第10話 黒い暴威

 不自然なほど静かなデゼールロジエの市街地に突如響いた銃声。


「…………っ!!」

「ちょ、ちょっと! 何なの!?」


 髪を僅かに焦がす温度が、もしも反応が遅れていたらどうなっていたかを暗示してカイルの背筋を冷やす。思わず後ろを振り返ったカイルをルキウスが止める。

 その視線は前――銃弾が放たれた方角を向いたままだ。再び前を向いたカイルが見たのは、通りの中央に立つ1人の少年だった。左手に握られた拳銃はカイルに向けられたままだ。しかしその2発目が放たれることはなく、代わりにその少年はにやり、と口元を歪めた。


「久しぶりだね。会いたかったよ、ルキウス。そしてカイル=エヴァーリヴ」


 親しげな口調で歩み寄る少年。

「ちょっとちょっと! いきなり撃っておいて久しぶりも何もないんじゃないの!? 2人とも早く逃げなさい! どういう知り合いかわからないけど、師匠せんせいの所に、」

「少しどいていろ、人間」


 少年が言うや否や、リシャールの巨体は真横の壁に叩きつけられた。


「リシャールさん!」

「行くな、カイル!」

 慌てて駆け寄ろうとするカイルを、ルキウスが今度は手で掴んで引き止める。「でもっ!」と言いかけたカイルは、再び鼻先を掠めた銃弾に沈黙せざるをえなかった。

「安心していいよ、カイル=エヴァーリヴ。その人間は死んでいない。死なない程度には手加減したさ。あまり殺すなとにも言われているしね」

 嘲笑の色を浮かべながら、再び少年は近付いてくる。後ろで1つに束ねられた髪は夜闇にさえ残る色味が一切ない黒で、衣服も黒ずくめだ。黒くないのは、こちらに銃を向けている手と同じく生気を感じさせない青白い肌と、にこやかな表情と裏腹に冷ややかな気配を滲ませる金色の瞳くらいのもの。そして顔にある痣は、その少年が魔族であることを証明していた。

 そして、こちら側には面識はないにもかかわらず名指しで呼んでくる相手。つまり――

「エデンからの追っ手……?」

 脱走者である自分たちを連れ戻しに来たのだろうか。近付いて来る少年に後ろに下がるカイルと、身構えるルキウス。そして少年は事も無げに頷き、「ルキウス。お姫様がキミの帰りを待っている。なに、用件はすぐに済むだろうさ」と告げた口をまた笑みの形に歪ませた。

 睨み付けるルキウスの顔を笑顔のまま見つめ返す。

「自分からは来てくれないのかい?」

「誰があんなとこ戻るかよ! あの女に言っとけ、俺はお前らなんかの思い通りには絶対ならねぇってな!」

 ルキウスの吐き捨てるような怒声を聞いた少年は両手を広げて大袈裟に嘆く身振りをした後、むしろ嬉しそうに「まぁ、それでこそキミたちだ。くくっ、もしボクがこのまま帰ったらあのお姫様はどれだけ悔しがるだろうね? まったく、顔が目に浮かぶようだよ」と言った。

 そしてその場に――2人の数歩ほど前で立ち止まる。金色の瞳に見つめられたカイルは、その冷たさに思わず身をすくませる。その視線から庇うようにカイルと少年の間に入ったルキウスは、カイルに「逃げろ」と囁いた。

「えっ!?」

「大丈夫だ、こんなやつすぐにぶっ倒して追い付くから」

 ルキウスとしては、本心からカイルが傍にいない方が好都合だった。その方が自分の行動範囲も制限されなくなる、そう思ったのだ。しかし、その思考を先回りするように黒衣の少年が嗤う。その目は、相変わらず2人を射抜くように見つめている。

「もう遅いよ、ルキウス。ボクだってあのお姫様にキミを連れ帰るように命じられている。来てくれないのなら、無理にでも捕まえるしかないね」

 少年が陶器のように白い指を鳴らすと同時に、突然近くの建物が轟音を立てて爆発した!

「――――っ!?」

 一瞬のうちに起こった爆風に吹き飛ばされる2人。背中を強打して、ルキウスの視界が明滅する。むせ返ったまま息を吸おうとした喉を、白い手が襲う。

「ぐっ……! か――――っ」

「無駄だよ、キミはボクと来るんだ」

 薄れる視界の中央から聞こえる自分を嘲笑う含み笑いに抵抗しようとしたルキウスだったが、体に力が入らない。その姿を、また敵が嘲笑う。

「頚動脈に少し圧力を加えれば、脳へ行く血液は大幅に減らせる。それは人間だって魔族だって同じだ。もっとも、そんなことすらキミには学ぶ機会はなかったろうけどね。とにかく、キミを気絶させるくらいならそう力を入れる必要もないんだよ?」

 そうは言いながらも、少年はその細身の外見からは想像もつかない握力でルキウスの首を絞めている。喉の辺りから頭頂部にかけて熱と鈍痛がじわりと広がっていき、頭の中がどろどろの液体が満たされていくような不快感がこみ上げる。吐く息すらなくなり、意識が混濁しかけたとき、不意に力が緩んだ。

「――――っ!」

 押し殺した呻き声が聞こえ、それはすぐ舌打ちに変わる。

「カイル=エヴァーリヴ。キミの番はまだだったんだけど……やっぱり今回もキミが1番の厄介者か」

 憎々しげに呟く少年の右腕には、小さなナイフが刺さっていた。リシャールが護身用にとカイルに持たせていた物だ。少年はルキウスの首から手を離し、その場に立ち上がる。

 近付いてくる少年から距離をとろうとして、カイルは爆発した建物の瓦礫につまずいてその場に尻餅をついてしまう。その姿を見下ろす少年の瞳は冷たさを増し、口元からは笑みが消える。その代わり、混じり気のない殺意を隠すことなくカイルに向けながら、足下の瓦礫片を踏み潰して呟く。


「この破片くらいの存在のはずだったキミが、咄嗟とっさにこんなことをできるとはね。キミは本当に、いつも大事なところで狙ったようにボクの邪魔をしてくれるよ……」

「…………っ!」


 声にならない悲鳴がカイルの喉から絞り出される。

「キミのような人間の少年の首なら、きっとルキウスを気絶させるよりも楽に砕くことができる。少し早いかもしれないけど、キミにはここで消えてもらうよ。何があるかわからないからね」

 咄嗟に後ろの金属片を掴もうとしたカイルだったが、「そんなことはさせないよ」という少年の声とともに突風が巻き起こり、金属片は音を立てて吹き飛ばされる。悲痛な声を漏らすカイルの首に手を伸ばそうとした少年の動きが、舌打ちとともに突然止まる。

「おーい、誰かいるのか!?」

 遠くから、この街の住民だろうか、大人の男の声が聞こえた。それに続いて、爆発音を聞きつけたのだろう、喧騒の気配を感じた。

「――時間切れか。キミら2人だけならどうにでもなったが、仕方ない。今回は退くよ」

 徐々に近付いてくる人だかりを忌々しげに一瞥して、鳴り響くサイレン音の中で少年は言う。


「だが、いずれにしても結末は変わらない。キミたちも直にそれを理解できるさ」


 最後にそう言って立ち去る少年の背中は、数秒後に到着した人だかりの向こうに消えた。

「なんだなんだ、何が起こったんだ?」

「おい、あれエスタ先生と一緒にいた……!」

「大丈夫か、お前ら!」

 そんな声を最後に、カイルの意識は闇に沈んだ。

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