【13】拳聖


 それは、アレックスがようやく目覚めた頃だった。

 薄暗い坑道の中に金属音が響き渡る。

「くそ! くそ! くそッ!」

 ヒロインらしからぬ悪態を吐きながら婚約破棄ヒロインのフランティーヌ・イッテンバッハは、トロッコのレールの上に足枷の鎖を置き、近くにあった岩を何度も振りかざす。

 しかし鎖の輪が少しだけひしゃげたところで、岩の方が砕けてしまう。

 フランティーヌは割れた岩を投げ捨てて、その場に大の字で寝転ぶ。

「ちくしょう!!」

 荒く乱れた呼気を整えながら、どうにか右肩で額から右頬に滴った汗をぬぐう。

「ていうか、何であたしが……ルドルフだろ。婚約を破棄したのは……」

 フランティーヌは、その婚約破棄こそが脚本テンプレの流れであるという事を知らなかった。

 だから、あそこはルドルフとの婚約を破棄しないのが正解だと勘違いしていた。

 問題はその後の彼女のあまりにもヒロインらしからぬ狂態にあったのだが……。

「あの肥溜め野郎め。ここから帰ったら本当にぶっ殺してやる……」

 散々な言われようのルドルフである。

 しかし、その彼が、すでにアンナによって銃殺されている事など知るよしもなかった。

 フランティーヌは、ひとつ坑道の天井に向かって息を吐き出し、上半身を起こす。

 立ち上がろうとしたところで、その音が聞こえて来た。

「何だ?」

 それは、まるで病人の様な「あ゛ー」という呻き声と、大勢の足音。

 魔法の明かりで照らされた坑道の向こうから、不浄なる死者達の大群がやって来た。

 魔王ギーガーが創造したゾンビ軍団である。

「きゃっ!」

 それは、さっきまで怒りにまかせて悪態を吐いていた彼女が発したとは思えない可愛らしい悲鳴だった。

「お化け?! ……来るなっ! 来ないで……」

 やっぱりフランティーヌも、人並みにお化けとかそういうのが怖かった。

 立ち上がり、後退りして、ゾンビ軍団の来た方向とは反対側に逃げようとする。

 しかし右足の鉄球のせいでろくにスピードが出ない。

「お゛ー」

 ゾンビ軍団が徐々に彼女へと迫る。

「やめて……あたし、ああいうの本当に無理……助けてッ!」

 何とか右足の鉄球を引きずりながら、歩む速度を速めようとするが、坑道は徐々に登り坂となってゆく。

「あ゛ー、お゛ー」

 ふとフランティーヌが後ろを振り向く。かなり距離を詰められていた。

 先頭のゾンビのアーモンド形の鼻孔、ぽっかりと空いた眼窩がんか、そこからこぼれ落ちる蛆虫がはっきりと見えた。

「きゃーっ!!」

 普通の女子らしき悲鳴をあげる。

 慌てて前を向いた瞬間に足がもつれて転んでしまう。

「あ……あ……あ……助けて……助けて……」

 どうにか膝を突き立ち上がろうとする。しかし、もたついてしまい、もう一度、膝を突いて転んでしまう。

「あ゛あ゛お゛ー……」

 その背中に先頭のゾンビ達の蛆虫まみれの腕が伸びる。

「……もう、お願い……やめてぇえええッ!!」

 それは咄嗟の反応であった。

 フランティーヌは無意識のうちに、勢い良く逆立ちしながら身体を思い切り捻っていた。

 すると右足の鉄球が振り回され、群れの先頭にいたゾンビ達の頭を一気に薙ぎ払う。

 数体のゾンビが血飛沫を撒き散らして吹っ飛ぶ。

 更についさっき岩で叩いて劣化していた鎖が千切れる。鉄球が勢い良く飛んでいった。

 フランティーヌは、そのまま地面に突いた両手を屈伸させ飛び跳ね、両足で着地した。

「……てめーら、いい加減にしろよ? この死に損ない共……」

 完全にぶちキレたフランティーヌ。しかし、ゾンビ達は恐れる事なく彼女に殺到する。

 フランティーヌは、そのゾンビ達の頭を木板の枷でぶっ叩き、掌打で頭を跳ねあげ、そのしなやかな美脚を振り回し、次々とぶちのめしてゆく。

 それは、かつて東方の有名な格闘家が獄中で手枷をはめたまま練り上げたという拳法の奥義。

 そして南方の奴隷達が、反乱の際に手枷をつけたまま戦う事を想定して編み出した足技主体の格闘術。

 フランティーヌは、この二つを知っていた訳ではない。

 しかし【格闘術level8】という才能と【ex気合いlevel8】の二つのスキルが、彼女に瞬時の閃きを与えた。

 フランティーヌが手枷で拘束された両手を突きだすたびに、そして、その両脚を振り回すごとに、ゾンビの頭が熟れた西瓜すいかの様に砕け散る。

「いい加減にしろ! この廃棄肉!!」

 ……どしゃ! ぐしゃっ!

 湿り気を帯びた打撃音と共に、実に彼女らしい雄叫びが響き渡り続ける。

 それから数分後だった。

「はあ……はあ……はあ……」

 フランティーヌの周囲には、累々たる腐肉の原が広がっていた。

 足元できいきいと地面を引っ掻く、千切れた手首を思い切り左足の踵かかとで踏みつけ、フランティーヌは……。

「おぇ……気持ち悪」

 と、自分のやった事の酷さにゲロを吐いた。




 それからフランティーヌは、ゾンビがやって来た方向とは逆に黙々と進み続ける。

 坑道の傾斜は更に大きくなり、トロッコのレールと共に緩やかなカーブを描いていた。

 何度か休憩を挟みながら、しばらく登り続けると大きな岩室に辿り着く。

 天井は高く、鍾乳石が垂れ下がっており、その合間には蝙蝠こうもりの群れがぶら下がっていた。

 空間の中央でずっと続いていたレールは終わっており、そこには一両のトロッコがあった。

 そのトロッコの真後ろに登り坂の入り口が見える。

 フランティーヌは何となくトロッコに近づく。中を覗くと簡素な麻のバックパックが入っていた。

 少し逡巡したが恐る恐る縛られた口を開けてみる。

 中には革の水袋と油紙に包まれたクッキーの様な保存食が二本、小さな革袋が二つ――中身はそれぞれ大きさの違う魔導弾が入っていた。共にリロード用のクリップでまとめられており、数は十発と十四発だった。

 とりあえず、水や保存食からおかしな臭いがしていないか確かめる。

 しかし手枷をしているためにえらく手間取ってしまった上に結局よくわからなかった。

 どのみちこのまま何も口に入れない訳にはいかないので、思いきって水を飲んで保存食をかじる。

「ふう……」

 水は普通だったし、保存食はバターの香ばしい風味とほんのりとした甘さがあり、中々の美味だった。

 ここにきてようやく、ほっとひと息つけた様な気になった。

 フランティーヌはトロッコを背もたれに座り込み、ぼんやりと天井を見上げて、しばしの休息を取る事にした。




 少しだけ時間をさかのぼる。

 そこは台地の上に広がる森の中であった。

 あの魔王ギーガーが創造したガーゴイル達が、突然に空から襲来した事によりパーティ追放者とおっさんの娘の勝負は、一時的に中断となった。

 ガーゴイルなど、さして強力なモンスターではないが、いかんせん数が多い。

 そしてゴーレム系のモンスターは往々にして、恐怖心と痛覚を持たないために、腕の一本や二本をもいでも、仲間をいくら殺しても、決して退いてはくれない。

「クソうぜぇ! 死ね! みんな死ね! 死ね! マジうぜぇ!」

 ガンブレードをスピンコッキングしながら撃ちまくり、左手の片手剣を振るう。

 カイン・オーコナーが、頭上を覆う木立の合間から飛来するガーゴイル達を次々と動かぬ瓦礫に変えてゆく。

 その場所から少し離れた木陰に隠れていたミラは、この混乱の中でカインを討ち取る隙を窺うが……。

 ガーゴイルが真上の木立を突き破って急降下して来る。

 背にしていた木の幹から離れ、右足を軸に振り向き木刀を一閃させる。すると、ガーゴイルの頭部が砕けると同時に木刀がへし折れた。

 元々、カインとの戦闘でガタが来ていたらしい。

「くっ……」

 すぐに新たなガーゴイル達が、ついさっきまで身を寄せていた木の幹の左右からやって来る。

 流石にガーゴイルだけならまだしも、素手であのカインと渡り合える気はしなかった。

「どこかで武器を探さなきゃ……」

 ミラはその場を撤退する事にした。

 彼女の圧倒的な脚力で一気に森を駆け抜ける。


 そして、もうひとり、その場から撤退を余儀なくされた者がいた。

 悪役令嬢のアンナである。

 唐突なガーゴイルの襲来に右往左往するカインとミラを、スコープ越しに見物していた彼女であった。

 しかし、三匹のガーゴイルが、木々の合間をぬって、アンナの方へと向かって来る。

「視認じゃなさそうね……温感? 厄介な」

 茂みに隠れたまま、魔導狙撃銃を発砲する。

 低空を飛びながら彼女へと接近中だった一体の頭部が砕け、地面に墜落する。

 アンナはボルトを前後に動かし排莢と装填。更に発砲。

 再びヘッドショットを決める。

 残りの悪魔の石像ガーゴイルも素早く撃ち落す。

 そこでアンナは、カイン達のいる方向とは反対側へと退く事にした。

 彼女の愛銃であるヘルダーMSR94は、最大総弾数が十発である。

 もう残弾が三発と少ないので、どこかで補充しなくてはならない。

 薄暗い森の中をしばらく進むと、前方に開けた土地が見えて来た。

 そこは、森に囲まれた円形の土地で、中央に小高い塚があった。

 その斜面には洞穴の入り口が空いている。どうやら人の手によって掘られた坑道の跡らしい。

 坑道は緩やかに傾斜して地下へと続いていた。壁には等間隔で魔法のランプが並んでいる。

 アンナは森から出ると、その坑道へとひとまず身を隠す事にした。

 入り口を潜り抜け、奥へ奥へと進む。

 すると円形の天井の高い空間に辿り着いた。

 その中央にあったトロッコの左側にもたれ掛かり、地面に腰を下ろしていた人物が、アンナの方を見なから手を振った。

 フランティーヌ・イッテンバッハである。

 アンナは咄嗟に魔導狙撃銃を構える。

 すると彼女は股に乗せていたバックパックから保存食を取り出して微笑む。

「……食べる?」

 その瞬間、アンナのお腹が子犬の鳴き声の様な音を立てた。

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