第8話 巫女と巫女がこたつに入る
「お疲れ様ー」
「昨日、人足りなくて大変だったんでしょ。出れなくてゴメンね」
交代の巫女がやってきたのは、午前七時前。別に遅れてるとかそういうわけではなく、シフト表どおりの時間だ。
冬なのでまだ薄暗いとはいえ、朝日は昇っている。
結局、わたしとシロカは元旦の繁忙期を乗り切った。
最初の数時間が過ぎれば、参拝客は減っていく。
明け方は巫女舞いの予定も、祈祷の受付もなくて、二人で並んで初日の出を見た。
とは言っても、住宅街なので、家の向こうに日が昇っていくのを眺めていただけなんだけど。
「あれ? 研修の時いたっけ? 臨時の子?」
交代の巫女さんに問われて、シロカはいつもの柔和な微笑を返す。
「はい。慣れないところを、菊花に助けられました」
「それはお互い様でしょ」
本当はずっと助けられていたのは、あたしのほうだけど。
「じゃあ、後は任せて。本当にお疲れ!」
心強い言葉をもらって、わたしとシロカは社務所の更衣室のほうに引っ込んだ。
「あぁ。疲れたぁ」
袴の帯を解くと解放感を覚える。
袴を、白衣を襦袢を脱いでいく。そして、作法に従って畳む。
外は寒かったのに、巫女舞いをしたり、社務所で動き回っていたからか、インナーは少し汗ばんでいた。
ロッカーにしまっていた自分の服を取り出す。
インナーも下着も替えてしまいたい衝動にかられるけど、それは帰ってから。
長袖のヒートテックに、110デニールのタイツの上から着込むのは、厚手のシャツにモコモコしたセーター。デニムのスカートに足を通すと、中がふわふわの冬用ブーツをはく。
上着にはボリュームあるファーがついている。マフラーも手袋もきちんと用意してる。
つまり、若干シルエットが丸っこく見えてしまうほどの防寒装備。この年末はなりふり構っていられないほど寒い。
着替えて、冷えきった外に出ようと覚悟を固めている途中で気づく。
変わらない微笑で佇むシロカは着替えていない。というか、着替えなんてあるわけがない。巫女装束の中にごてごて着込んでいたわたしと違って、多分、下着のほかは襦袢と白衣と袴だけだ。
その上、シロカには帰る場所もない。
「まだ、拝殿とか調べられないよね」
外からは参拝客の喧騒が聞こえる。
「もしよかったら、ひとまずうちに来る?」
シロカは目を丸くする。
「え? でも、迷惑じゃないですか?」
「ううん。あたし、一人暮らしだから。それに、このままここに置いとくなんてできないし、その格好で寒い中ほっとけないよ。あ……着替えたら死ぬとか、そんなルールある?」
「お勤めじゃない時に、巫女装束は着ないですよ。日常生活がやりにくいです」
「厳しい部分と緩い部分の差がわからない」
ともかく、あたしは上着を脱いで渡す。
「風邪ひくといけないし」
シロカは上着をしげしげと眺めて、それから袖を通した。
「ありがとう。嬉しいです」
きゅっと目を細める。
こうして見ると、あたしの上着はシロカには少し大きかった。
あたしの家は東武白山神社から十分ほど歩いた場所にあるアパートだ。
一人暮らしなんで、部屋は1DK。
「神社の周り、わたしの知っているのとはかなり違いましたね」
「そうなんだ。まあ、世界が違うみたいだし」
巫女が戦闘職ってこと以外は、どこがどう違うのか、はっきりわからないけど。
「あ……。ちょっと散らかってる」
年末バタついて、大掃除すらできてない。しかも、ダイニングに読みかけの雑誌が転がってるし、洗ってないマグカップもコタツの上に置いたままだった。
脱ぎっぱなしの服とか放置してなくてよかったけど、既にけっこう恥ずかしい。
「こんな部屋でよければ……」
「おかまいなくですよ。お邪魔します」
草履を脱ぐと、シロカはペコリと頭を下げて部屋に上がった。
あたしはとりあえずマグカップや雑誌を片づける。
シロカはあたしの上着を着たまま、物珍しそうに部屋を見回していた。
「もしかして、シロカの世界って、テレビとかコタツとかないの?」
「ありますよ。最近はネット配信ばっかり見ていますけど」
異世界、すごく普通に同じ感じだった。
シロカは両手を擦り合わせている。白い指先や、ほっぺたや耳がほのかに赤い。
「上着だけじゃ寒かったよね」
暖房とコタツの電源を入れる。
でも、温まるまでにはまだ少し時間がかかりそう。
「お風呂入る? 着替え、あたしのでよければ貸すけど」
「いいんですか? 嬉しいです!」
シロカの笑顔はいつもより無邪気だった。
お風呂から上がって一息つく頃には、部屋はきちんと温まっていた。
二人してパジャマ姿でコタツに入っていた。
シロカは髪を解いていた。きちんと乾かしていたけど、黒髪はまだしっとりとしている。いつもの柔らかな微笑みに、どこか色気のようなものを感じる。
「ふー」と、声を漏らしたのはあたしが先か、シロカが先か。
思わず重なってしまって、声を出して笑ってしまった。
コタツのテーブルの上にはどん兵衛がふたつある。
帰り道のコンビニで買ってきた天ぷらそばだ。既にお湯を入れてあるので、部屋にはほんのりとおつゆのいい匂いが漂っている。
「年越し蕎麦を食べるには遅いけどね」
「わたしも今年はおそばを食べていません」
そういえば、シロカの世界も大晦日だった。
というか、年越しそばの風習はあるんだ。
「お腹もすきました」
「夜通し働いてたし。シロカには巫女舞いをずっとお任せしてたしね」
「足は大丈夫ですか?」
訊かれて、コタツの中で動かす。少しだけ痛むけど、最初ほどじゃない。
「うん。無理しなければ大丈夫。ありがとう」
言ってる間にスマホのアラームがお湯を入れて三分経ったことを教えてくれた。
どん兵衛のフタを開けて、後乗せの天ぷらを乗せると二人して手を合わせる。
「「いただきます」」
ずるずるとおそばをすする。それからおつゆを一口飲む。
昨日の夜からほとんど何も入っていなかったお腹に、ほんのり暖かなおつゆが染みる。
「おいしい……」
「おいしいですね」
天ぷらをかじる。
おつゆに浸かりつつ、でもしっかりとサクサク感を残した天ぷらの食感がたまらない。
シロカはずるずるとおそばをすすり続けていた。
「どう? どん兵衛」
「そうですね。わたしの世界のどん兵衛とは、少しダシの味付けが違います。ちょっとあっさりですね」
「ていうか、あるんだ。どん兵衛」
ありとあらゆる平行世界にでも存在する気なのか。
食べながら、テレビを点ける。
元旦の午前らしく、すごくゆるいお正月番組がやっている。チャンネルを変えても似たような感じのグダグダ感。
「どこもお正月番組は退屈です」
「シロカもそうなんだ」
「血が滾るのは駅伝です」
「体育会系の思考なの?」
あたしには駅伝がどうおもしろいかはわからないのだけど、ちょうど走っていたのでかけておく。
……わからない。地味だ。
でも、シロカはチラチラと見ている。目は真剣だった。血が滾ってるみたい。
そんな戦闘職の巫女さんを、ぼーっと眺める。
「なんか……とんでもない経験をしたなー」
異世界から来たとか言う巫女と会って。
嘘だと思ったら、本当に異能みたいなものを見せられて。
そして、心と心を繋げて、一緒に巫女舞いを舞った。
シロカの妄想とか、あたしの思い込みと片づけることができない不思議な一夜。
「わたしもです」
「シロカには普通でしょ?」
「他の世界に行ったことなんてないです。ビックリしています」
「そこは当たり前じゃないんだ」
「もちろんです。菊花が驚くことなら、わたしも驚きますよ。うわ! 抜いた! 今仕掛ける!?」
駅伝の話だった。
シロカが驚いたポイントで、あたしに驚けないことはあるみたい。
「多分、わたしたち同じぐらいの年齢ですよね」
「考えてなかった。でも……そうかも。あたし、十七歳」
「わたしもです! 本当に同い年でした」
「人生経験が違い過ぎるけどね」
あたしは普通の高校生。人と違うところなんて、色々あってこうして一人暮らししてるってことぐらいだと思う。これも特別不幸な事情があるわけじゃないけど。
対して、シロカは不思議な力を持った巫女で、命のやり取りさえ当たり前のようにする立場。
生きてきた十七年の濃度が違う。
なんとなく、後ろめたい。
「すごく楽しかったです」
不意に、シロカは言った。
「この世界の巫女のお仕事」
「そうなの? あたしは……助けられたけど」
「最初はすごく焦っていたんです。早く帰らないとって」
でも、シロカは困っているあたしを見て、助けてくれた。
「でも、この世界の巫女として働いてみて。思いました。わたしはずっとお役目として、巫女をやってきましたけど。それはこちらの世界の巫女として触れ合った、参拝客の皆さんのような。ああいう人たちのためのお役目だったんだって。あの人たちの笑顔のためなんだって」
きれいごとのようだけど、シロカが本心から言ってるのがわかる。
「すごいな。シロカは。あたしはただバイトとしてやってるだけだよ。冬休みに遊ぶお金がほしいし、親戚のところで気楽だし。おかげでバックれることできなかったけど」
苦笑してると、シロカは首を横に振る。
「そういうところ、菊花はすごいと思うんです。何のために巫女をするのか。それを自分で決めているんですから。わたしは十七年間、決めたことがなかったです」
「そんなおおげさな……」
ほっぺたが熱い。むしろ、耳も熱い。
こんな褒められ方したことがなかった。それも、シロカみたいなすごい子に褒められた。
よく見れば、シロカも耳が赤い。寒くて赤かった時とは違う。
「照れるね」
「そうですね」
ふとあくびが漏れた。
シロカも眠そうな目をしてる。
あたしたちはテーブルの上に頬を乗せる。
コタツの中で足と足が触れたので、ツンと押してみる。
シロカも返してきた。
そのまま、笑い合う。
もう少しツンツンとやり合う。
テレビでは駅伝の実況が時々、興奮した声を出す。そのたび、シロカの足に力が入る。
思わず口元が緩んでしまう。
そして、気づけばあたしもシロカも眠りこけていた。
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