第9話 砂塵の彼方から

 夜のない砂漠の街、デゼールロジエ。

 エデンから抜け出してそこに到着した次の日、カイルたちはエスタに連れられて薬を売る手伝いをすることになった。

 デゼールロジエの近辺は見渡す限りの砂漠地帯であり、薬の原料になるものがあまり採れない。そういう地域では薬の希少価値が高くなりがちで、当然の結果として薬自体の価格も高くなりがちだという話は道中でエスタから聞いていたし、何となくカイルには理解できる話だった。

 そして、デゼールロジエで2人を伴ってエスタがしようとしている仕事は、そうした地域の薬局に安価で薬をおろすこと、また薬屋のない地域においてはその薬を直に販売することである。

「よくわかんねぇけど、安く売るって損なんじゃないのか?」

 出かける前、覚えたての知識を総動員してそう尋ねたルキウスだったが、「そこいらの薬師とは、質と規模が違うからな」という一言で片付けられてしまった。

「まぁ、とにかくだ!」

 安ホテルのベッドで勢いをつけて立ち上がったエスタは、「オレの旅に同行するわけだから、一応商売の手伝いはしてもらうぞ?」と2人に言った。自分たちをエデンの外に連れ出してくれて、その上まだ守ってくれているのだからそれくらいはして当然と思ったカイルと、不満たらたらのルキウスは、明るい日差しの下へと出て行った。

 しかし、いざ売り始めてみると不満なんて言っていられないくらい忙しかった。飲み屋が多いデゼールロジエでは、酔い止めであったり二日酔いを抑える薬であったり、アルコールを摂取した者たちにとって必要な薬に対する需要が高かったようで、その需要を読み取っていたエスタの露店は大繁盛だった。

 客に中には昨夜カイルたちに声をかけた男もいて、「おっ? お前ら昨日の。兄ちゃん、もう酔いは大丈夫なのか?」とルキウスに心配げな声をかける一幕もあった。

 売り始めて1時間ほどして、客足が少し落ち着いた頃、エスタは「いい機会だから、少しこの街を見て回ってきてもいいぞ。リシャールのやつなら今時間があるだろうからな」と2人に言った。

 寝不足だったこともあって遠慮しようと思ったカイルだったが、この言葉を聞いて舞い上がったのがルキウスである――無論、カイルたちにはそれを隠そうとしていたが。そのルキウスに引かれる形で、カイルもデゼールロジエを見て回ることになった。

 エスタの携帯端末で呼び出されてやって来たリシャールに連れられて、2人は明るいデゼールロジエを歩いた。

「ねぇ、ルキウス。大丈夫?」

 デゼールロジエが眠りに就くといわれる朝――遅くとも午前6時には全ての飲食店が閉まるとはいえ、歩いている道にはまだ濃厚な夜の残り香が漂っている。昨夜のように体調を崩したりしてはいけないと思ったカイルは、こまめにルキウスの様子を気にしていた。

 そのカイルに、ルキウスは気もそぞろな態度で「あぁ、大丈夫だけど?」と答える。

「もし気持ち悪くなったら言ってね? すぐにどこかで休もう」

「んー、今のところ何ともないんだよな。……たぶんこのおっさんが飲ませてくれた薬のおかげだと思う」

 後半部分は前を歩くリシャールに気を遣ってか声を潜めて、ルキウスは答える。言われてみれば、昨夜のルキウスは酒の匂いを嗅いですぐに酔ってしまっていたのだから、今こうして歩いて会話をしていられるという状態は、やはりリシャールの作った薬のおかげなのだろう。

「それにしても苦いけどな。やっぱりあれ、薬じゃないのかも」

「ちゃんとした薬よ、ルキウス? それにおっさんじゃなくてでしょ?」

 いつの間にか立ち止まってルキウスを見下ろしていたリシャールの笑顔が、妙に怖い。ルキウスも思わず「はい……」と敬語になってしまうほどの迫力に、カイルまで同じように返事をしてしまった。

「ところでカイル。師匠せんせいとはどういう風に出会ったの?」

 しばらく歩いていると、リシャールがそう尋ねてきた。

「えっ?」

「ううん、何か師匠があんたのこと随分気にかけてるみたいだから、ちょっと気になっちゃって。あの人があんなに気にするのって、妹さんくらいだったから」

「…………」

 エスタの妹。

 カイルとエスタの出会いそのものは単に姉の恋人がエスタの商品に興味を持っていたことからだったが、今のような関わりができたきっかけとなったのは、既にこの世にはいない彼女の存在だった。

 そして同時に、エスタがエデンに対して疑問を抱くようになったきっかけを作った人物。彼女が中央収容所で「事故死」したことで、エスタはその詳細を調べるようになり、今ではエデンの反対勢力をまとめる存在にまでなっている。

 何度目かに会ったとき、彼からその話を聞かせてもらったことがあったが、それでも「妹」についてはほとんど詳しいことを聞けなかった。敢えて尋ねることでもなかったように感じていたし、何より話をしているときのエスタの表情からは、まだ失った妹への愛情が強いことがありありと窺えたからだった。

「リシャールさんは、知ってるんですか? その……エスタさんの妹さんのこと」

 単なる好奇心とは認めたくはなかったが、カイルは純粋に知りたいと思った。エスタにとって、恐らく誰よりも大切だった存在。それを知ってどうするのか、と問われたときの答えが見つからないから、この気持ちは単なる好奇心と思われても仕方がないのかもしれない。それでも――

 ぽん、と頭を大きな手で撫でられる。

 見上げると、リシャールは優しげな、それでいて少し悲しそうな微笑みを浮かべていた。

「わかるよ、その気持ち。アタシも似たようなこと思った時期があったから。直接は会ったことないけど、いっしょに旅をしてたときの師匠は妹さんのことばっかり話してたの。この花は妹に似合いそうだ、とか自分が薬師もやってるのは妹が小さい頃に熱を出したのがきっかけだ、とか。もう耳にタコができるくらい。

 本当に愛しているんだなって、凄く伝わった。そんな妹さんを失った悲しみを共有して、支えてあげたいって思ってたんだけどね……」

 ふっ、と遠くなったリシャールの瞳に、カイルはそれ以上のことを言えなくなってしまった。軽はずみに訊くべきことではないとわかっていたはずなのに。リシャールにとっても悲しいことを思い出させてしまった。視線を地面に向ける。

 一方、ルキウスもカイルとは違う理由で何も言えずに下を向いていた。


 ……妹。家族。

 自分にもそう呼べる存在がいるのだろうか?


 考えても、恋しいとか会ってみたいという気持ちすら湧かない。考えられるような状況ではなかったのだろうから仕方がない――カイルに今自分が感じている気持ちを打ち明けたらそう言うのだろう。実際そうなのだから、反論のしようもないのだが……。

 リシャールは再度カイルの頭を、そして反対の手でルキウスの頭を撫でて、「まっ! お互い話したくなったら話すってことにしましょ!」と話を打ち切った。

「ほら、見てみて! あそこ、師匠のお気に入りの店なの」

 リシャールが指差したのは何かいかがわしい雰囲気を漂わせた装飾が目立つ建物で、カイルは反応に困って辺りを見回す。そのとき、気付いた。

「リシャールさん、この辺りってこんなに静かなんですか?」

 カイルの言葉に、リシャールも辺りを見回す。

「いえ? この辺りって昼間でもやってるレストランとかがある通りだから、もっと賑やかなはずなんだけど……。変ねぇ」

 リシャールも首を傾げる。カイルは何か妙な胸騒ぎを覚える。


 瞬間。

「伏せろ、カイル!」

 ルキウスの声に反応して屈みこんだカイルの頭上を、銃弾が掠めた。

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