第1話 出現! 男の腕をひねり上げ、死の二択を迫る巫女

「バックれよっかな……」

 近衛このえさんとこの菊花きくかちゃん的にそれはできんだろ……と思いつつも、あたしはわりと本気で考えていた。

 東武白山神社は街中にある小さな神社。そんな規模なのに神楽かぐら殿があるところだけがちょっとした売りな気もする。

 普段は常駐の宮司さんなんていない無人の神社だけど、お正月となると違ってくる。

 氏子さんが参拝に来るので、宮司さんも一日中詰めるし、バイトの巫女さんも雇う。

 そんなお正月を前にした、大晦日の午後十時。

 宮司をやってる親戚のおじさんにお願いされて、あたしは今年も巫女のバイトを引き受けた。

 今はまだ境内は閑散としているし、参道に並ぶ屋台も暇そうにしている。でも、日をまたぐ頃にはたくさんの参拝客で大忙しになる。今年も……じゃなくて、来年の年始もそうだろう。

 慣れた感じで考えていた。

 でも、今日、あたしと二人でシフトに入ってる従妹がサボった。

「絶対無理……」

 わたしがいるのはお御籤みくじやお守り、破魔矢なんかを扱ってる社務所の中。

 壁のシフト表を絶望的な表情で眺めている。すぐ隣に貼ってる社務所荒らしに注意とか、そんなものよりもこのシフト表に脅威を感じる。

 悪いと言われてる目つきはきっといつもよりも悪くなってるし、パサパサした茶色の髪(天然もの)も、ストレスでいつもよりパサパサしてそう。

 だって、大晦日の夜に、働く巫女はあたしだけ。

 以前はこの時間帯は三人態勢だった。労働基準法を積極的に無視して、初めて働いた中学二年生の時からそうだった。

 でも、宮司さんの奥さんは去年子どもを産んで、今回はその面倒を見ないといけない。

 それがわかってるのに、従妹はサボった。

「正気……? 親戚だから、そのうち顔合わせるよ?」

 ある意味でメンタルが強過ぎる。

 近衛さん家の菊花ちゃんにはそんなことできない。

 とにかく問題を整理すると、あたしはこの後、社務所に務めつつ、神楽殿で巫女舞いを奉納しないといけない。宮司さんは氏子さんへの応対や、厄年の人への祈祷で忙しいから、あてにはできない。

 この時点で何もかも無理。

 正直、今日は冷えるので、既にトイレに行きたい気もしている。その間、どうすればいいのか? 次のシフトとの交代は朝だから、朝まで我慢すればいいのか? 無理!

「バっくれたい……」

 言うだけ言う。

 気づけば社務所を出て、よろよろと拝殿のほうへ近づいていた。

 境内は参拝客のために、照明で明々と照らされている。

 夜闇に浮かぶ拝殿の鈴を鳴らして、二礼二拍手。

 最後に一礼する前に、手を合わせたまま、目をつぶってすごく必死に祈る。

 東武白山神社の祭神は菊理媛神ククリヒメノカミ。所説は色々あるけど、縁結びの神様と考えられることが多い……とか、バイトがきっかけで読んだ日本の神様の本に書いてた。

 でも、縁結びというなら、ぜひ今結んでほしい。

 バッくれちゃった従妹との縁でも、なんだか都合よく来てくれるバイトの増援の縁でも。

 なんでもいいから助けて!

 ――ドシャッ!

 突然の音が響いたのはその時だった。

 ビクッと後ろに下がって、目を開ける。

「……?」

 目を瞬く。

 拝殿の、賽銭箱の向こう、誰もいなかったそこに巫女さんがいた。

 どこからか落ちてきたかのように、片膝を突いた姿勢がすごくキマってる。俗に言うスーパーヒーロー着地みたいな姿勢。俗に言うの? ともかく、そういうの。

 うつむいていた顔を上げる。

 後ろでひとつに束ねた黒髪が流れ落ちる。濡れたように艶やかな髪。

 見た黒い瞳は吸い込まれてしまいそうなほどに大きい。

 美人だった。でも、冷たい雰囲気はなくて穏やかで落ち着いた印象の顔立ち。

「だ、誰?」

 思わず口に出してしまった。

「コノエ・シロカです」

 ふわりとした声が応える。

「あ、同じ苗字……。あたし、近衛菊花。……いや、そうじゃなくて」

 その時、

 ――ガタッ!

 という、音が背後から聞こえた。社務所のほうからだと、反射的に振り向く。

 知らない男の人が社務所から出てきていた。

 手には鞄を持っている。驚いてこっちを見て、硬直してる。

 社務所荒らしだと直感する。

 注意喚起のポスターに載っていた社務所荒らしは、こういう日の忙しい時間、わずかな隙を突いて社務所のものを盗んでいく。

 確かに、忙しくなる直前の、この時間には穴がある。あたしが社務所を離れていたので、誰もいないと思ったんだろう。

 男の人が逃げようと動いた。

 あたしは声も上げることができず、動くこともできなかった。考えも身体もついていっていない。

 目の前を白い影が横切る。

 それがシロカと名乗った巫女さんだと気づいたのは、彼女が男をうつ伏せに組み敷いて、腕をひねり上げているのを目の当たりにした時だった。ここまで多分、男の人が音を立ててから二秒も経ってない。

「神社で粗相した人がどうなるか、当然知っていますよね?」

 シロカさんは男の人の腕を曲がっちゃいけない方向に曲がるぐらいひねり上げる。 

「し、知りません! た、助けいだだだだっ!」

 男の人が悲鳴を上げる。ちょっと涙目にもなってる。

「知らないんですか? えっと……これから四肢をへし折ります」

「折りっ!?」

「その後、生きたまま皮を剥ぐか、逆さ吊りにしてお尻から皮を剥ぐか。そのふたつがポピュラーですね」

「ポピュ……えっ!?」

「選んでいいので、折ってるうちに考えておいてくださいね」

「選びたくない! 助けて!」

「どうしてです? これって、けっこう一般的だと思うんですけど……」

「ぜんぜん一般的じゃないでしょ!」

 つい、あたしはつっこんでいた。

「そうなんですか?」

 シロカさんがこちらを見て、大きな目を瞬く。

 不思議そうな顔はなんだか子どもみたいだった。

「そっか。神社によって違いますよね」

 首をかわいらしく傾げて、何か考えながら、ひねり上げた腕を弄ぶ。

 男の人が声にならない声を上げてる。

「あっ。首ですね。折るの」

「折らないで通報しよ!」

 再びつっこんだ。

 念のため思い返したけど、東武白山神社には泥棒の首を折るルールはない。

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