第7話 巫女と巫女が合体する話
多分、さっき足を滑らせた時にひねった。
やっぱり神社で走ったりするもんじゃない。
歩けるかな? と、立ち上がろうとしてみるけど、想像以上の痛みにふらつく。
「無理しないでください」
身体を支えてくれたのは、いつの間にか戻ってきていたシロカだった。
「ゴメンなさい。もう少しだけ待ってください」
社務所に並ぶ参拝客に声をかける。
「こっちは僕がやっておくよ」
宮司さんが社務所に入った。あちらはあちらで祈祷を少し待ってもらっているみたい。
「菊花ちゃんは手当してきて」
「すみません……」
シロカに肩を貸してもらおうと思った。
不意に身体が浮き上がる。
「えっ……!」
気づけば、シロカはあたしを横抱きにしている。お姫様だっことか、そういうの。
「ちょっと!?」
「歩くの難しいですよね」
「いや、社務所ぐらいまでなら……」
「悪化します。相手の身体の異常って、攻め入る隙じゃないですか。だから、わたしそういうのわかるんです。今なら簡単にトドメを刺せます」
「じゃあ、お願いします。いや、トドメじゃないほうです」
思わず敬語になるほど怖かった。
死ぬほど恥ずかしいけど、横抱きにされたまま社務所に向かう。というか、向かってもらう。
軽々持ち上げているように見えて、シロカの足取りは重い。
こうして密着すると、あたしよりも小柄だ。
抱かれたままで目が合う。
顔と顔が近くて、なんだか照れて、思わず目を逸らした。
人一人抱えるとか、きついはずなのに、シロカはうめきも漏らさない。
社務所の奥、事務室でもある和室で降ろしてもらって座り込む。
「救急箱はありますか?」
前に手を切った時に使わせてもらった憶えがある。
物置だと場所を伝えると、シロカが取り出してくれた。
必要以上に慣れた手つきで湿布や包帯を用意していく。
「さっきの神楽。今の脚だと無理ですね」
「そんなに早い動きじゃないから、あと何回かなら大丈夫じゃないかな」
「あの動きは負担が大きいです」
考えてみる。さっきの足の痛みを堪えて、巫女舞いを続けることができるか?
「……そうだね」
諦めるしかなかった。
最初からこの人数で元旦を乗り切るのは無理だったけど、シロカの力を借りてなんとかがんばってきた。でも、さすがに今度はもう無理だ。
原因が自分の不注意なのが情けない。
「宮司さんに話しに……」
言葉が止まる。
「こちらの千早は防刃繊維でもないし、何も仕込んでないんですね。すごく着やすいです」
いつの間にか、シロカが千早をまとっていた。
そういえば、ここに入った時に脱いだんだった。
「何してるの?」
「わたしが代わりに巫女舞いを舞います」
正直、その答えは想像していた。
「もしかして、さっきので巫女舞い、全部憶えたの?」
「そんなことできないです。練習もしてないんですもん」
「じゃあ、無理じゃん!」
「でも、わたしが行きます」
「さすがに適当にやるわけにはいかないよ。あたしのミスだし。宮司さんに言って……」
「それはわたしの世界だと許されません」
シロカが遮る。
「ここ、シロカの世界じゃないし」
「でも、わたしが見ている限り。菊花の巫女舞いを神社に来た人たちは楽しんでいました」
「そんなことないでしょ」
「ううん。自信を持ってください。わたしもいいと思いました」
お世辞か都合のいい言葉なんだと思ったけど、シロカの表情はいつもと変わらない。本気っぽい。照れる。
「だからこそ、やるべきです。神社の役割も巫女の役割も違うとしても、これはこの世界の巫女がやるべきことなんですよね」
「そんなこと考えたことない。それに……できないでしょ。実際」
シロカは大きな黒い瞳であたしをじっと見つめる。それから、口を開く。
「できるなら。やるってことですね」
微笑を湛えたままの顔は、あたしがやると答えるって信じ切ってるように見えた。
「お御籤は200円になります」
参拝客にお御籤の箱を渡して、戻ってきたら結果を渡す。
次の参拝客はお守りだった。
宮司さんに代わって、あたしは社務所に戻っていた。立っているだけなら、脚もなんとか大丈夫。
お御籤に、お守りに破魔矢に祈祷の受付。次々にこなしていく。
参拝客の向こう、神楽殿が目に入る。
そこに黒い髪の巫女が、シロカが上がってきた。
花を彩った頭飾りを着けて、裾の長い千早をまとったシロカはあたしなんかよりもずっと巫女さんらしい。
不意に肌を刺すような寒気を感じた。思わず震える。
あたしの足元にはストーブがあるし、ヒートテックやタイツもちゃんと機能している。寒いけど大丈夫なはずの防寒着。でも、防寒着越しの寒さを感じているあたしに、もうひとつ、もっと薄着で元旦の夜風に当たっているような感覚が重なっている。
長い髪が首筋を撫でていく、あたしのものとは違う感覚。それがなんだかこそばゆい。
「破魔矢はこちらになります」
手渡す。
参拝客のざわめきに混じって、神楽殿から雅楽の音が聞こえてくる。ううん。もっと音が近い。すす傍からあのプレイヤーの音がする。
「すみません。トイレってどこにあります?」
「あちらの駐車場に仮設のトイレがございます」
ふとすると、視界に重なって見えるはずのない光景が見えてくる。
境内を見下ろす視線。それは神楽殿から見ている時と同じもの。
また、震える。壁のある方向からの風が身体を刺す。ストーブのある足元を冷たい風が吹き抜ける。
社務所の仕事をしながら、シロカが拝殿へ一礼するのを見る。
そして、巫女舞いが始まる。
憶えていないと言った舞いを、シロカは正確に舞っていく。
榊を手に腕を広げ、回し、舞う。
次に何をするべきかを、あたしは雅楽の音で憶えていて、思ったとおりにシロカは動く。
神楽殿の上からの視界が映り込んでくる。
シロカの舞を眺める参拝客の表情が手に取るようにわかる。
「お御籤は200円になります」
同時に、あたしはシロカの舞いがきれいだと思っていた。
つい十分ほど前、社務所の中で千早を着たシロカは言った。
「わたしと菊花の心を結ぶんです」
「えっ?」
シロカは自分の胸元に迷うことなく指を沈める。
次の瞬間には赤い紐が引きずり出された。
「心と心を結ぶことで、菊花はわたしの身体を自由に動かすことができます。わたしは身を委ねます」
「ゆ、委ねるって。そんなの……いいの?」
できるわけがないとは、今さらもう思わない。
だけど、そもそもあたしは赤の他人で、会ったばかりだ。
「はい。わたしをよろしくお願いします」
あっさり言う。
「むしろ、菊花が大変です。社務所の仕事をしながら、わたしの身体を舞わせる。わたしにはできません」
「ふたつ同時……」
「心を繋ぐということは、身体が感じていることも伝わるということです。意識して、分けないと、どっちがどっちかわからなくなります。わたしも、心を結んだことはほとんどないのですけど」
「できるの、それ? あたしなんかに」
「少なくとも、さっきの巫女舞いが身体に染みついている。それは見てわかりました」
シロカはそう言ってくれるけど。そんなに一生懸命していたわけじゃない。練習の時からそうだ。だから、自信なんてなかった。
そもそも、ふたつの感覚が重なるとかもわけがわからないし、人の身体を動かすこともできるかどうかわからない。
それに、そこまで無理して、超常的な力に頼ってまで巫女舞いをする必要はなかった。
でも、シロカは「できますよ」と力強く言う。
頷くと、シロカはわたしの胸から紐を抜き出した。さっき、感覚を奪われた時のものと同じようだけど、自然とその紐が別のものだとわかる気がした。
そして、あたしは社務所で働きながら、神楽殿で巫女舞いを舞っていた。
シロカの黒髪がふわりと踊る。
でも、あそこで舞っているのは、あたしだけじゃない。
社務所の仕事と一緒に、巫女舞いをきちんとこなすのはいくら慣れていても無理だ。あたしの運動神経はそんなによくないし、当たり前だけど、外から身体を動かすなんて感覚が違い過ぎる。
でも、わずかなミスはシロカが自分で動いて的確に修正してくれていた。それがわかった。
シロカはわたしに身体を委ねながら、わたしがどう動かしたいかを把握してくれていた。そして、あのものすごい反射神経でフォローしてくれている。
「お釣りは800円です」
受け渡しをしながら、初めての感覚を覚える。
社務所にいるのに神楽殿にいて、神楽殿で舞っているのに、社務所でお守りをお授けしている。
身体の動きも、感じるものも、ふたつの全てがひとつになっていくような不思議な心地。
あたしは今、菊花でシロカだ。
「……っ!」
それもまた唐突だった。
重なって映っていたシロカの見る景色が消え失せて、体感する寒さや風もひとつに戻る。
社務所の中で思わずよろけそうになって、辛うじて堪えた。
神楽殿の上、シロカが一礼していた。巫女舞いが終わっている。
そして、その胸から伸びる赤い紐はもうわたしに繋がってはいなかった。
あたしだけのものに戻った視線と、シロカの視線が交差した。
シロカは静かに深く息をつき、微笑を湛える。
「お疲れ様です。菊花」
もう心は繋がっていないし、シロカは何も言っていないけど、確かにそう聞こえた気がする。
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