【16】狂笑襲来


 魔王ギーガーが、まるで紐に吊られた操り人形の様に立ち上がる。

「……まったく、これだから人間という存在は侮れんな」

 こきっ、こきっ、と首を左右に捻りほくそ笑むギーガー。

 その顔は血塗れであったが、殴られた傷は完全に癒えていた。

 何より彼の容姿は、以前とはまったく異なるものに変貌していた。

 闇色の衣の裾からは、猛禽類もうきんるいの蹴爪けずめを思わせる足先と、槍の穂先の様な尖端のしっぽが覗いていた。

 両手の指にも凶悪な爪が生えそろっており、両肩から大きな角が衣を突き破って、そそり立っていた。

 顔からも人間らしさが消え、何処か肉食獣めいていた。良く見ると両目を結ぶ様に、蜘蛛の様な複眼が三つ横並びになっていた。頭の角が四本に増えていた。

「何か……こう、清々しい気分だ……生まれ変わった様な……」

「本当に……生まれ変わってんじゃねーかよ……」

 フランティーヌが苦々しい舌打ちをする。

「……人間よ。我をここまで追い詰めたのは貴様が初めてであるぞ……」

 スキルによりに転生を果たしたギーガーは、無造作に右手を振るった。

 すると、その瞬間、坑道全体が震えた。

 同時に右の壁に、まるで巨人が爪で引っ掻いた様な五本の横筋が走る。

 その亀裂はビキビキと岩の砕ける音を立てながら、フランティーヌ達の脇まで伸びて止まる。

 ギーガーが両手を拡げ、天井を仰いで吼えた。

 地獄の底から唸る絶叫。

 それは、二人の魂を鷲掴みにした。

「……こんなの……流石に……無理」

 流石のアンナも、戦おののくしかなかった。

 圧倒的な実力差。

 それは、鼠と火竜以上の開きを彼女に感じさせた。

 しかし……。

「……よっ……いてて」

 片腕のフランティーヌが気合いで立ち上がる。

「フランティーヌさん……」

 その背中をアンナは呆然と見上げる。

「よお、アンナ……お前だけでも逃げろよ」

「何を……何を言ってるの……」

「お前の腕前なら、隠れながら隙を窺って、その銃で一発逆転できる」

「なら、フランティーヌさんも一緒に……」

 フランティーヌが振り向いて笑う。

「あたしは、もう無理だ、これ……あははは」

 気丈な笑顔。

 あえて強がっている様な……。

 アンナは彼女のそんな顔は見たくはなかった。

 彼女ヒロインを謀たばかって苦しめて、その歪んだ表情を引き出すのが悪役令嬢の役目。それが存在理由。

 だから、そんな笑顔など見たくもない。

「……フランティーヌさん」

「何だよ?」

「わたし、あなたがいないと駄目なの……あなたの事が必要なの!」

「な……」

 唐突な告白にフランティーヌは目を丸くした。

 瞳を潤ませながら、アンナは懇願する。

「あなたを失いたくない……フランティーヌ……あなたは、わたしのヒロインなの……お願い」

 フランティーヌが少し驚いた顔で固まったあと、ふっ、と笑う。

「何だよ、それ。愛の告白かよ?」

「そうかもね……」

 アンナも笑った。その瞬間、 滂沱ぼうだの涙が悪役令嬢の瞳から溢れる。

 フランティーヌも、そんな悲しげな顔は見たくもないとでも言いたげに再び大魔王へと向き直る。

「あたしが隙を作る。その隙にあんたは逃げてくれ」

 大魔王が口許を歪ませ微笑む。

「死ぬ算段はついたのか?」

「ああ……ただし、死ぬのはてめーだけだ、化け物」

「威勢の良い女は嫌いではない」

「あたしはおめーが死ぬほど大嫌いだよッ!」

 フランティーヌが右拳を振り上げて駆ける。

「やめてぇぇええええええッ!!」

 アンナの絶叫が轟く。

 もう選択の余地はなかった。

 銃を握りしめ立ち上がる。

 ストックを肩につけ、銃を構えて狙いを定める。

 フランティーヌがいなくなるくらいなら、いっそ自分の手で……。

 アンナは覚悟を決める。

 そのフランティーヌは、

「うああああああああッ!!!」

 大地を割る様な強烈な踏み込みと共に飛んだ。

 右拳をギーガーの顔面に目掛けて突き出す。

 その瞬間、銃声が鳴り響く。バレルの内側に刻まれた溝によって螺旋の力を得た弾丸が銃口より排出された。

 フランティーヌの後頭部にアンナの放った7,62㎜魔導弾が迫る。

 そして放たれたヒロインの拳は、ほんの薄紙一枚分の距離だけ、ギーガーには届かなかった。

 フランティーヌの腹部をギーガーの手刀が貫いたのだ。

 串刺しにされた彼女の身体がギーガーの太い腕にぶら下がる。

 そのフランティーヌの頭部が力なく右に傾いだ瞬間だった。背後からやって来た魔導弾が大魔王の右眼を穿つ。

 何かのタイミングが狂えば、その凶弾はフランティーヌに当たっていたか、大魔王にかわされていた。

 偶然に偶然が重なった奇跡の一発。

 ギーガーがフランティーヌの腹から腕を抜き去り膝を突く。フランティーヌの身体が湿った音を立てて地面に落下する。

 その光景を呆然と見詰めるアンナは、

「やたっ、やったよ、フランティーヌ! フランティーヌ、やったあああああああはははははッ!!! あなたが、あの化け物を倒したのおぉおおー!」

 どうやら、彼女からはそう見えたらしい。

 フランティーヌの死という最高のおかずと彼女の死という最大の絶望により、アンナの精神は粉々に砕け散ってしまったのだ。

「……やっぱりあなたは最高最強のヒロインよおおおおおぉッ!!」

 そう叫んで、狂気じみた高笑いを上げながら天井を仰いだ。

 すると、フランティーヌを担当していたラエルが役目は終わったとばかりに何処かへ飛び去っていった。




 アンナがフランティーヌに出逢ったのは、十四歳の誕生会だった。

 【exオト・メゲーの知識】で得た未来の記憶によれば、この日、想い人となるルドルフに彼女はひと目惚れする予定になっていた。

 しかしアンナは、ルドルフの事など心底どうでも良かった。

 石ころだろうと、金貨だろうと、ヒロインから奪う価値のあるでさえあれば何でも良かったのだ。

 アンナの興味は、同じくこの日に初対面となるフランティーヌへと向いていた。

 彼女は自分と対をなすヒロイン。

 アンナとフランティーヌの親は親交があり、その縁で彼女も誕生会には出席する予定だった。

 未来の記憶があったから、どんな顔なのか、そして、ある程度のひとなりも――本性がアレとは流石に思いもよらなかったが――知っていた。

 しかし、それでもフランティーヌと会えるというだけで、アンナの胸は高鳴った。

 実際に話すと、どんな感じなのだろう。

 記憶の中の彼女と本当に同じなのだろうか。

 兎に角、楽しみで仕方がなかった。

 そして館の玄関ホールで父親に連れられた彼女の――


「あの……初めまして。あたし、フランティーヌ」


 少し照れくさそうに、はにかんだ顔を見た瞬間、アンナの心は堕ちてしまった。

 その可憐な表情だけではなく、彼女がどんな顔で悔しがるのか。

 どんな顔で怒るのか。

 どんな顔で恥ずかしがるのか。

 どんな顔で苦しむのか……とても、見たくなった。

 こうして、ひとりの悪役令嬢が、この世に生まれ落ちた――。




 膝を突いていたギーガーが、ゆっくりと何事もなかった様に立ち上がる。

「あと、ほんの刹那、遅れていたら、私の負けだった……」

 大魔王はそう言って、己の右眼からこぼれた弾丸を掌に落とした。

「何で……なん、で……?」

 アンナは肩を震わせ、唖然とした表情のまま力なく膝を突いて座り込む。

 ギーガーは弾丸をかわせないと悟り、あえて右の目蓋で弾丸を挟んで受けたのだった。

 結果、右眼は失ったものの、その弾丸は大魔王の脳髄には、あと一歩だけ届かなかった。

「あははは、ひひひ……はははは……そんな……そんな……フランティーヌぅ……フランティーヌがぁ……倒したのぉお……ヒロインが……ヒロイン……わたしのぉ」

「貴様らは良く戦った。見事であったぞ」

「……わたしのヒロイン……」

 ギーガーが悠然とアンナに向かって歩みを進める。

「うああああああああッ!!」

 アンナは立ち上がってヘルダーMSR94を撃つ。すぐさまボルトを動かし、撃つ。撃つ。撃つ。

 しかし狂気に侵され、冷静さをかいた彼女の銃撃はギーガーには当たらない。

「哀れな……」

 ギーガーが右手をかざしながら呪文を唱える。

「あひゃはははは……フランティーヌ……フランティーヌ……ふりゃん……」

 闇術第四級位“闇の雷槍ダークライトニング

 大魔王の右手から黒い雷がほとばしり、雷鳴と共にアンナの胸を貫いた。

「……わたしのひろいん」

 アンナはそのまま力なくうつ伏せに倒れ込んだ。

 すると、彼女のラエルが役割を終えたとばかりに何処かへ飛び去って行く。

 大魔王は、ゆっくりとアンナの死体に歩み寄ると、ぼそりと呟いた。

「このまま殺すのは、惜しいな……」




 婚約破棄ヒロインと悪役令嬢との戦闘を終えたギーガーは、そのまま坑道を登った。

 そして、森に囲まれた塚の洞穴から台地へと出る。

 その瞬間、銃声が轟く。

 ギーガーは飛来する44―40マレキフィウム弾を右手で掴み取った。

「貴様か……」

 そして、正面の木立の向こうからやって来る男を睨めつける。

 男はゲラゲラと笑いながら、木陰から日向へ姿を現して立ち止まる。

「よお。残念ながら、ここは、お前の人生の行き止まりだぜぇ……ひひひ」

「貴様は、あのカイン・オーコナーなのか?」

 ギーガーの問いにカインが答える。

「そんな目付きをしながら、オレ様の名前を口にするヤツは大概、死んだ方がマシなロクデナシばっかなんだがな。……んで、テメーは誰だ?」

「我が名は、大魔王ギーガー。闇の覇道を歩む者なり」

 その名乗りを聞いた瞬間、カインは真顔になり吹き出す。

「ぎひひひひひっ! お前……本当に、あの魔王なのかよ?」

「如何にも。我が怨敵よ」

 ギーガーが鹿爪らしい顔で答える。

「……まあ何だっていい。どうせぶっ殺すんだしな」

 そう言って、カインはガンブレードをくるりと回転させ、銃口をギーガーに向けた。

「……ところで、魔王さんよぉ」

 突然、カインが真顔になる。

「何だ?」

 ギーガーは怪訝そうに言葉を返す。すると、カインは無表情のまま首を傾げた。

「だいぶ、印象が変わったけど、髪でも切ったのか?」


 こうして大魔王VSパーティ追放者の戦いが始まった。

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