ホラー短編小説「酒気帯び肉片」
ボルさん
ショートショート完結
厚い雲が新年二日目の朝焼けを台無しにし、首都高速には所々雪が残っていた。
「うぇ、胸焼けがする。早紀、水のペットボトルとって」
「飲みすぎよ。結局徹夜で飲んでいたんでしょ。はい、水」
早紀は運転している洋司にキャップをとって渡した。正月の挨拶を婚約者として初めて彼の実家の集まりに招待され、一泊して帰る途中だった。洋司はただでさえおぼつかないハンドルを片手に、水をからだに流し込む。
「ぷはー、なんで酒を飲んだ次の朝というのは喉が渇くのかねー。昨日は肝臓を喜ばせすぎちゃったから、他の臓器がやきもちを焼いて翌日に水分を欲しがるのかもね」
「訳わからないこと言っていないで前見てしっかり運転してちょうだい。今年から飲酒運転により厳しい罰則が課せられる飲酒運転撲滅キャンペーンが行われているんだから」
「大丈夫だって、飲酒運転なんてこの時期みんなやっているんだから。捕まんないよ」
「とにかく、警察に捕まるとかじゃなくても、事故ったら大変よ、正月早々」
口論になりそうな雰囲気に水をさすように、みぞれが降ってきた。ベチョ、ベチョッとフロントガラスにまとわりついてくる。フロントガラス越しに電光掲示板の「浜松町付近検問中」というのが見えてきた。
「やべー飲酒を検査されたらどうしよう。早紀、運転かわれるか?」
「どうやってかわるのよ。それより、水を飲んでアルコールを分散させた方がいいんじゃない?」
水を飲み、ガムを噛みながら緊張が車内を包み込んでいく。朝7時になろうとしていた。
「何だ、これは?どこから飛んできたんだ」
フロントガラスにべチョッとくっつくものがあった。
明らかにみぞれではないそれはフロントガラスのちょうどワイパーの上にくっついていた。
「いやー、気味が悪い。何かの肉片みたいじゃない」
「よかった早紀にも見えるんだ…。上空から落ちてきたのかな、あるいは前の車から飛んできたのか。いずれにしても何で血がにじんでいるんだろうか…。早紀、この肉片って肝臓に似てない?」
「変なこといっていないで、早く取っちゃってよ」
洋司はワイパーのレバーを動かそうと思ったけどすぐに手を止めた。
「ワイパーを動かしたら、この肉片をフロントガラスにこすりつけることになるよね。ただでさえ飲酒で警察に捕まりたくないのに、フロントガラスが血で汚れていたらよけい目立っちゃうよ」
検問所には暴走族の改造車両が数台停まっていた。洋司達は検問のことなど忘れて肉片の処理を考えていた。
「みぞれが強くなって洗い流してくれればいいのに…。いったい、どうして肉片が飛んできたのかしら」
みぞれは降りが強くはならず、寒さばかりが強くなり雪となっていった。
「雪だと視界が遮られるから参ったなー。やっぱりワイパーを動かさなければ…」
「キャッ。洋司今見た? 肉片が動いたわ」
「そりゃこの風圧と雪で動かされたんだろ?」
高速道路のつなぎ目を通り過ぎるたびに、肉片がドクンッ、ドクンッと脈を打っているように感じさせた。
洋司は降り積もる雪にせかされ、いよいよワイパーのレバーに手をかけた。
「しまった、ワイパーでグチャグチャになって余計取り除きづらくなっちまった」
案の定、白い雪とは対象的に、赤黒い血がフロントガラス上のワイパーの通り道に刷りこまれていった。
「気持ち悪いわ。ミンチ状になってさらにプルプルと動いているみたいじゃない?」
「だいたい何で正月早々こんなのがフロントガラスに落ちてくるんだよ。俺がいったい何したって言うんだよ」
車は銀座を越えて神田にさしかかろうとしていた。血と雪で見にくくなった視界をくっきりさせようと思えば思うほど、肉片がワイパーにまとわりついてフロントガラスを汚していく。
洋司が酒に酔っていたからか、雪が降っていて路面が滑ったからか、いや、肉片に気をとられすぎたからか、車は中央分離帯を破り反対車線に飛び出していた。
「ドンッ、ガシャーン!」
大型トレーラーが真正面から衝突し、ものすごい音と残骸、そして血肉が一瞬にして雪色の高速道路を覆った。その中の一つ、洋司の肉片が近くを走っていた長距離バスのフロントガラスのちょうどワイパーの上に落ちたのであった。
バスの運転手は、このどこから見ても肝臓に似ている肉片を、昨日飲んだ酒の二日酔いの幻影と割り切り、座席でお酒を飲んで騒いでいる社員旅行のお客たちを無事に目的地まで着かせることに集中しようとした。
集中しようとすればするほどフロントガラスの肉片に目が行って気になってくる。
彼もワイパーを動かさずにはいられなくなりレバーに手をかけると、ワイパーのかかる範囲だけ黒赤い血のラインが刷られ、雪と共に視界を奪って彼の正気さえも奪っていったのである。
その後すぐ、ワイパーがまるで運転手と乗客の人生に手を振っているように2、3回往復したところでバスは高速道路から落ち、繁華街の交差点で残骸をまき散らしたのであった。
今回、酒を帯びた肉片はいくつ飛び散ったであろうか、どの飲酒運転をしている車のフロントガラスを汚すのであろうか。
次の獲物を探すかのように、血がしたたる肉片と降り積もる雪が、ワイパーを動かすのを催促しているのであった。
終わり
ホラー短編小説「酒気帯び肉片」 ボルさん @borusun
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