ねよぉおおッ!!」
「いいや。ワシも主催者としての役割をまっとうし、精一杯にあらがわせてもらう。どうせ、この場所もあのクソ眼鏡に聞いて知っておるのじゃろう? ワシを殺やりたければ、ここに来い。これもまた素晴らしき物語ッ!!」
「お前を絶対にぶっ殺してやるッ!! 神様ぁああああああああああああああッ!!!」
こうしてアレックスは、大いなる勘違いの末にひとりで勝手にシリアスモードへと入ってしまった。
アレックスの魂の絶叫をモノリス越しに眺めながら、神様はカシューナッツをひとつだけ摘まんだ。
「くっくっく……良いのお、その憎悪。どれ。他の連中はと……」
そう言って、椅子を回転させ大魔王の様子を映し出したモノリスの方へと視線を向ける。
「うむ。もうすぐ復活じゃの」
そう言って、次にカイン・オーコナーを映し出したモノリスへと向き合う。
カインは台地の北にある崖道を降りて、西回りに南下していた。
「……では、おっさんの娘は、どうじゃ……?」
もうすぐで台地の北側へと辿り着く。
「さあて……どうなる?」
神様は楽しそうにほくそ笑んだ。
失った魔力を回復するには、充分な睡眠と栄養の豊富な食事が必要になる。
その港町は、狂ったゲームが開催されている飛行島が浮かぶ海上から少し離れた場所にあった。
今は日も暮れ落ちてしまったが良く晴れた昼間ならば、海に向かって下る斜面に並んだ白い外壁の家々と港に面した入り江の波間に反射した陽光がとても眩しく感じられる事だろう。
そんな町並みの一角にある酒場のテラス席で、お洒落なテーブルいっぱいに乗った料理を猛烈な勢いで平らげ続ける銀縁眼鏡の姿があった。
無論あの大賢者メルクリア・ユピテリオであった。
「考えて見れば五千年振りだ食事……いやー、魚うま」
鯛とアサリのオリーブ煮を豪快に頬張る。
ふとテーブルの端にあった茹で蛸に目線が向く。
「あ……あのウジャウジャした奴に似てる。キモ」
……と、言いつつ、頭にフォークをぶっ刺して豪快にかぶりつく。
そのあまりの健啖けんたんぶりに、周囲のテーブルにいた客達の顔が引き釣っていた。
テーブルの縁に立て掛けてある木板の存在も良くわからなくて不気味である。
しかしメルクリアは、そんな視線などまったく気にする様子もない。
パンを千切っては頬張り、千切っては頬張り……。
親の仇へとそうするかの様に、皿の料理にナイフとフォークを突き立て続ける。
そして粗方、食べ終わった頃だった。
「……あの、お嬢さん、お会計の方は……」
と、苦笑いの店員がやって来る。どうやら、メルクリアの風体と食いっぷりに不安を覚えたらしい。
「あー……ちょっと待って……」
メルクリアはローブの袖から革袋を取りだし、中に入っていた貨幣を一枚テーブルの隅に投げた。
「それ一枚で足りるっしょ?」
そう言って、グラスの水をぐいと飲み干すが……彼女は重要な事を忘れていた。
「お客様……」
「あー、お釣はいらないから……」
満腹になった腹を右手でさすりながら、左手をパタパタと動かすメルクリア。
しかし、店員の次の言葉で凍りつく。
「……何ですか? このコイン」
「へ?」
「こんなコイン、見たこともない……」
「あ!」
そこで彼女は思い出す。ここが五千年後の世界であったという事を……。
しかも、そのコインは金などの価値のある金属という訳でもなかった。
「賢者である私とした事が」
「お客さーん。困りますよぉ……おままごとはお家に帰ってやってくださいよぉ」
笑顔を浮かべる店員。しかし目は笑っていない。
「あははは……多分、それ骨董屋とかにいけばそれなりの価値になるから……多分、恐らく」
青ざめるメルクリア。
ここで、食い逃げ犯としてお縄についている時間など彼女にはない。
「古典的だけど……」
メルクリアは突然「あっ!」と大声で、店員の視線を逸らしたあと立ち上がる。テーブルの縁に立てかけてあった木板を掴み、テラスの手すりに飛び乗った。
「待てこの食い逃げ眼鏡ッ!!」
店員がメルクリアを追って来る。
テラス席が騒然とする。
メルクリアは、
「またあとで来るからツケといて!」
と、叫びながらテラスから飛び降りる。
落下の前に無詠唱で“
そして、メルクリアは木板に捕まったまま店員の罵詈雑言を背に夜空へと飛び立ったのだった。
後日、店員がメルクリアが残した貨幣を骨董屋に持ち込んだところ、店の半年分の売り上げと同じ価値を持つ事が判明した。
それはさておき――。
ともあれ、腹を満たし、全快とはいかないものの、いくばくかの魔力を回復した大賢者であった。
そして、彼女は砂浜へと向かい、あの飛行島へと戻るための作戦を実行へと移す事にしたのだった。
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