第1章 聖地クレモナ
1 不思議な弦楽器
ティノは、スクロールと呼ぶ、ヴァイオリンの頭部に当たる渦巻きの彫刻に夢中になっていた。
朝日が輝き始め、寝床から飛び起きると、幾つものヴァイオリンが吊されている工房に一目散に入り、ただ黙々と木材を彫り続けている。
食事する時間も惜しくて、母エリシアが昨晩夜焼いてくれた、マルゲリータ・ピッツァを時折頬張りながら、その作業は、午後になっても、真っ赤な夕焼けが広がる時刻になっても続いた。その熱心な姿には、リウターイオ(弦楽器制作者)の巨匠と呼ばれる、父のロベルト・アルベルティさえ感心するほどだった。
とは言え夜となり、工房の隣にある家からピッツァの焼かれる匂いが漂い始めると、そこは、やはり十六歳の男の子。ティノのお腹がグーグー鳴り始め、あれほど熱心に動かしていた手が、ピタリと止まった。
「今夜は、きっと、ボスカイオラ(茸のピッツァ)だな・・・」ティノが呟いた。
ティノは、母親が焼いてくれるピッツァが大好物、焼いているピッツァの品当ては得意。
「ティノぉ~、お食事よ」母エリシアの声が工房まで聞こえた。
母の声が聞こえた途端、ティノは、家の食卓めがけて駆け出した。
「当たりだぁ!」
食卓に載っているピッツァを見て、ティノは、得意げな顔で微笑んだ。
ティノが思った通り、食卓の上に載っているピッツァは、ボスカイオラだった。
ティノ一家は、父ロベルト、母エリシア、妹のモナ、そして祖父のジーモの五人家族。
ティノの祖母ロザンナは、思いやりのある優しい人だったが、ティノが幼少の頃亡くなってしまった。
家族は、みな優しく、いつも助け合っていたが、ヴァイオリン造りは大変忙しく、家族団らんのひととき一時がなかなか持てない日々が続いていた。
しかし、みんながどんなに忙しくとも夕食は、一緒にとるのが決まりだった。
夕食の時間は、一家の心を繋ぐ大切なひと時なのだから。
エリシアは、料理がとても上手、特にピッツァを焼いたら、クレモナの一流シェフ顔負けだから、友達に話すティノの自慢話は、いつだって母エリシアの手料理だった。
「母さん、今日のボスカイオラは最高!」
ティノが、笑みを浮かべて言った。
エリシアは、そんなティノの声を聞くと、母としての喜びがこみ上げてくる。
「ねえ父さん、ドゥオーモ(大聖堂)の近くにある骨董品のお店なんだけど、幽霊が出るってほんとかな?」ティノが父ロベルトに尋ねた。
ロベルトは、笑いながら答えた。
「あそこか、まあ噂は知ってるが、父さんの知り合いで見た人はいないなぁ、きっと、風変わりなお爺さんがいるから、そんな噂話が出るんだろうよ」
「お兄ちゃん、幽霊が怖いんだ・・・」
妹のモナがティノを横目で見ながら、小馬鹿にした顔つきで言った。
モナは、ティノより二つ年下の十四歳、怖い者知らずでやんちゃな性格だ。
「冗談じゃないよ、幽霊なんか怖いもんか」
「わー、怖いの隠してる・・・」モナがティノをからかった。
モナは幽霊なんか何のそのとでも言いたげな表情だ。
「なんだモナ、そういうお前は大丈夫なのか!」ティノの顔が強ばった。
「二人ともやめなさい」エリシアが二人を叱った。
ロベルトは、何故、骨董品店の事など持ち出したのかを尋ねた。
「僕ね、ヴァイオリンの事をもっと知りたくて、あそこに行けば、古いヴァイオリンや楽器が色々有るらしいし、なんか行かなくっちゃって感じるんだ・・・けど・・・幽霊の話を聞くし・・・」
「ほ~らね、お兄ちゃんは、怖いんだわ・・・」
「モナ、やめなさい」またエリシアがモナをいさめた。
「モナ、お兄さんをからかってはだめだよ、人は・・・」
とロベルトが言いかけると、ティノがとっさに答えた。
「人は、思いやりこそ宝物、憎しみや恨みは魔物だ・・・でしょ、父さん」
ティノが言った言葉は、ロベルトの口癖だった。
「その通り、思いやりは、人と人のわだかまりを解く大切な心だ。今の世の中は、残酷な事があまりに多い、この国もヨーロッパの国々も、戦争を止める事が出来ないでいる、それもみな、憎しみと恨みから来る、そんなもの無くして、みんなが思いやりの心で生きれれば平和な世界が出来るだろうに」
ティノは、ロベルトの言葉に大きくうなず頷いた。
ティノは幼い頃から、ロベルトに、思いやりを持て、憎しみや恨みは抱いてはならぬと教えられてきた。
「ティノ、戦争は拡大する一方だ、敵でも味方でも想像も出来ないほどの犠牲が出ている、この国の未来が心配だが、おまえ達の未来がもっと心配だ、戦争が早く集結してくれれば良いのだが」ロベルトは、憂鬱な顔で話をしていた。
ヨーロッパは、国土が焦土と化す大戦がようやく終結したばかりだと言うのに、再び戦争が勃発した。それぞれの国が軍隊の強化を進め、様々な武器弾薬が造られていた。
先の大戦中、ロベルトの友人達が、軍人となり戦地に赴き戦死した。
戦争の悲惨さを身をもって体験したロベルトは、人間の憎しみや恨みは、到底受け入れがたいものだった。
「すまんな暗い話になって、話がそれたが、その骨董品店、まあ大丈夫だろうから、尋ねてみてはどうか」とロベルトが言った。
ロベルトに続き、ティノ達の話を聞いていた祖父のジーモも話に加わった。
「幽霊がおっても面白かろう、わしなら行ってみるがな、ティノや、あの店なら昔から幽霊屋敷の様だと言われておった、店も店主も少しばかりむさ苦しいからのぉ・・・まあ、そんな噂に惑わされず行ったらいい、スクロールのアイデアだって、浮かぶかもしれんよ」
それから、ジーモは、自分が若い頃の不思議な体験話を語った。
フランスやドイツの古いお城にヴァイオリンを届け、幽霊と遭遇した話やら、ヴァイオリンの木材を探すためにアルプスを旅して雪女に遭い命からがら帰ったことなど、ティノも聞いたことがなかった怖そうな話ばかりだったが、ティノには、恐ろしい気持ちを乗り越え、一歩踏み出す勇気をもてと、大いに励ました。
ロベルトも、ヴァイオリンの事をもっともっと学んで腕を磨けば良いと励ました。
ティノが生まれた街、クレモナは、イタリア北西部ロンバルディア州南部の小さな都市。イタリア半島北端のほぼ中央にある街で、ヴァイオリンの聖地と呼ばれている。
クレモナは、アマティ、ストラディヴァリ、グァルネリはじめ、リウターイオの巨匠達の故郷で、ストラディヴァリウスはじめ、数々のヴァイオリンの名器が生まれてきた。
リウターイオだけでなくヴァイオリニストの憧れの街でもある。
そのリウターイオの中でも、とりわけ、ティノの父ロベルト・アルベルティは巨匠と言われ、遠い異国の地のヴァイオリニスト達が、彼の作品を何年も待つほどの人気だ。
祖父ジーモもまた優秀な職人で、フランス国やオーストリア国の宮廷に献上するヴァイオリンを造る事で有名だった。
そんなヴァイオリン職人一家で育ったティノは、父や祖父の姿を見て、何時か自分も素晴らしいリウターイオになろうと決めていた。
ティノは幼い時から、ロベルトのヴァイオリン造りを手伝って来たので、既に独りでヴァイオリンを造れる様になっていた。
手先がとても器用で、ロベルトもティノには大いに期待をかけヴァイオリン造りを教えていた。
でも、ストラディヴァリウスの様な名器を造る事は、夢の又夢。
ティノにとってもリウターイオ達にとっても、ストラディヴァリウスは神秘的で奇跡的名器なのだ。
そんな素晴らしい名器を造ってみたいと思う気持ちが有っても、至高のヴァイオリン造りは、容易ではなかった。
それでも、ヴァイオリン職人になるからには、一生涯かけても、そんな名器と言われるヴァイオリンを造りたいと願ってもいる。だからこそ、ティノは、とても研究熱心で、スクロールの形でも納得するまで黙々と彫り続けていたのだ。
*
ティノは、父と祖父に励まされた翌日、街の中心にあるドゥオーモ(大聖堂)近くの骨董品店に出かける事にした。
「お兄ちゃん、あの幽霊屋敷に行くんだ、腰を抜かさないでね、それとも、一緒に付いていってあげようか?私は怖くないし・・・」出がけにモナが、またからかった。
「幽霊なんて怖くないって言っただろう、モナは来なくていいから」ティノは、しかめっ面をしてモナにそう言い、ドゥオーモを目指して駆けて行った。
ティノの家は、クレモナの中心から少しだけ郊外に有り、ポー川の流れがよく見える場所で、ドゥオーモに行くまでに小麦畑を越え、にょろにょろした細い石畳の道を少しの間、歩かなくてはならない。
でも、ティノは、その風景が大好きで、歩くことが楽しかったのだ。
石畳の道を歩いていると、ティノを呼び止める声が聞こえた。
「あらティノどこに行くの?」
ティノがその声に振り返ると、ヴァイオリンケースを抱えた茶髪の美しい娘がティノに近づいて来た。
「やあ、セレーナ」
セレーナは、ティノと同じ十六歳で、学校のクラスメイト。とてもチャーミングで、心根が優しい娘だ。
セレーナは、二歳からヴァイオリンを弾き始め、幾つものヴァイオリンコンテストで優勝し、世界的なヴァイオリニストになれると有望視されていた。
ティノは、骨董品に向かっている事をセレーナに話すと、セレーナも興味を持ち、一緒に行きたいと言いだした。
「じゃ、行ってみよう、ほんと言って独りより心強いしね」
ティノは照れ笑いを浮かべた。
二人は、長い石畳を歩いて、コルソ・ガリバルディ通りを通過し、ようやく、骨董品店の前に到着した。
さて、この骨董品店は、かれこれ百年近くクレモナで商売を続けており、陳列品は使い古した弦楽器と中東やアジアの風変わりな楽器、古美術品ばかりで、出入りするのは、年老いた人ばかりだった。
店は古い煉瓦造りの二階建て、入り口の木扉は、木目がすっかり消えコールタールでも塗った様に薄気味悪い茶褐色だ。真鍮製のドアノブは光沢を失い黒ずみ、触るのも気味が悪い程汚れていた。噂の如く幽霊屋敷の様だ。
ティノはモナに「幽霊が怖いんだ」と笑われ、強気の返事をしてはいたが、本音は、とても怖かった。
店の前に佇んでみると、恐怖心が深まり、心臓がドキンドキンと高鳴っいる。
でも、セレーナの手前、小刻みに震える手を押さえ、ドアノブをゆっくりと回し扉を開けた。
扉の隙間から目をこらし、そ~と中を覗いて見ると、楽器や美術品が山積みで、ちょとでも触れたら、バタバタと倒れそうだ。
さらに大きく扉を開けて、こんどはぐるりと店の中を見渡してみると、数百年は経っていそうな年代物の美術品が沢山見えた。骨董品は、仏像や木彫りの仮面なども有り、かなり不気味な雰囲気が漂う店だった。
「ちょっと気味悪いなぁ」とティノが呟いた。
すると美術品の隙間から「どなたですかな」と声が聞こえた。
「うわ~幽霊だ・・・」ティノは思わず声を上げ目をつぶった。
「違うわティノ、幽霊じゃ無いわ・・・」
「幽霊?・・・これはこれは・・・・驚かせてすまないね」
その声の主は、幽霊ではなく普通の老人だった。
老人は、真鍮でこしらえた、丸い縁の眼鏡を掛け、白髪頭で、頬がかなり張り出し、眉毛がピンと伸び、もじゃもじゃした、あご髭を生やしている。
ジーモが言うように、少しばかりむさ苦しいが、眼鏡の奥の目は、とても優しい目をしていた。
「こ・・・こんにちは・・・」
ティノは、申し訳なさそうに挨拶した。
「おやおや、珍しい若者が来たものだ、それも二人・・・あんた達のような若者が来店するのは何年ぶりかのぉ、いや何十年かもしれないねぇ・・・」老人はにっこり微笑んだ。
老人が言う様に、店に若者が入ったのは、記憶を忘れる程、昔の事だった。
「何かお探しで?」
「あ、いろいろなヴァイオリンとか、見てみたくて」
「ヴァイオリン弾いてるのかね・・・それともリウターイオにでもなるのかね?」
「ええ、僕はリウターイオに、彼女はヴァイオリニストになりたくて」
「ほほう、それは大したもんだ」
すると老人は、ティノの顔をまざまざと見つめた。
「・・・もしや・・・あなたは・・・ジーモ・アルベルティさんのお孫さんかね?」
「お爺ちゃん知ってるの?」
「やはりそうですか、知ってますとも、ジーモ・アルベルティさんは、有名な職人さんだからね、あなたの、おでこもお鼻も、ジーモさんそっくりだ、ハハハ」
老人は、豪快に笑った。
「ところで、あなたの名は?」と老人がティノに尋ねた。
「僕ティノ・・・ティノ・アルベルティと言います」
「ティノ・アルベルティ、良い名前ですね、私はエドモント、そちらのお嬢さんは?」
エドモントは、セレーナを見ながら微笑んだ。
「こんにちは、エドモントさん、私は、セレーナです」
「そうかね、リウターイオとヴァイオリニストの卵ってわけか、いやいや素晴らしいね」
それから、ティノは、エドモントに、店に来た訳を話し、父や祖父の話をした。
「アルベルティさん、あなたのお父さんもお爺さんも優れた方ばかりじゃ、あんたもその血筋を引いているから、さぞ、素晴らしいリウターイオになれる、頑張っておくれ。
それで、そのヴァイオリンの事じゃが・・・その階段を昇ると、右側にかなり年代物のヴァイオリンと、昔の弦楽器が有るので、お探し下さいな・・・」
とエドモントは、楽器がある場所に手をかざした。
「ありがとうございます、それじゃ、ちょっと見てみます」
ティノは、幽霊の事はすっかり忘れてしまったかの様に振る舞った。
ティノとセレーナは、階段を上り始めた。
ギコ・・・ギコ・・・階段を上るたび、きしみ音があたりいっぱい響いている。
何十年も経っている階段は、もう木が随分傷み底が抜けそうだった。
そして、老人が指さした場所にたたずみ佇み、ヴァイオリンや楽器を探し始めた。
長年クレモナで骨董品店を営んでいるだけ有って、古びたヴァイオリンや楽器は、山のように有り、イタリアだけでなく異国の品も随分と多く、ティノは、勇気を出して店に入って良かったと思った。
「こんな形のヴァイオリンもあるんだなぁ・・・」ティノが呟いた。
「ねえティノ、このヴァイオリン見て見て・・・グァルネリが若い時に作ったみたい、すごい年代物・・・少し傷があるのが残念ね」セレーナが言った。
「ねえ、セレーナこれ見て、現代のヴァイオリンとちょっと形が微妙に違う」とティノが言った。
ヴァイオリンの形は、みな同じではない、細長いもの、太っちょのもの、スクロールも渦巻きのもの、動物の形のものと様々、研究熱心なティノにとっては、この店は宝の山に見えた。
そうしていろいろなヴァイオリンを探していると・・・
ポロン・・・ポロン・・・
なにやら微かな弦の音が、部屋の片隅から聞こえている。
誰もいないはずの部屋で、微かに弦が鳴った。
「ねえセレーナ? 聞こえた?」
「ええ、弦の音?確かに聞こえたわ・・・」
二人は、音の鳴っている場所をじっと見つめてみた。
しかし、誰も居ない。音が鳴る場所には、古い弦楽器がいくつか有るだけだ。
「ネズミ?」
ティノは頭をかしげた。
「まさか・・・幽霊?」セレーナが言った。
二人は息をこらして、音が鳴った方向を見つめた。
二人が同じ弦楽器を見つめていると
「私を連れてって・・・」
今度は、微かな声が聞こえた。
気のせいじゃない――ティノの顔がみるみる青ざめた。
「やっぱり、幽霊?」
ティノの心臓が高鳴り、全身が固まって動けない。
「ティノ、私も聞こえた」セレーナも目を丸くして恐る恐る弦楽器を指さした。
「私を連れてって・・・」とまた声が。
でも、その声は恐ろしさとはかけ離れた可愛い女性の声だ。
「ねえティノ、女の子の声よ・・・誰か居るわ」とセレーナが言った。
でも、どう見ても、部屋に人影はない、けれど、確かに女性の声は聞こえてきた。
二人は、怖さ以上に、誰が呼んでいるのか確かめてみたくなった。
「間違いないわ、この楽器から聞こえたわ・・・」
セレーナが、古びた風変わりな弦楽器に手を添えた。
中世時代に造られたリラ・ダ・ブラッチョにも似ていて、ヴァイオリンより大きく、弦は六弦で、スクロール(糸巻き部分)は、奇妙な生き物の顔が彫られ、褐色にくすんでいる。弦楽器には、見たことのない文字が刻まれていた。
二人には読むことが出来ない文字。
アラビア文字の様な、ギリシャ文字の様な、何とも不思議な文字だ。
「確かにここから聞こえた・・・」ティノが弦楽器を手に取った。
「私を連れてって・・・」
弦楽器の中から、女の子の声がはっきり聞こる。
「何だこの楽器・・・」
「ティノ、やっぱりこの楽器から聞こえるわ」
二人とも、恐ろしさより、どうして声が聞こえるかが、不思議でしかたない。
ティノは、その弦楽器を両手で持ち、ぐるぐるぐるぐる見回した。
でも、何も出てくる気配はなかった。
「やっぱり幽霊だよセレーナ!」
ティノは、我に返り身震いした。
そして、弦楽器を手に持ち一目散で、階段を駆け下り、エドモントの下に向かった。
「エドモントさんエドモントさん・・・大変です、大変・・・この楽器がしゃべった!」
ティノは、エドモントに、その弦楽器を差し出した。
「楽器がしゃべったですって・・・ご冗談でしょう」
エドモントは、ティノの話をなぜか受け入れない。
「はっはっはっは・・・」と笑い飛ばしてばかり。
「本当なんです、女の子の声がしたんです」
「そう、私も聞こえたの・・・」
二人が何度説明しても、エドモントは、なぜか聞き入れてくれない。
「アルベルティさん、気のせいじゃろう、楽器はしゃべらんよ、どうか、そんな話を街の中でしないでおくれ、商売に差し支えがでるでな・・・」
優しいエドモントの顔が強ばった。
「良いですかなアルベルティさん、楽器がしゃべったなどと、滅多なことを口にしてはなりませんよ、あなたの名誉のためにも、私の店のためにもね」
ティノは、エドモントにそう言われて、しょげていた。
「エドモントさん、彼だけじゃなく私も聞こえました」セレーナがティノをかばった。
「そう、二人とも聞いたのかね・・・そうかね・・・」
エドモントは何か考え込んでいる。
「エドモントさん、この楽器、何か秘密でも?」とティノが尋ねた。
「特別何も・・・」
しかしエドモントの様子はどこかおかしい。
ティノは、エドモントが何か隠していると感じた。
「やはり、ここのお店には、幽霊がいるんじゃないエドモントさん、だから、僕が何を言っても、僕が嘘をついているって話になる、そうなんじゃ」
エドモントは、ティノの気概に根負けし「確かに秘密があるんじゃが、話せば、あんた達が、危ない事になるかもしれんので」と返事した。
「危ない事?、それじゃますます教えてもらわないと・・・」
エドモントは、楽器の秘密を話すべきか悩んでいた。
しかし、かれこれ半世紀、誰も、この楽器から声を聞いた事が無かったので、エドモントは、不思議な思いにかられ、とうとう秘密を話しだした。
「百年はとうに過ぎた昔の事じゃが、この弦楽器は、ヴェネツィアの商人が、アドリア海で大暴れしていた海賊から、奪ってきたものなんじゃ」
「海賊から・・・」
「そう、海賊からなんだが、それも訳ありで・・・」
「宝を積んだ船を襲った海賊が、その船で見つけたそうだが、実は、見つけた時に、この楽器が、独りで音を出しとったそうだ」
海賊達は、この不思議な楽器を隠れ家に持ち帰ったが、その後、この楽器を手にする者が次々に病気を患い、呪われた楽器だと噂が広まった。
誰も触らないのに、独りで音が鳴る楽器は、不気味だと怖がられる様になり、海賊達は、楽器を燃やそうとしたが、火をつけようとすると、また何人もの海賊が倒れ、この楽器は、たたられた楽器、悪魔の楽器と恐れられ、洞窟深くに置き去りにして誰も近づかなかった。
ある日こと、その噂を聞いたヴェネツィアの商人が、この楽器で大儲け出来ると考え、楽器を盗みだす事を計画し、まんまと海賊達から盗み取った。
商人は、ヴェネツィアで楽器を高く売ろうとしたのだが、その商人も不思議な病気を患い急死してしまった。その後、この楽器は、人目に触れることもなく、亡くなった商人の家の蔵で数十年眠ったままだったが、その後家が他人に渡される際に、この楽器が見つかり、それから何人もの古物商に渡り、三十年前頃に、エドモントの店に来た。
だが、あのヴェネツィアの商人が亡くなってからというもの、この楽器から声が聞こえたり、たたりが有ったりは一度もなかった。
エドモントの店に来てから、時より二階から弦の音が聞こえたりはしたが、ネズミでも居るのかと、気にもとめなかった。
エドモントは、弦楽器の物語を、すっかり忘れていた。
「かれこれ三十年くらい昔に店に来たんじゃが・・・そのまま二階の片隅に置いたままで、誰一人買うものもおらず、もちろん声がしたりなど一度もない、あんた達が来るまではね」
エドモントは、ティノ達だけに声が聞こえた事に不思議なえにし縁を感じた。
「アルベルティさん、その楽器怖くないのかね?」
ティノは、そう尋ねられて、はたと気づいた。
確かに怖くない。
むしろ、この楽器が自分を呼んでいる様に感じる。
幽霊に取り憑かれた怖い楽器とは思えなかった。
「エドモントさん、これ、譲って下さい・・・」
エドモントは、商売より、たたりの事が気になって、簡単に返事が出来なかった。
ティノに渡したら、ティノに災いが起こるやもしれないと。
「譲りたくとも、あんた達に、もしも何かあったら・・・」
「いえ、僕がここに来たくなったのは、きっとこの楽器と出会うためだったのかもしれません」なぜか解らないが、ティノは、楽器を持ち帰らなくてはと感じた。
エドモントは、躊躇したまま沈黙した。
すると・・・
「私を連れてって・・・」
また女性の声が聞こえた。
今度は、エドモントにも解るような声だった。
エドモントは、腰が抜けそうになるほど驚いた。
「やっぱり、聞こえる!」セレーナが叫びました。
「これは驚きだ、あんた達を呼んでおる、なんて不思議な!・・・」
エドモントは、あっけにとられ、この楽器をじっと見つめ
「不思議な楽器だ、どうも、あんた達に連れてってと言ったような・・・」と呟いた。
「ええ、私もそう、聞こえます」とセレーナ。
エドモントは、再び戸惑い目を閉じ考え込んだあげく、パッと目を見開き、ティノを見つめて言った。
「それじゃ、この楽器は、あんた達にあげよう、わしもこの楽器が、あんた達に連れて行って欲しいと願っている様だと思うので代金もいらんよ・・・・但しじゃ、この話は、三人だけの秘密じゃよ、絶対に誰にも内緒にしておくれ、それだけ約束だよ」
思いもかけないエドモントの話に二人は驚いたが、不思議な巡り合わせを感じて、秘密を守る事を約束して、楽器を受け取る事にした。
こうして、この不思議な楽器は、ティノのもとへ渡された。
ティノとセレーナは、帰り道誰にも知られない様に楽器を大きな布袋に詰め家路に向かって駆けて行った、誰にも会わないように、無我夢中で。
それからティノとセレーナは、誰も居ないヴァイオリン工房にそ~っと入り、弦楽器を袋から取り出すと、目をこらして、弦楽器の隅々を見回した。
しかし、何も変わったことはなさそうだ。
どこから見ても古びた弦楽器だけのことだった。
「おかしいなぁ・・・なんで、声が聞こえたんだろう・・・」
「ちょっと貸してみて」とセレーナが言い、弦楽器を手に取ると、ヴァイオリンの弓を使いながら、ゆっくりと弾き始めた。
「六弦は弾きづらいわ」とセレーナが言った。
だが弾いてみるとまずまずの音が部屋に響いた。
ヴァイオリンまでの美しい響きではないが、高音の響きは、丁度ヴァイオリンとハープを合わせた様な音色がする。
「まあまあの音だね、セレーナ」とティノが呟いた。
でも肝心な、女の子の声が聞こえた訳が、どうにも理解出来なかった。
二人が、頭をかしげていると。
「連れて来てくれて有り難う・・・」
と女の子の声が弦楽器の真ん中から聞こえた。
「なんてこった!!誰だい・・・」
ティノは、楽器の空洞をのぞ覗きました。
するとその空洞部分から、また声が
「私は、妖精・・・」
「妖精だって!」ティノが驚いて言った。
「実は私、呪いを掛けられて、この中に閉じ込められているの」
「呪い?」セレーナが呟いた。
「ねえ・・・お願いがあるの、私に掛けられた呪いを解くには、その呪いを消し去る事が出来る清い力がないと無理なの、その清い力は、憎しみも恨みも抱いたことの無い思いやりを持つリウターイオの男の子が持つと言われているの、もしあなたが、そのリウターイオなら、この呪いが解ける」
ティノは、まさか自分がそのリウターイオだとは、にわかに信じがたかった。
「でも、なんで僕がその人だと思ったの?」
「だって、あの店に来て、リオターイオだって話してたし、男の子だし、それに、今まであの店にそんな人誰も来なかった、だから、きっとそうだって思ったのよ」
「僕がその男の子と言われても・・・でも・・・君を救えるなら、なんとかしなくちゃ、それで、どうすれば良いんだい」
ティノは、妖精の切実な願いを聞いた今、とにかく、なんとか出来ればと思った。
「じゃ、やってみてくれる・・・あの、この楽器を演奏しながら呪文を唱えて欲しいの、呪文の言葉は・・・ルーナ・ソーレ・アバードよ、音は、ミレファミ・ソラシ、ミドファミ・レミドと三度弾いてみて」
妖精ハーミィの言う通り、ティノは、弦楽器を演奏し呪文を唱えた。
呪文を唱えた瞬間、弦楽器の空洞から、渦巻き状の白煙が上がると、妖精が現れた、まるで鳥が飛んでるように、妖精は工房を飛び回った。
「やったーやったーやったー、やっぱりあなたが、その男の子だったわ!」
妖精は、感激で大声を張り上げながら、ティノの周りをぐるぐる回ってばかり
妖精を初めて見たティノとセレーナは、心臓が張り裂けそうに驚いた。
「おい、妖精さん、落ち着いて」
ティノは、飛び回る妖精の動きを止めるように、声を張り上げた。
「落ち着けですって、こんな嬉しいことに、落ち着いていられないわ」
妖精は興奮しながら、声を張り上げた。
「だって、もうズーと、ここに閉じ込められていたのよ、嬉しくて嬉しくて!」
「わかった、わかった、君の気持ちは、わかったよ、だから、ちょっとだけ落ち着いて」
妖精は、そう言われて、飛び回るのを止め、ようやく落ち着きを取り戻した。
「ごめん、ありがとうって言うのが先だったわ!!!」
妖精は、ティノとセレーナに深々とお辞儀をした。
「待って待って、ずーとずーと、ずーと待ってたのよぉ」妖精は声を張り上げた。
「まったく、幽霊かと思ったよ」ティノが、妖精の落ち着かない姿を見て言った。
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