第11話 白い目覚めの傍には

「なに、襲われた?」

 カイルの言葉を聞いたエスタは、ただでさえ大きな目を更に丸くしていた。


 デゼールロジエ市街地のクラブ『砂漠のバラ』の爆発現場からの救出という形で、カイルとルキウス、リシャールの3人はデゼールロジエの病院に担ぎ込まれた。

 ルキウスが――そしてカイルよりも先に意識を取り戻したリシャールが訴えた黒衣の少年の姿は見つからず、その痕跡も残ってはいなかった。カイルが意識を失ったのは単に緊張が解けただけのようで、傷としては壁にぶつかったときの擦り傷くらいのものだった。

 しかしルキウスの方は、首を絞められたせいだろう、頚骨に小さなひびが入っており、治療が必要だった。


「ともかく、早くたにゃいかんな。まさか機械馬で1日かかる所にもう追い付いてくるとは思わなかったが……」


 信じられない、という様子で言うエスタだったが、実際にルキウスをエデンに連れ戻すための追っ手が現れている。機械馬の走行速度と性能を思えば、この場合はエスタのように疑うことは至極当然とも言えたが、実際にルキウスが首を絞められており、カイルの手には誰のものとも知れない血液が付いている以上、その現場に居合わせなかったエスタでも彼らの話を信じざるをえなかった。

 カイルの目が覚めたら自分の所に連れてくるようルキウスに言い置いて、エスタは機械馬を預けている電子格納庫へ足早に向かって行った。リシャールもエスタに付き添って部屋を出て行き、1人取り残されたルキウスは、傍らのベッドで眠っているカイルへ目をやる。

 そこには、安心しただけで気絶してしまうような、自分と比べてあまりに弱い、戦いにおいては近くにいない方が好都合に思える人間の姿があった。

 だけど…………。


 ――――もし、こいつがいなかったら俺は……?

 その思いが、脳裏に浮かぶ。


 相手は明らかに自分より強かった。いとも容易く追い詰められて、あと少しで意識を失うところまでになった。もしカイルがナイフを使っていなかったらエデンに連れ戻されて、また苦痛だらけで閉塞した実験体としての、死に向かうだけの日々が待っていたのだろうか。

『ルキウス、貴方は――いえ、貴方の目はいずれ私の一部になる』

 それまでは死ぬな。その言葉の意味を、ルキウスは理解している。『核』と呼ばれる部位――それが自分の場合は目であることもルキウスは教えられていた――を取り出された魔族がその後迎える末路を、ずっと水槽の中から見つめていたのだから。

 耐え難いほどの恐怖が押し寄せてくるのを感じて、ルキウスは明るいブロンドの髪に爪を立て、皮膚を破らんばかりに力を込める。頭皮に食い込む爪がもたらす痛みへの逃避には、もう慣れていた。いつ死が訪れるともわからない研究棟での日々は頻繁に彼の精神を蝕んでいた。

 今になって思う。

 自分の身を案じて涙を流す存在を知った、今ならば思う。

 生物として認められずにいた「あそこ」での日々は、あまりに恐ろしかった、と。


「戻りたくない……!」


 我知らず、弱々しい声が喉から漏れる。

 震える両膝をそのままに、ルキウスは荒い息遣いで頭を抱える。中身をかき混ぜられるような感覚が恐怖に拍車をかける。固く目を閉じ、それでも先刻見た追っ手の身の毛もよだつような嘲笑が忘れられず、小さな呻き声が震える。

「ルキウス……?」

 傍らのベッドから、細い声が聞こえた。見ると、ベッドの上でカイルが薄く目を開けて、心配そうにこちらを見ている。

 別にそんな必要はないはずだったが、ルキウスは慌てて平静を装う。

 その様子に気付いているのかいないのか、少しだけ優しげに微笑んでから、カイルは掠れたような声でルキウスに尋ねた。

「どうかしたの? ……首は、大丈夫だった?」

「あ、あぁ。あれくらいどうってことねぇから」

 恐怖の淵から自分を救ったその姿はあまりに脆そうで、少しでも力を加えられたら簡単に崩れてしまいそうに見えた。しかしあの時、もしも傍にカイルがいなかったら自分はきっと死ぬまで実験体として扱われ、そして道具として殺されることになったのだろう。カイルは確かに、その窮地から自分を救ってくれた。その弱くて小さな手に、自分は救われた。

 ルキウスは思わずベッドに身を横たえたままのカイルの手を握っていた。

 今まで感じたことのなかった、優しい温もりを持った手だった。


「――ルキウス?」

「……な、何でもねぇよ。あ、そ、そういや、エスタのおっさんが馬のとこまで来いって言ってたからな。目ぇ覚めたんだったら早く来いよ」


 相変わらずまっすぐに自分を見つめてくるカイルの顔から思わず目を逸らし、ルキウスは病室を後にする。病室から出る直前に振り返ったカイルは、ちょっと待ってて、と言いたげな表情を向けてそのまま支度を始めている。ルキウスは、その姿を見て安堵する。

 危ないところだった、さっきの独り言を聞かれていたら、きっとまたこいつは自分のことを心配する。別に嫌なわけではないが、何というか鬱陶しい。それに、何だかわけのわからない気持ちになる。すぐに聞かれなかったところをみると、たぶん聞かれてはいなかったのだろう。

「じゃあ、待っててやるからさっさと来いよ」

「うん、ありがとう」


 ――それもやめろって。


 そう言いたくなったのを堪えて、ルキウスは部屋の外に出た。

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