【08】頭の良いバカ
部屋の天井で青白い炎を灯す魔法のランプの回りを毒々しい模様の蛾がヒラヒラと舞っていた。
数は全部で七匹。
その中でもっとも小さな蛾が螺旋を描きながら落下する。
「クソ……クソ……何で俺はこんなについていないんだ」
それは石造りの陰気な部屋の片隅だった。
そこで、外れスキル男のアレックス・モッターは膝を抱えながら、石畳の上で仰向けになった蛾をぼんやりと見詰めている。
蛾は六本脚を弱々しく蠢かせ、時おり力なく羽ばたき、毒々しい燐粉を振り撒いていた。
やがて、床でもがき続ける蛾は六本の脚を内側に丸め、ゆっくりと動きを止める。
その直後だった。
部屋の唯一の入り口から人影が姿を現す。
アレックスは脅えた顔で悲鳴を上げた。
「ひぃっ!!」
「落ち着いて……」
それは、ナイトキャップに寝巻き姿の眼鏡っ子であった。
眼鏡っ子は、アレックスの顔を見ると、ほっとした表情で溜め息を吐いた。
「探したわ。あなたの事」
そう言ってアレックスへと歩み寄ろうとするが……。
「よっ、寄るな! 俺を最初に殺そうっていうの? やめてよ、放っておいてよ!」
「落ち着いてって……」
「どうせ俺は死ぬつもりだったんだ。ここで餓死するつもりなんだから邪魔をしないでよ……」
「落ち着きなさい……」
「そもそも、俺みたいな“能無し”が“外れスキル”で一発逆転? そんな訳ないだろッ?!」
「だから、ちょっと落ち着いてって……」
「どーせ君も、他の女の子みたいに俺の事を陰で笑っていやがるんだろ? あー、嫌だ、嫌だ! 女ってやつはこれだから……」
「少し黙って……」
「あー! あー! あー! 聞こえない! 聞こえない! だから向こうに行けよ、バカ野郎!」
耳をふさいで背中を丸めるアレックス。
眼鏡っ子は、ぎりっ、と音が聞こえるほどに大きな歯軋りをした。
両手の拳を力一杯に握り締め、大股でアレックスに接近する。
「ひっ……やっぱり……殺す気かぁあああああ……ひぃ……」
眼鏡っ子は悲鳴を上げるアレックスの襟首を左手で掴み、無理やり立たせる。
「いい加減に……」
「ひぃいいい……」
「しろッ!!!」
乾いた打撃音。
眼鏡っ子は、持っていた鮫のぬいぐるみを床に落としながら、彼の頬を思いきり張った。
再び力なく腰を落とすアレックス。赤くなった頬を左手で抑えながら、唖然とした表情で眼鏡っ子を見上げる。
彼女は腰に両手を当てて、まるで幼子にそうする様に怒鳴った。
「ちょっと!! 私の話を聞きなさい!!」
「は、はい……」
アレックスは彼女に従う事にした。
「まず自己紹介。私の名前はメルクリア・ユピテリオよ」
眼鏡っ子が名乗りをあげると、アレックスは目を丸くして驚く。
「メルクリア・ユピテリオって……えっ……あの伝説の大賢者メルクリア・ユピテリオ?」
大賢者メルクリア・ユピテリオ。
この世界では、その名を知らない者はいない。
魔法という学問と技術を完成させた者として、歴史にその名を刻む最高の魔法使いスペルキャスター。
半ば神話の中の人物である。
彼女の偉大なる功績は星の数ほどある。
その中で最も有名なものと言えば、今から五千年前に異世界からやって来た不浄なる邪神の軍勢をたったひとりで討ち滅ぼした事だろう。
彼女がいなければ、この世界は邪神に支配され、今とはまったく違う歴史を歩んでいたと言われている。
「……まさか。んな訳ないか……君があの伝説の大賢者だなんて……あははは」
「そのまさかよ」
眼鏡っ子は、びしっ、と格好いい立ち姿で胸元に手を当てて、まるでこの世界そのものであるかの様などや顔を決める。
「……私が伝説にして至高の大賢者メルクリア・ユピテリオ、その本人よ!」
「えぇ……」
やはりアレックスは信じられなかった。この自分と同い年くらいの眼鏡っ子があの大賢者などとは……。
しかし、それを言うと、また殴られそうな気が何となくしたので、彼はこの自称メルクリアに話を合わせる事にした。
「……で、その、メルクリアさん」
「何? 大賢者だからどんな質問にも答えてあげる。私、大賢者だから」
びしっとした立ち姿を崩さぬまま自称メルクリアは返事をする。
「どうして、あなたは、こんなクソゲーに呼ばれる事に? そもそも、あなたは五千年前の人間な訳だけど」
伝説によると、邪神の軍勢を倒したあと、彼女はその力を使い果たして永遠の眠りについたとも、更なる知識を求めて宇宙の果てに飛び去ったとも言われている。
「ああ……それについては良くわからないのよね」
「わからない?」
どんな質問にも答えてくれるんじゃあないのか……と、アレックスは言いそうになったが、殴られそうなので黙っていた。
「……あのね。私、あの気持ち悪いウジャウジャしたの倒したじゃない?」
「ウジャウジャって……もしかして、伝説にある不浄なる邪神の軍勢の事ですか?」
「そうそう。それそれ。何かタコみたいな連中」
大賢者にしてはノリ軽いなあ……と、思ったがアレックスは黙っていた。
彼の胡乱うろんげな眼差しを気にする事なく、メルクリアは話を続ける。
「あいつらを倒したあとに思ったのよね……私」
「何をです?」
「あ、もうこれ、極めた・・・って……」
「はい?」
真顔で首を傾げるアレックスにメルクリアは、揺るぎない大海原の様などや顔で言い放った。
「だから、すべての魔法よ。なんかもう天才的な大賢者の私、極めちゃったな……と」
「えっと……」
あまりのどや顔に唖然とするアレックスを置いてきぼりにして、メルクリアは更にぺらぺらと語り続ける。
「もちろん、この業界の偉大なるトップクリエイターとして、後進のために燦然さんぜんと輝く道しるべになってやっても良かった訳よ。私の歩みと共に魔法文化は未来永劫、発展してゆく……私の前に道はなし……でもね、そうなっちゃうと二度と味わえなくなっちゃう事もある訳。それが何かわかるかな?」
当然ながらアレックスは首を横に振る。
するとメルクリアは、額に手を当てて大袈裟な溜め息を吐いた。
「やっぱり、凡人にはわからないのかしらねぇ……天才の気持ちが……天才は孤独だわ……天才辛いわ……」
少しイラっと来たアレックスであった。
しかしメルクリアは、まったく意に介した様子も見せずに話を再開する。
「いいかしら。答えは簡単よ。それは何者かと競い合う悦び……。遥かなる頂きをひたすらに目指す幸せ……。それは極め人の私には決して手に入らない極上の火酒なのよ」
「つまるところ、ライバルとか目標が欲しかったという事ですか?」
アレックスがそう言うと、メルクリアは屈託なく笑いながら両手を叩く。
「そう。まさにそれよ! あなた、見かけによらずやるわね。頭の悪いバカはたった一行でまとめられる事を語るのに、言葉を膨大に費やして時間を無駄にするの。あなたは違うみたいね。見所はあるわ!」
「そ……そうですか」
アレックスは、それ以上、何も言えなかった。
「どうしたの?」
「いえ。別に……」
もちろん、そのバカはお前だよ……だなんて、口が裂けても言えない。そんな度胸は彼にはない。
「で、結局、この話は何なんですか? 完全に本題が迷子なんですが……」
「まって。結論を急がないで」
メルクリアはアレックスに右手をかざす。
そして、こほん、と咳払いをひとつ。
「……兎に角、ライバルとか目標とかそういうのを見失っちゃった私は考えた末に、寝る事にした。五千年くらい」
「な、何で、そんな結論に……」
訳がわからない。
しかし、メルクリアは、それがまるで宇宙の定められた法則であるかの様に言う。
「決まってるでしょ。五千年くらい経てば、流石にこの超天才の私に時代がやっと追い付くかなって。魔法も研究とか色々進んで私のいる時代から超進歩しているかなって」
「ああ……」
微妙な表情になるアレックス。
実は今から二千年前くらいに天変地異が起こり、この世界は一回崩壊している。
そのために魔法どころか文明は、彼女が眠りに就く前よりもかなり衰退していた。
「……で、深海の奥深くにある秘密の神殿で私は長き眠りについたのよ。それで次に目を覚ました時には、私くらいの魔法使いが普通にたくさんいるレベルになってるんだろうなって。そういう人達と切磋琢磨出来るんだろうなって」
海底の神殿で長きに渡り眠るって、お前が邪神みたいになってるよ……と思ったが、アレックスは黙っていた。
因みに各術式の最高位である第九級位は、未だにメルクリア・ユピテリオ以外に使える者は現れていない。
第八級位や第七級位、第六級位ですら、使える者は世界にほんのひと握りしかいない。
「……で、この前、久々に目を覚ましたんだけど……」
ピンクの調度品で彩られた可愛らしい部屋の中央に鎮座する天蓋つきのベッドで、鮫のぬいぐるみを抱き締めたまま眠るメルクリア。
通常の睡眠とは違い、ほぼ死んでいるのと同一の爆睡状態だ。これは彼女の持つ安眠スキルによる伝説の超安眠である。
ゆえに滅多な事で目覚めはしない。
なので、二千年前の天変地異の際も、けっこう神殿内は大きく揺れたりしたのだが熟睡したままだった。
ともあれ、きっかりと五千年が経過した瞬間。おもむろに上半身を起こすメルクリア。
寝ぼけ眼を擦りながら、魔法で眼鏡を召喚し、ベッドの脇に転がっていた
そして、大きなあくびをすると……。
「あと五千年くらい良いよね、別に……」
彼女は再びベッドに身を横たえて寝てしまった。
「……ていう訳で、次に目が覚めたら、あの白い空間にいたんだけど、私の行動の何がいけなかったというのかしら、あの神様は……」
「えぇ……」
アレックスは、じっとりとした眼差しでうつむきながら苦笑する。
そして、率直に自分の考えを述べた。
「多分、その、二度寝が良くなかったんじゃないですかね……」
「そうなの? うーん……」
顎に人差し指を当てながら思案顔をするメルクリア。
アレックスは、そんな彼女を見ながら思った。
この人、多分、最も厄介な部類のバカだ……と。
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