【03】猟奇的な婚約破棄


 それは、この狂ったゲームが始まる少し前の事だ。

 きらびやかな装飾に彩られた巨大な吊り照明シャンデリアや銀の燭台で揺らめく蝋燭達の明かり。

 大きな窓の外には月明かりに照らされた大庭園が覗けた。

 楽団が奏でる優雅な三拍子に乗って、手を取り合い踊るのは夜会服姿の紳士淑女達。

 そこに集いしは、貴族や豪商などのやんごとなき身の上の者達ばかりだった。

 今宵この宴の席で、とある重大な発表がなされる。

 それはロッソー伯爵の嫡男であるルドルフと、イッテンバッハ商会の会長ゴア・イッテンバッハのひとり娘であるフランティーヌの婚約発表。

 これまで様々な諸事情で秘密にされてきた二人の関係であった。

 しかし、魔王軍と勇者パーティの戦いが佳境に入り、世界の情勢が安定して来た事をきっかけに、このたびの公表となった。

 とはいえ、人の口に戸を立てられぬのが世の定め。

 会場にいる者達の殆どが、すでに二人の関係を良く知っていた。それでも一応の建て前は、このワルツが終わったあとの発表となる。

 そうして刻々と時計の針は時を刻み、その瞬間が近づいて来る。

 どこか浮わついた雰囲気のまま曲が終わり、給仕の者達がお盆に乗せたワインを会場にいる全員に配り終わったそのときだった。

 フランティーヌはルドルフと共に、室内を見渡せる場所に移動する。

 ルドルフが紅玉の様に煌めくワイングラスを掲げ、声を張りあげる。

「皆の者! 今宵は良く集まってくれた!」

 ざわついていた場内が一気に静まり返る。

 視線がルドルフとフランティーヌの二人に集まる。

 フランティーヌは少し恥ずかしくなって、伏し目がちになり微笑んだ。

 正直に言えばルドルフの事は好きでも嫌いでもなく、婚約やその先にある結婚など、いまいちピンとこなかった。

 それでも、ルドルフと結ばれる事がイッテンバッハ家に大きな利益をもたらす事は理解していたし、何より嬉しかったのだ。

 そうやって、少女から、ひとりの大人の女性となれる事が……。

 フランティーヌは、ほんの少しだけ頬を紅潮させながら、左隣に立つ婚約者の顔を見上げる。

 これから、もっと好きになればいい。

 これから、好きになってもらえばいい。

 そうやって、育まれる愛もあるはずだ。

 それがフランティーヌの偽らざる胸の内であった。

 その婚約者である、ルドルフ・フォン・ロッソーは、場内の視線を集めたまま口を開いた。

「このたび、ここにいる諸君は、私、ルドルフ・フォン・ロッソーと、フランティーヌ・イッテンバッハが婚約している事をもう知っていると思う」

「は?」

 フランティーヌの目が点になる。

 それは、知られていないという体裁で話を進めるのではなかったのか。

 何かがおかしい。

 ルドルフは更に言葉を続けた。

「……だが、しかし、処々の事情で、その婚約は、今宵の今をもって、破棄させていただく」

「は? ……は?」

 あまりの急展開にフランティーヌの脳の回転が追いつかない。

 何もかもが一瞬にして崩れ去る様な感覚。

「あの……ルドルフ様。今のは……冗談よね?」

 ルドルフは鹿爪らしい顔で首を横に振る。

「フランティーヌ。そういう事だ」

「どういう事よ?!」

「だから、君とは婚約破棄させてもらう」

「えぇ……」

 ここでフランティーヌは思った。

 別に婚約破棄されるのはまったく構わない。 

 ルドルフの事など、元からそれほど好きではなかったのだから。

 しかし、なぜ、婚約破棄をわざわざ衆人環視の状態で発表しなければ、ならなかったのか。

 この夜会の前に言えば良かったではないか。

 それならば、お互いに恥ずかしい思いをせずにすんだというのに……。

 実はルドルフに横恋慕していたブットケライト伯爵の娘である悪役令嬢が、フランティーヌに関して彼にある事ない事を吹き込んだのが、そもそもの発端であった。

 もちろんこの夜会で婚約破棄を発表した事も、フランティーヌに恥をかかせたいという悪役令嬢の仕込みである。

 顔は良いが頭の悪いルドルフは口車に乗せられてしまい、アンナに従ってしまったのだ。

 しかし、そんな事は知るよしもないフランティーヌは、彼の無神経ぶりにムカッ腹が立ってくる。

 ルドルフの顔面にワインをぶっかけてグラスを投げつけ、襟を右手で捻りあげる。


「てめ……ぶっ殺すぞ」


「は?」

 おしとやかだったフランティーヌの豹変に、今度はルドルフが目を丸くする番だった。

「フランティーヌ……さん……ですよね?」

 思わず敬語で質問してしまう、ルドルフ。

「他の誰だっつーんだよ、この唐変木がッ!!」

 襟を掴んだままの右手をぐいと引き寄せ、同時に左拳で思い切りルドルフにきつい一発をぶちこんだ。

 ルドルフの良く通った鼻筋がひしゃげ、ワインではない赤が盛大に噴射する。

「やめへ……やめへ……フりゃんティーヌ」

「うっせ、クソボケ! どうせ、これで縁切りなら、ぼっこぼっこにしてやるッ!」

「やめへーッ!!」

「死ね! 死ね! 手切れ金はテメーの魂だ! 地獄落ちろや!! 死んでも許さねーけど絶対に死ね!!」

 フランティーヌは【格闘level8】と【ex気合いlevel8】を持った、ちょっぴり短気な女の子だった。これが彼女の本性なのである。

「おら! タマナシのゴミ野郎! あたしの拳の味はどうだ?! これっきりの極上の味だからしっかり味わえよ、カス!! これがてめーの最後の晩餐だ!!」

 どか、ばき、げし……ひらがなにしてもあまり可愛くない打撃音が可愛くない台詞と共に鳴り響く。

 目を覆う様な凶行は、フランティーヌが十人がかりで取り押さえられてようやく終演を迎える。

 こうして彼女は投獄された。


 それから独房で迎えた何日目かの朝。

 フランティーヌは目を覚ますと、そこには見た事もない真っ白な空間が広がっていた。




「いてて……」

 気がつくと婚約破棄ヒロインのフランティーヌ・イッテンバッハは薄暗い石造りの床に座っていた。

「ここは……」

 ゆっくりと立ち上がり、辺りを見渡す。

 どうやら、そこは鉱山かどこかの坑道の途中であった。地面にはトロッコのレールが横たわっている。

 左右の壁の高い位置に、滅多な事では消えない魔法のランプが等間隔でそえつけられている。そのため、視界はそれなりに利いた。

 そして、天井すれすれの位置に奇妙な物体が浮いている事に気がつく。 

 それは二対の天使の翼を生やした目玉の塊だった。小さな林檎ぐらいあり、しきりに瞬いている。

「気持ち悪……」

 フランティーヌが顔をしかめると、

その目玉から声がした。神様の声だった。

「はろー。ワシじゃ。ゲーム開始の前にいくつかレギュレーションの説明をしようかの……。まず、この目玉は監視用権天使のラエルじゃ。このラエルの瞳を通じて、ワシはお前らの戦いっぷりを楽しませてもらうからの……ラエルはひとりにつき一体ついているからの……ふぉっほっほ。因みにラエルは頭がいい。ちゃんと各人の意思を汲んだ挙動をするからの。物影に隠れたはいいが、近くを飛び回るラエルのせいでバレバレなんて事には絶対にならんので、不意討ち、待ち伏せ、何でもござれじゃ」

「高見の見物ってか……悪趣味なやつめ……」

 フランティーヌは吐き捨てる。

 ラエルを通して、更に神様は語り続ける。

「武器やスキルによる能力、魔法は基本的に何を使っても良いが、転移系の魔法で、そのバトルフィールドから脱け出すのは不可能じゃぞ? その空間には水や食料の他にも、いくつかの武器が隠されておる。それも自由に使って構わん……弾薬もいろんなところに隠してあるので、思う存分に撃ちまくって……うわっ! 何をするんじゃ!!」

 フランティーヌは眉をひそめる。

「ったく……いきなり撃ち殺すでない……ちょっと、まっとれ。今、新しいのをそっちによこすからの」

 どうやら誰かがラエルを撃ち殺したらしい。

 しばしの静寂。 

 そして、ラエルから再び神様の声が鳴り響く。

「……あー、すまん。待たせたの。それで、どこまで話したっけ? あ、そうそう……肝心な事をまだ説明してなかったの。ゲーム・・・の終了条件じゃよ。貴様らが最後のひとりになった瞬間にそのゲーム・・・は終了する」

「ゲームでも遊びでもないって言ったのてめーだろ、クソボケ……」

 フランティーヌは小声で突っ込んだ。やっぱり、この神様はクソだ。心底そう思った。 

「説明は以上じゃ……では、これよりゲームスタート・・・・・・・とする。思う存分、殺し合うのじゃぞ?」 

 その言葉を最後に再び周囲には静寂が戻る。

 フランティーヌは「ふう」と溜め息をひとつ。

「まずは、食料と水……いや、この手枷と足枷を何とかしねーと。てか、戦わせるために呼んだのなら、これ外しておけよ! クソ神野郎!」

 彼女はラエルを睨みつけるが、不気味な目玉の塊は、瞬きを繰り返すだけで沈黙を守ったままである。

「……ちっくしょー。……とりあえず、枷を何とかして、水と食料。そして……」

 フランティーヌは、あの白い空間で神様にいきなりぶっ放した金髪縦ロールの女の顔を思い浮かべる。

 実は彼女こそが、婚約破棄騒動の仕掛人である悪役令嬢のアンナ・ブットケライトであった。

 アンナもまた“テンプレ逸脱者イレギュラーズ”として、この狂ったゲームに参加させられていたのだ。

 このときのフランティーヌは、まだ彼女が婚約破棄騒動の黒幕である事を知らなかった。

 面識はあったが、そこまで深いつき合いもなかった。

 ただ彼女の頭の回転の早さと、射撃の腕前は聞き及んで知っていた。

「……あの女とは知らない仲じゃないし、当面の共闘の相手としては申し分はない」

 しかしフランティーヌが思っている以上に、アンナ・ブットケライトはイカれていて、深い闇を抱えていた。

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