【06】おっさんの娘


 ルーク・レブランは今年で四十歳になる。

 いわゆるおっさんであった。

 しかし元々は有名な冒険者パーティ『かささぎの爪』に在籍していた腕利きの偵察兵スカウトである。

 剣の腕前もかなりのもので、若い頃、百人からなる盗賊団をたったひとりで壊滅に追い込んだのは今でも騙り種だった。

 整った目鼻立ちながらも、だらしなく草臥くたびれた容姿からは、まったく想像できない事であるが。

 そんな彼が冒険者を引退したのは九年前の事だ。

 その日、ルークは遺跡探索の帰り、鵲の爪の仲間と共に、ある山間の村を訪れた。

 いや。

 そこは、かつて村だった場所――と言った方が正解であろう。

 山肌に建ち並んでいたささやかな家々は崩され、丹念に育てられていた畑の作物は踏みにじられていた。

 いたるところに引き裂かれ、なぶられた老若男女の死体が転がっている。

 豚頭の妖魔オーク達の仕業だった。

 その凄惨な光景を仲間と共に練り歩いていると、誰もいない路地で泣き叫ぶ女児を発見する。まだ三才くらいだろうか。

 とても整った顔立ちをしており、全身がオークの返り血にまみれていた。

 しかし、本人に怪我はないようである。

 兎にも角にも、鵲の爪はその女児を町へと連れ帰る事にした。

 引き取り手を探すも、その子が何故かルークになついてしまい、離れてくれようとしない。

 困り果てたルークだったが、ちょうど体力面の限界から、そろそろ引退を考えていた。

 片田舎に引っ込んで、この子の成長を見守りながら第二の人生を歩むのも悪くはないと思い、彼は女児を引き取る事にした。

 こうしてルークとミラの、温かで緩やかな日常が幕を明けるはずだった。

 ルークの元にかつての仲間が訪れるまでは……。




 それは見晴らしの良い高原にある丘の上に建った、丸太造りの家だった。

 十二歳になったミラは、養父のルークの元へと南瓜のスープとパンを運ぶ事にした。

 ずいぶんと料理は上手くなった。

 だが、育ててくれた養父の腕前にはまだまだ及ばない。

 ミラはそう自嘲して、台所から寝室へと続く薄暗い廊下を渡る。

「ルーク。ごはんだよ……」

 彼女はルークの事を名前で呼ぶ。

 もちろん彼の事が大好きだったし、尊敬もしていたし、感謝もしていた。

 だが彼を「お父さん」とは呼びたくなかった。

 その気持ちが何なのかは、まだ幼い彼女には知るよしもない。

 ともあれ、ミラはランプの灯りを点した。

 乳白色の灯りに照らされた室内の窓際には、大きな寝台が置かれており、

そこにはルークが広い背中をミラの方に向けて寝転んでいた。

「ルーク……起きてる?」

 返事はない。

 しばらく、無言でその背中を見詰めたあと、ミラはサイドボードの上にお盆を置いた。

「ここ、置いておくね……」

 そう言って、ミラはルークの寝室をあとにした。

 残されたルークは、震える右手を押さえながら「すまない、ミラ……」と繰り返しながら咽び泣いた。




 ルークが寝たきりになってしまったのは、その年の始めの事だった。

 ささやかながら満たされた生活を送る二人の元に、かつての鵲の爪の仲間達が訪ねて来る。

 もう一度、ルークの力を借りたいとの事だった。

 何でも近々、勇者パーティの面々が、魔王軍の重鎮ゴワルクの居城であり、戦略的な要所でもある『骸骨砦』を攻め落とすために動き出したのだという。

 この骸骨砦さえ落とせれば、魔王軍に大打撃を与える事ができ、人類は失った版図の多くを回復できる。

 しかし骸骨砦の防備は完璧で蟻の子の入る隙間もない。

 ついこの前も、ある国の屈強な騎兵隊が総勢二十万でこの砦に攻め込み、全滅の憂き目にあったばかりであった。

 そこで、勇者パーティは少数精鋭で砦に侵入し、ゴワルクを討つ事にした。

 その際の斥候せっこうを、腕利きで知られる鵲の爪に依頼して来たという訳だった。

「世界最高の偵察兵と呼ばれた、お前の力が是が非にも必要なんだよ。ルーク……今回限りだ! 私達もお前を全力でバックアップするから!」

 温もりある調度品に囲まれたリビングの応接で向かい合い、深々と頭を下げるパーティリーダーの女剣士ユーミリア。

 憎からず思っていた彼女の熱意にほだされ、ルークは再び重かった腰を上げる。

 そうして出発の時。

 玄関の庇ひさしの下で、不安げな顔をするミラに向かって、ルークは、

「帰って来るまで、ちゃんと留守番してるんだぞ?」

 それを聞いたミラは唇を尖らせる。

「もう子供じゃないもん! みんなひとりでできるもん!」

「あはは……そうだな。ごめん、ごめん」

 と、まぶしい笑顔で、ミラの頭の上にごつごつとした大きな手を優しく置いた。


 しかし、帰って来たルークは変わり果てていた……。




 女剣士のユーミリアによれば、敵の方が一枚上手で鵲の爪は罠にかかってしまったらしい。

 その際にルークは仲間を逃がすために囮になって、敵の捕虜となったのだという。

 そして、強力な毒の剣で身体を貫かれ、回復魔法でも直せない重い後遺症を負ってしまったのだ。

「……私の命があるのは彼のお陰だ。そして、私のせいだ……本当にすまない……すまない」

 前に訪れた時と同じ様にリビングのソファーに座り、頭を深々と下げるユーミリア。

 しかし、今回、彼女と向き合っているのはミラひとりだった。

「ルークは立派だった。勇者達にも劣らない英雄だよ。あの男は……」

 部屋にあるものは以前から何も変わっていないはずなのに、そこが何時の間にか墓地の納骨堂に、様変さまがわりしてしまった様に感じられた。

 ミラは後悔した。やはり、自分も一緒について行くべきだったと……。

 彼女も幼いながらに戦いの心得はあり、下手な冒険者などよりずっと強かった。

 しかしルークが頑として、同行を許してくれなかったし、彼は戦う訳じゃなく斥候が目的だから危険はないと言って聞かなかった。

 ミラは、結局その言葉を信じてしまったのだ。

 このときはまだ、ルークが怪我をした事は悲しかったが、それは世界平和のためなんだと納得できた。




 ミラはルークの様な斥候の才能はなかったが、剣士の才能スキルには恵まれていた。

 戦いの基礎は幼い日にルークに叩き込まれ、それ以来、我流で磨き抜いた剣術は既に人外のレベルに達していた。

 九歳の時にひとりで飛竜ワイバーンを狩り、ルークの度肝を抜いたのも良い思い出だ。

 流石にこの領域の強さは、一流の剣士でもあったルークの教えと彼女のスキル【剣術level7】と、絶え間ない努力だけでは到達できない。

 その秘密は彼女の出生にあるのだが……。

 ともあれ、その日も彼女は日課としていた千回の素振りを玄関前で終えた。

 するとレブナン邸から高原の麓ふもとまで続く長い道を誰かが登って来るのが見えた。

 それは薄汚れたローブ姿の老人であった。杖を突き、腰が鉤の様に曲がっている。

 フードを被っており、顔は良く見えない。

 練習用の木刀を肩に背負ったまま、訝いぶかるミラの元に来ると、老人は突然こう言った。


「復讐したくはないか?」


 主語が抜けていた上に、思い当たる事もなかったのでミラは首を傾げた。

 すると、その老人は言葉を続ける。

「勇者パーティだ。やつらは骸骨砦を攻略するために、お主の父を捨て石にしたのだ……」

「嘘! ルークは自ら犠牲になったって……」

「嘘ではない……」

 その瞬間、ミラの意識の中に覚えのない光景が流れ込む。


 ……それは、何処かの高級な酒場で飲んだくれる四人の姿だった。

『おい。カインの奴は?』

 整った顔立ちの男が問う。

『誘ったんだけど、また断られちゃった』

 派手な外見の女が答える。

『何時もの事』

 そう言って、知的な感じの女が酒杯に口をつける。

 そして、豚みたいな大男が肩をすくめて飽きれ顔をする。

『それにしても、あいつには引いたぜ。何の躊躇もなく人質を毒の剣で貫きやがった』

『ああ。ルークとか言ったか? あの冒険者、もう使い物にならないだろうな……。ははは。ああは、なりたくねーぜ』

 整った顔立ちの男が笑う――


「何……今の?」

 驚いた顔のままのミラが老人に訊ねる。

「その四人が勇者パーティじゃ。そして、そなたの父をあんな風にしたのは、勇者パーティの五人目……」

「そいつが、ルークを……」

 呆然と呟くミラ。

 その幼き瞳には憎悪の種火が仄かに灯る。

「……もう一度だけ問おう。そなたは復讐したいか?」

 ミラは逡巡する。

「……でも、ルークのお世話をしないと……」

「それはこちらで何とかしよう。心配するな……」

 次の瞬間、気がつくと彼女は、あの白い空間に立っていた。




 こうして、おっさんの娘であるミラ・レブナンは、狂ったゲームに参加する事となった。

 しかし、彼女は何故“テンプレ逸脱者イレギュラーズ”として、認定されてしまったのか。

 一見すると、ミラには何の落ち度もない様に思える。

 実は脚本によれば、彼女はルークの言いつけを破り、鵲の爪の後をこっそりつけて行くはずだった。

 もちろん、後でバレてルークに叱られるのだが、結果的に彼は、ミラの力で危機を回避できるはずだった。

 しかし、実際のミラは、聞き分け良くお留守番をしてしまった。

 彼女は良い子すぎたのである。

 ただのそれだけだった。

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