自論:行く年来る年
尾巻屋
言われた通りエピソードタイトルと入力してみた
クリスマスが過ぎ、師走とかいう忙しないものも終わりを迎えようとしている。目の前で軽快に秒を刻む時計の針が、その太い腕をもう一つ回らせたら年が終わる。
実に早いものだ。
こうして少し落ち着く暇ができると、人は途端に自分の行いを悔い始める。自分も例外ではなく、今年は何を為せたか、何を取り逃がしたかと、ぶつぶつ数えては情けなくなっているのであった。
と、ふと思うことがある。来たる年にはもう少しマシになることができるのか。
きっとこれには否と答える他にないだろう。
そもそも、マシという言葉には良いという意味が含められている。この良いという言葉が問題だ。
少しひねくれて考えてみると簡単にわかることだが、良い、つまりは良い人、立派であることは所詮社会一般と個人を比べた時に判明する相対的な価値観でしかない。
やるべきことを為し、他人に優しくし、常にへらへら笑うこと。これは良いこと。
怠惰に生き、盗みを働き、赤子を殺して食うこと。これは悪いこと。
だがこれも所詮その都度、時代によって移り変わる常識という規定のもとで正当化されるものだ。
少しの昔まではお家柄で態度を変えても何も言われなかった歴史もある。むしろそれが強制され、当たり前だと言われていたほどだ。
だが今それをしようものならば四方から罵声を浴びせられる未来が容易に見える。
良い、とは端から端まで明確な隔たりなく滑らかに色を様変わりさせるスペクトラムのように、決して単一で確かに定まるようなものではないものに便宜上授けられた名なのである。
この良い、というものがこれほど不確かなものであり、定義として曖昧である以上、マシというものになれるかどうかは胸を張って言うこと能わない。
では、どうすればこの情けなさ、虚しさは消えるのだろうか。
きっと消えはしないのだろう。永遠に。
我々はこの甘酸っぱくも苦い経験を胸に、次の日へ、そしてまたその次へと暮らし、命尽きるその日まで一瞬もこれを離さず時の大河を漂っていく他にないのだろう。
ただ明日が今日よりも楽しく、『良い』ものになると信じて。
今晩は何を食べようか。
自論:行く年来る年 尾巻屋 @ruthless_novel
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