【04】悪役令嬢の矜持


……あ、この後の展開、知ってるわ。


 それに気がついたのは十二歳の誕生日を過ぎて神殿で洗礼を受けたあとだった。

 なぜか彼女は、詳細に知っていた。

 突然、未来に起こる事を思い出したのだ。

 その記憶は何なのか。

 それは彼女の持つスキル【exオト・メゲーの知識level8】のおかげだった。

 因みにモノリスの説明文には『オト・メゲーは神話に出てくる知恵の女神の名前である』と表示されるだけなで、彼女が未来の記憶を持っている事は誰も知らない。

 ともあれ、その記憶によれば彼女――アンナ・ブットケライトは、このままでは人生の破滅を迎えてしまう。

 彼女は、いずれ想い人となるルドルフ・フォン・ロッソーの寵愛を独占すべく、彼の婚約者であるフランティーヌ・イッテンバッハをあの手この手で陥れようとする。

 しかし、いずれその企みを看破され、投獄されて惨めな生涯を送る。

 そうならない様にあがく。

 悪役令嬢という与えられた役割から逸脱した行動を起こし、決められた未来を変えるために運命へと挑む。

 ならば、そう考える。

 しかし、アンナ・ブットケライトもまた普通の悪役令嬢ではなかった。

 これみよがしに用意された未来の記憶。

 その記憶を使って破滅を回避せよと、頭ごなしに言われた感じが、すこぶる気にくわなかった。

 未来に必ず訪れる惨劇を回避するために、運命に抗う。

 それ自体が何者かに定められた台本なのではないか……。

 ならば、ヒロインを貶め、謀たばかる悪役の自分こそが本物の人生なのではないか……。

 中二病が行き過ぎて一周回って頭のおかしいアンナは、運命に抗う運命を全力で回避する事を決める。

 つまり、

 悪役令嬢は悪役令嬢らしく振る舞う。

 奸計を蜘蛛の糸の様に巡らし、物語のヒロインであるフランティーヌをひたすら妨害して陥れる。

 運命に逆らう運命に逆らい、アンナは悪であり続ける自分に酔いしれた。

 そして、あまりの手際の良さにフランティーヌは彼女の悪事にまったく気がつかない。

 何かあっても、何か運が悪かったと顔をしかめるだけだった。その影でアンナがほくそ笑んでいる事など知るよしもない。

 そうして、月日は流れ、例の舞踏会が差し迫まる。

 未来の記憶によれば、口車に乗ったルドルフが、この会の最中に婚約破棄を宣言する。

 アンナはというと親族会議のために遠出する事になっており、この会には出席できない。

 フランティーヌの悲しむ顔を直接見れないのはとても残念であったが、それは仕方がない。仕込みの方は上々である。

 しめしめ、すべて計画どおりだ……などとほくそ笑み、婚約破棄を告げられた瞬間のフランティーヌの顔を妄想しながら、結果が出るのを大人しく待つ事にした。

 それから数日後。

 自宅居間の猫足ソファーに座り、窓の外の薔薇園をながめながら優雅な所作で紅茶をすすっていると、顔をぼこぼこに腫らしたルドルフが訪ねて来た。

 回復魔法のお陰で彼の傷は癒えて骨はつながってはいたが、よほど手酷かったのか、まだ顔の形が戻りきっていなかった。かなり痛々しい。

「あら、酷いお怪我ですこと……お加減の方は?」

 給仕をさがらせたあと、アンナは平静を装いルドルフに問う。しかし、内心では、この状況を不審に感じていた。


 ……おかしい。

 ……わたしの知っている記憶とは違う。


 彼女が思い出した未来の記憶には、このタイミングでルドルフが顔を腫らして訪ねて来るなどという事はなかったはずだった。

 ルドルフは彼女の対面に腰をおろすと、肩を落としてぽつりぽつりと事の顛末を話し始める。

 そして、どうやら、ルドルフの顔は夜会でフランティーヌに、ぼこぼこに殴られたものらしいと知る。

「……そんな。あのフランティーヌさんが……」

 何かがおかしい。

 訝いぶかるアンナをよそに、ルドルフは目に涙を浮かべながら語り続ける。

「君の言った通りだ。あのフランティーヌはとんだ性悪女だったよ……」

「そんな……馬鹿な……」

「貴族の僕に手をあげたのだ……このまま彼女は死刑だろうね」

「このままでは……」


 ……勝ってしまう。


 フランティーヌが死に、惨劇は回避されてしまう。

 普通ならば喜ばしい事だろう。

 それも悪役令嬢という役割に徹しての勝利。

 しかし、彼女の心に去来したのは吐き気をもよおすほどの強烈な、正体不明の損失感だった。

 アンナは思った。

 損失感の正体が何なのかはさておき、原因は神にある、と。

 自分が運命にあらがわない事を良く思わない神が、事象に介在して強引に運命をねじ曲げた。

 それゆえに、こうして【exオト・メゲーの知識】で知り得た未来とは違う結末が訪れてしまったのだと……。

 実は【exオト・メゲーの知識】は、いくつも存在する未来のうちのひとつを覗き見れるだけのスキルである。

 なので、このスキルで得た未来の記憶通りに行動しても、かならずそうなるとは限らないのだ。

 未来は可能性に揺らぎ、常に不確定なのだから……。

 しかし、アンナは中二病だったため、神様が勝手に定められた運命をねじ曲げたと決めつけてしまった。

「……アンナ? どうした?」

 突然、ふらふらと立ちあがるアンナの背中を見守るルドルフ。

 彼女は突然マントルピースの隣にあった戸棚の鍵を開けて、その中から魔導狙撃銃マギライフルと弾倉を取り出す。

 弾倉を差し込みセーフティを解除した。ボルトを押し込みコッキングする。

「お、おい……アンナ、何を……」

 狼狽えて立ち上がるルドルフ。

 そんな彼に銃口を向けながらアンナは天井にむかって叫ぶ。

「聞こえる? 神よ……わたしは貴方には屈しない」

「アンナ、落ち着いて。やめろ! 銃をおろすんだ!」

「わたしは生まれついての悪ッ!」

「アンナ、突然、何を……君まで頭がおかしくなったのか?!」

「わたしは誰にも縛られない純粋なる闇! 邪よこしまなる者! 何にも染まらない漆黒! その高貴なるわたしの運命を勝手に弄ぶ事など、許しがたい愚行であるッ! 例え惨劇が回避されたとしても、悪役であるわたしは舞台上から降りはしないッ!!」

 彼女の内でマグマの様に煮えたぎっていた中二病狂気が噴火する。

「アンナ、君はいったい何の話をしているん」

 ルドルフのその言葉の語尾を銃声がかき消した。

 アンナは【狙撃level6】のスキル持ちなので狙いは正確だ。

 ルドルフの眉間が砕け、吹っ飛ばされて長椅子の背もたれの後ろへとひっくり返る。

「悪には悪の矜持きょうじというものがある!! それを曲げる事など、例え世界が滅びても有り得ないッ!!」

 アンナは再び天井に向かって叫ぶ。

 そこで部屋の扉が開いた。

 扉口に姿を現した給仕が床で血を流すルドルフの死体を見て悲鳴をあげる。

 ボルトを前後に動かし排莢と再装填。直後の銃声。

 給仕のエプロンドレスの胸元が鮮血に染まる。


「あははははははははッ! 悪ってサイコーに気持ちいいぃぃぃぃのぉぉぉぉぉぉよぉおッ!!」


 それからアンナは、駆けつけた衛兵に“睡眠スリープ”の魔法をくらって制圧される。


 そうして、次にアンナが我に返ると、見知らぬ白い空間に立っていた。




 そこは森の中だった。

 頭上の木立の隙間からは、青い空と輝く太陽が見える。

「……弾薬もいろんなところに隠してあるので、思う存分に撃ちまくって……うわっ! 何をするんじゃ!!」

 弾薬が補充可能であるとわかった途端、アンナ・ブットケライトは躊躇なくラエルに向かって引き金をひいた。

 銃弾を受けたラエルは破裂し、紫色の汁を撒き散らしながら落下する。

「ったく……いきなり撃ち殺すでない……ちょっと、まっとれ。今、新しいのをそっちによこすからの」

 アンナは、どうせラエルを撃ち殺せたとしても、何らかの形で復旧する事は読んでいた。

 問題はそのスピードと方法だ。

 アンナはラエルが破裂してから頭の中で数をかぞえる。


 百二十一、百二十二 、百二十三……。


 すると、右手の木立の隙間から見える崖の向こうから、新たなラエルがやって来る。飛行スピードはかなり速い。

 ラエルはアンナの頭上までやって来て、空中で翼をはためかせながら止まる。

「……あー、すまん。待たせたの。それで、どこまで話したっけ? あ、そうそう……」

 再び新しいラエルから神様の声が聞こえ始める。

 それを聞きながらアンナは、移動し始める。

 さっきの銃声を聞いて他のゲーム参加者がやって来るかもしれないからだ。

 アンナは歩きながら、今までで判明した事をまとめる。

 まずラエルが再起不能になると、新しい個体がどこからか飛んでくる。

 その場所はさっきアンナがいた場所から右手方向にあり、ラエルの飛行スピードで百二十三秒の距離にある。

 そこが神様のいる拠点である可能性は高い。

 もちろん方向などは気取られぬ様に誤魔化している可能性もある。

 しかし、少なくとも新しいラエルが飛んでくるまでの時間は神様の眼に触れる事なく行動が出来る。

 この事実を知れただけでもかなり大きい。

 そして、あの白い空間での事。

 最初にアンナが発砲したとき、神様は血を流していた。

 更にあの黒コートのガンブレードの攻撃を神様はかわした。

 攻撃をかわすのは、攻撃が当たったらまずいからだ。

 そして血を流していたという事は、銃弾をぶち込み続ければ、いつかは殺せるという事だ。

 あの神様は全知全能ではない。

「化けの皮をはがしてあげるわ……」

 アンナは舌先で自らの唇をゆっくりとなぞる。

 彼女の目的はただひとつ――


 それは、“神殺し”

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