第37話 神殺しのススメ・1
国中に激震が走った。
シャイア国王が従兄弟のリユニア公爵に討たれた、という報せは、瞬く間に国中に広まった。
何故討たれたのか。それは百二十年に一度あると分かっている飢饉を見過ごし対応が後手に回ったこと。その上二年前の戦争、西の反乱、南の荒廃、理由を挙げればきりがない。
国を任せられない、と判断したリユニア公爵は自ら蟄居を申し出、その断罪に王自らが出向いたところを討ったらしい。ほぼ血は流れなかった手腕から、リユニア支持の声は高まった。
国民にとって、一番上の頭が誰であるかは然程重要ではない。それが『よく知っている』人間で『自分たちが平和』ならば、実はそんなに困る事もない。
王が断罪に向かったことについては、リユニア公爵程の大公爵ともなれば下手な役人には裁きを任せられないとして納得された。
先に並べたように問題の種は放っておくとあっという間に事態が深刻になる。
それにしても、近衛兵の一小隊の一つも付けずに向かうとは、王としては浅慮にすぎる。
こういった情報を聞くだに、リユニア公爵の即位は、概ね国民に受け入れられようとしていた。
「やれやれ……私は人望がないねぇ」
西の街の安酒場で町人たちの噂を聞きながら、シャイアは小さくぼやいた。
無精髭を生やし、ボロボロのマントを纏った旅人の風体である。酒杯を傾けながら、今はルルイエ邸近くの街に身を潜めていた。
アシュタロスの騒動から一ヶ月が経とうとしている。
リユニア公爵の戴冠式に向けて首都では準備が進んでいるという。
状況が状況なだけに派手なことはしないが、祭司長による儀式は必ず必要なものだ。
また、シャイアが没した事により未亡人となったナタリアは、そのままリユニア公爵の妻として据えられるという。こちらも結婚式をしたばかりなので、リユニア公爵の戴冠式と共に書類に署名する事で済ませるという事だった。
(国民を欺くのは気が引けるが、今はなりふり構っていられないしな)
口ではぼやきつつも、シャイアの心はルルイエを倒すことに向いていた。
ルルイエの策謀……都市ルルイエの降臨による物理的な国の終焉を防ぐ為、シャイアたちは作戦を立てた。
まず、シャイアは死んだものとしてリユニア公爵が玉座に収まる。
そして、ルルイエの土地からの不正な食糧流出を『故意に』引き起こす。ルルイエは優秀な男だ、この故意の異変に気付かない筈が無い。
シャイアはバルクらアッガーラの民と共に西の街とウルド山脈を行き来する生活を送っていた。
故意に引き起こす食糧流出先はウルド山脈のアッガーラの村である。しっかりとした貯蔵庫があり、そこに一先ず食糧を保管し、しかるべき時が来たら領民に返すのだ。
「待ったかい、ジャヤ」
ジャヤ、とはシャイアが今使っている偽名である。
声を掛けてきたのは西の戦で顔見知りになったマーガレットだ。安酒場の男達が口笛を吹くが、一睨みと腰の剣を鳴らして黙らせる。
「いいや。行こうか」
「あぁ、こっちは話がついたよ」
シャイア達は今、密かに領民に声を掛けて回っている。
ウルド山脈のアッガーラという事は伏せ、違う領地での食糧難から恩情を求めて訴え、こっそりと横流ししてもらっているのである。
領民は、自分の住んでいる領地以外に然して詳しくない。興味も無い。自らの生活に精いっぱいなのだ。
自分の生活に余裕があれば領主に隠れてこのように食糧を流して小金を稼ぐ事もあるし、余裕がなければすげなく断られる。
シャイアはルルイエ降臨を最初からさせる積りが無い。つまりは、この食糧は流れても問題ない。万が一のためにウルド山脈に買い取って保管して備えている。
マーガレットが話を付けて来た集落に行って、食糧を夜闇に紛れて密かに運び出す。
ここ一ヶ月それを繰り返している。
そろそろ、ルルイエに動きがあるはずだった。
王城では執務机で忙しく働くリユニア公爵の傍に、ナタリアが控えていた。二人きりである。
「……そのように緊張せずとも、あなたは無傷でシャイアに返すよ」
妻として王に嫁ぐのは元来人質としての目的があるので止められない。
止められない事ならばと、リユニア公爵の提案により、二人の時間を増やすという名目でふたりきりで過ごしている。
「存じております。……私は心配しているのです」
ナタリアはこの一ヶ月、シャイアとやり取りしていない。
シャイアは徹底的に身を隠し食糧流出に専念している。多少の隙があればルルイエとアシュタロスの軍勢にすぐに割れてしまうと考えたためだ。
ずっと一緒に、どんな困難も潜り抜けてきた。側にいる事が自然になった。
こうして離れて、シャイアの方が陰で動いている事に、ナタリアは胸を痛めている。
「……私は何をすればよいのでしょう」
「座して待つしかあるまいよ。……心配するな、奥方どの。アレは幼少のみぎりより私と一緒に城を抜け出していたプロフェッショナルだぞ。今もうまく山の民とやっているはずだ」
リユニアが書類から顔を上げて告げる。
ナタリアも真摯な顔で頷いた。
「貴方の保証ならば確実でしょう」
「手が空いたら貴女の知らないシャイアの話をしましょう」
悪戯ぽく笑ってリユニア公爵は片目を瞑った。
表情には出さないが、ナタリアは微笑んだ声で応じた。
「ぜひお願いします」
戴冠式まであと二週間。
それまでの間に食糧問題でルルイエを動かさなければならない。
リユニア公爵は書類の陰で何かを考えていた。書類の上を視線が滑っていく。
王からルルイエ辺境伯に対して、食糧流出を調べるよう促すか迷っていた。
アシュタロスとしてすべきか、王としてすべきか。打つ手を間違えられない逡巡で手が止まる。
「リユニア陛下、私はあなたの味方です」
「……は」
ナタリアは無表情の瞳でリユニアを見詰めた。
「あなたはシャイア様のお味方です。私はシャイア様の御庭番です。あなたの力になるのは、シャイア様の味方になること。あなたと私は同じです。何か迷っているのなら、私にご相談ください。今だけは、私はあなたの御庭番ですから」
今度はリユニア公爵が励まされた。
悪戯ではない笑みを浮かべたリユニア公爵は、シャイアによく似た笑顔で頷いた。
「では、奥方どの。ご意見を伺わせてほしい」
「はい」
リユニア公爵は執務机から離れると、ナタリアのかけているソファに移動した。
そこからはひそひそ話になった。
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