【15】あなたのために


 ギーガーが右手の手刀を突きだす。

 フランティーヌが屈んでかわす。即座に足払い。

 ギーガーはジャンプする。

 そこへフランティーヌは勢い良く伸び上がり、両掌りょうてのひらで魔王の顎を叩き上げる。

「くっ……」

 ギーガーはたたらを踏んで何とか堪える。

 次の行動に移ろうとする前に、銃弾がフランティーヌの右肩の上を通過して、ギーガーの眉間に目掛けて飛来する。

 アンナの狙撃だった。

「何ッ?!」

 ギーガーは角で銃弾をはじく。

 直後に左から振るわれた手枷で殴られる。

 ギーガーは距離を取って魔法を使いたかったがフランティーヌの動きは素早く、上手く間合いを取れない。

 詠唱なしで魔法を使う事も出来る。

 しかし、この世界では、無詠唱の魔法は威力や効果が大幅に弱体化する上に、まったくのノータイムで魔法を発動できる訳でもない。その隙すら作れない。

 フランティーヌは戦いの才能を凄まじい勢いで開花させており、彼女の戦闘能力はゲーム開始当初から一気に跳ね上がっている。

 そして、そのフランティーヌの背後には、アンナが魔導狙撃銃で常にワンキルのチャンスを窺っていた。

 彼女の狙いは正確で、弾丸が急所に当たれば魔王と言えどもかなり危険であった。

 しかし、そんな事よりも恐ろしいのは、仲間の存在など気にせずに隙あらば平気で撃ってくる事だ。

 一方のフランティーヌも自分が被弾する事などまったく恐れていない様子だ。凄まじい気合いが源となったクソ度胸のなせる技である。

 そして、アンナには、フランティーヌに当てないだけの腕前もあった。

 その超精密射撃をしのぎながら、フランティーヌとの接近戦をこなすのは、如何に魔王とはいえ、かなりの難事である。

 ギーガーは、こんな頭のおかしい戦い方をする人間と対峙するのは初めての事であった。

 軽く恐怖を覚える。魔王なのに。

 だが、彼は、まだ奥の手を隠し持っていた。

「……ふははは。中々、やるではないか人間よ!」

「余裕ぶっても無駄だぜ! 魔族のおっさん!」

 フランティーヌが右の回し蹴りを放つ。

 ギーガーは頭を反らしてかわす。

 その踵が鼻先をかすめた刹那、逆方向から死神の鎌の様な爪先が折り返して来る。

「くっ……」

 魔王はこれも飛び退いてかわす。そして、大きく息を吸い込んだ。

 その瞬間だった。アンナが叫ぶ。

「退いてっ!」

 フランティーヌも只ならぬものを感じて飛び退き距離を取る。しかし……。

「無駄だぁッ!」

 ギーガーが炎のファイアブレスを吐き出した。

 燃え盛る奔流が鋭い牙の並んだ口腔からほとばしる。これは彼の身体的な能力なので、呪文の詠唱は必要がない。

 炎の帯が坑道の横幅一杯に広がる。

「フランティーヌさん!」

 アンナの叫び声。彼女は咄嗟に床に伏せた。その頭上を後方へ灼熱の業火が駆け抜けてゆく。

 しかし、フランティーヌはというと、両手で顔を覆い背を丸めて魔王の方へと突っ込んでいた。

「うおおおおおおおっ!!」

 髪や囚人服の裾が焦げる。両手首の木板の枷に引火する。

 それでも彼女は止まらない。

 自分の吐き出した炎を突き破り、姿を現したフランティーヌに、魔王は驚愕する。

「鬼神か……この女」

 そのままフランティーヌはギーガーに体当たりをぶちかまそうとする。

 ギーガーは両手を突き出し受け止めようとするが、銃声と共に7,62㎜魔導弾が飛来する。咄嗟に両腕で顔を覆ってしまった。

 右腕に銃弾がめり込み、腹部に体当たりの衝撃が突き抜ける。

 ふっ飛ばされ、ギーガーは地面に背中と後頭部を打ち付けた。

 そこにフランティーヌが馬乗りになる。

「死ねぇえええええっ!!」

 眼下の魔王の顔目掛けて燃え上がった両手を振り下ろす。

 フランティーヌが燃え盛る木板の枷を叩きつける……叩きつける……叩きつける……。

 ギーガーはどうにか、そのマウントからの打撃を防ごうとするが、膝でしっかりと両腕を押さえつけられてままならない。

 身体をよじり、両足をみっともなくばたつかせるが、フランティーヌはまるで鉛の塊であるかの様に動かない。

 すべてが気合いのなせる技である。

 やがて熱と衝撃により枷の金具が外れ、フランティーヌの両手が自由になる。

「うらぁぁあああああああああああッ!! くたばれぇええええッ!!!」

 一心不乱に魔王に向かって燃え盛る拳を振り下ろすフランティーヌ。

 ギーガーの顔面をひたすらにぶん殴る。殴り続ける。ひたすらにぶん殴る。

 魔王の鼻はひしゃげ、歯が折れて飛び散り、頬骨が砕けた。

「ウボァっ!」

 ギーガーは、必死に薄れゆく意識を繋ぎ止めようと堪える。




 ……こんなところで我は……

 走馬灯の様に魔王としての記憶が脳裏を駆け巡る。

 魔王城の最奥にある玉座の前でかしづく異形の強者つわもの達。

 それは、魔王軍の四天王と呼ばれる魔大陸の四方を統べる魔族の侯爵達。

 “四方魔侯”

 そして、玉座の傍らに控える、悪の女幹部的な装束の魔族の少女。

 秘書官のルーミアが「流石は魔王様です」と言って、屈託なく笑っている。

 何を言っても、何をやらかしても、彼女は基本的にこれしか言わない。もう、わかりきっている。

 しかし、どれだけ、その言葉に癒され救われた事だろうか……。

 そして、時が経ち勇者が出現し、玉座の前にかしづく四方魔侯の姿が、ひとり、またひとりとして減ってゆく。

 明るかったルーミアの表情も、翳かげりを帯びる事が増えた。

 しかし、彼女はそれが己の指命だとでも言うように、その言葉を口にし続ける。


「……流石は、魔王様です」


 そして、ある日の事だった。

 三人目の四方魔侯が勇者パーティに討たれた直後、ついに魔王は……。


「もう我慢ならん。我が直々に勇者パーティを地獄に送り込んでやる。そして、その臓物をこの手でえぐり、切り刻んでくれる……」


 玉座から立ち上がる。

 すると、ルーミアはこれまでに聞いた事もないような悲壮な声を上げて魔王にすがりつく。

「いけません! 魔王様……」

「何と……」

 ギーガーは、目をむいて驚く。

 ルーミアなら、またいつもの言葉を吐いて、満面の笑みで送り出してくれると彼は思っていた。

 そして……。

「お待ちください。おそれながら、これまで忠義を尽くして来た我々を信用できないと?」

 それは仰々しい黒い甲冑を身にまとった魔族。最強の四方魔侯ゴワルクであった。

「御身の強さは良く理解しております。しかしながら、この様な状況に追い詰められたのは、臣下である吾輩達がいたらぬがゆえ……その失態を埋め合わせるチャンスを、今一度、このゴワルクにお与えください」

 人形の様だった配下達が、ここまで強く魔王に逆らったのは、後にも先にもこのときだけだった。

 結局ギーガーは悩んだ末に、彼に勇者パーティ討伐を一任する。

「吾輩にお任せあれ……」

 そう言って、ゴワルクは一礼の後、ギーガーに背中を向けて魔王城を後にした。


 しかし、彼は帰ってこなかった……。




 拳の暴風雨を顔面で受けながらギーガーは思った。

 自分はひょっとして、か弱き存在であるから臣下の者達に庇護されて来たのだろうか。

 自分はひょっとして、臣下の者達から頼りなく思われていたのではないか……。

 現にこうして、人間の娘に組伏せられて滅びかけている。

 自分は魔王などと大層な肩書きを標榜しながらも、実のところ脆弱ぜいじゃくな存在だったのではないか。

 我は弱い……。

 意識が、死の向こうへ沈みかけたその瞬間だった。

 魔王の瞳に悪魔じみた輝きが戻る。



「……否。それは……断じて否ッ! 我は最強の魔王也なりッ!!」


 魔王の形態変化エクストラスキルが発動した。




「いやあああああああああああああああッ!!!」

 もう良くわからないぐらい絶叫しながら、フランティーヌは拳を振り下ろし続ける。

 その背中を見てアンナはほくそ笑む。

 まさかフランティーヌがここまで強いとは思わなかった。

 そして、この爆発的な怒りが、もしも自分の方に向いたらと思うと背筋がゾクゾクして身体が火照ってくる。

「あぁ……スゴくイイわ……あ」

 もう彼女の膿うんだ脳味噌は一周回っていくところまでいっていた。

「フランティーヌさん! そのまま押し切ってっ!」

 アンナの叫び声が坑道内に響き渡る。

 その直後だった。

 フランティーヌが右の拳を振り上げ、入れ違いに左拳を叩きつけようとした。

 すると、彼女の左腕が肩口から千切れて飛んだ。

 アンナはその信じがたい光景を目の当たりにし、大きく目を見開いて絶叫する。

「フランティーヌさぁあああんっ!!」

 空中に弧を描き飛び散る鮮血。

 くるくると回転しながら落下する彼女の左腕。

 アンナの目には、すべての時間がゆっくりと流れている様に思えた。

 そして、千切れた左腕が床に落ちる寸前だった。

「うああああああッ!!」

 フランティーヌの身体が吹き飛ばされる。

「フランティーヌさんっ! フランティーヌさんっ!」

 アンナは必死に地面に横たわり、大量の血を流すフランティーヌに駆け寄った。彼女の傍らで屈み、その身体を抱き上げる。

「しっかり……しっかりして……」

「アンナ……あ、あたし、さっ、流石に……もう駄目かも……」

 青ざめた顔。弱々しい言葉。アンナにとってはすべてが極上のおかずだった。もうこれだけで、ごはん十杯はいける。

 しかし、その悦楽と共に彼女の気持ちをぐちゃぐちゃにかき乱すのは、あの感情だ。

 フランティーヌが投獄されたと聞いたときに味わった、吐き気をもよおすほどの強い損失感。

 それは、もうすぐ訪れるであろうフランティーヌの死という運命に対して憤る強い想いであった。

 その瞬間、アンナは理解した。

「そうか……わたし」

 自分は悪役になりたかったのではない。

 大好きなヒロインフランティーヌの歪んだ顔が見たかっただけだったのだ。そのために悪役になったのだと……。

 彼女が死んでしまったら、二度とそれを見る事が出来なくなる。

 アンナはようやく理解した。

 自分はフランティーヌの事が大好きだったのだと……。

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