第35話 理想
「王が綺麗事を言えずどうする! 王が夢を見ず、王が実践せず、何をもって国を未来へと導くか!」
剣の弾かれた方へアシュタロスが横跳びに移動する。手の中に剣の方からぞわぞわと動いて収束してきた。それを見てシャイアは容赦なく剣を振るった。
しゃがんだ姿勢のまま、アシュタロスがシャイアの剣を刀身で受け止める。押し合いになった。
「何を世迷い事を。夢を見て綺麗事を唱える王などという不安定な物に国を任せられるものか」
「王だから綺麗事を言い夢を見るのだ。貧困、格差、憎悪、現実は辛い事で溢れているだろう。それを何とかするのが王なのだろう。だからこそ、私は綺麗事を言わねばならんのだよ!」
「それが甘いというのだ! 現実を見、他者を排除し、己が理想とする国の為に手を汚す事こそ王の勤めだ!」
ぎ、ぎ、と刃と刃が擦れ互いを削り合う音がする。
互いの渾身をぶつけ合い、シャイアとアシュタロスは剣を交えている音だ。
「現実が辛いものだからこそ、夢を語り邁進するのが王だ!」
「いいや! 現実を変える為に、汚濁を啜るのが王よ!」
両者一歩も譲らず、互いの理想をぶつけ合う。
アシュタロスの押し返す力の強さにシャイアが一度引いて距離を取った。すかさずアシュタロスが斬りかかるものの、シャイアは剣の腹で一撃を受ける。
実力は拮抗している。拮抗しているだけに、いつ互いに傷をつけられてもおかしくない状況である。
頭に血が昇っている分シャイアの方が不利かと思われたが、それはアシュタロスも一緒らしい。
アシュタロスにとって、この機会を逃せばシャイアの首を獲るのが難しくなる。自分の陣地を広げるか、焼き尽さず己が眠らずの状態でリユニアを掌握し続けねばならない。
そんな手間を掛けずとも、今目の前に獲物がいる。これはここで狩らねばなるまい。その決意が、アシュタロスの剣の精緻さを欠いていた。
大振りに振り下ろされぶつかり合う剣と剣はお互いの引けない理想の体現だ。
互いに剣の達人では無い。黙って睨み合う時間は無く、剣戟の音が絶えない。
いつの間にか落ち着いた色調に整えられていた居間は、壁紙が破れ、家具が倒れ壊され、凄惨たる惨状になっていた。
若く熱い感情のぶつかり合いだ。アシュタロスはリユニア公爵に降臨せしめたが、もしかしたら、これはリユニア公爵の本心なのかもしれない。燻っていたリユニア公爵の想いに、アシュタロスが感化された可能性がある。
しかしそれは、今はどうでもいい事だ。
「アシュタロス!!」
「ガルフ!!」
最早言葉を交わす必要もなく、場合でもなく、互いを敵と定め剣を繰り出し戦う。
それだけの時間が、剣と剣のぶつかる音と共に過ぎていった。
ナタリアは屋敷へと戻り、剣戟の音を聞きながら書斎へと急いだ。
館と言うのは大抵が似たような造りである。一階は開かれた場なので、書斎があるのは二階より上だろう。
入口からすぐにある階段を一息に駆け上ろうとしたが、館の使用人がそれを阻んだ。
「お引き取りください、王妃閣下」
声に温度が無い。目に光も無い。
ナタリアの無表情が微かに曇る。これはアシュタロスの影響を強く受けているとみていいだろう。
ナーサティヤ神の加護が利かないという事は、この館にいた時間が長かった為に解呪を行うまで正気に戻すのは不可能という事だ。
となれば、ただの障害物である。説得も懇願も意味は無い。
「失礼」
ナタリアはドレスの裾を軽く摘み上げ、天井高くに飛び上がると使用人達の頭を一足飛びに飛び越した。
後ろに着地すると同時、三人並んだ使用人の首へ手刀を見舞う。
人形のように頽れた三人を床にそのまま放置して、階段の上から館の中心の方向へと走る。
途中、何度か使用人達に阻まれたが、そもそもの実力が違う。ただの王妃ではない、現役の御庭番である。
隠密行動は意味が無い。ここはいわばアシュタロスの腹の中も同然。
要石の破壊を彼が見逃す事が意外ではあったが、リユニア公爵はナタリアが行者である事はしらない。ナタリアの名の由来も知らない。となれば、カレンを掌握したものとして、ナタリア達を止めるためについて来たのだと考えたのだろう。
(カレンを甘く見過ぎですわ、アシュタロス様)
オペラ伯爵の教育はそのように生温いものではない。死地に送り出す者を死なせないための教育である。まさに苛烈を極めた。
そのなかで最優と言われたカレンである。解呪はできなくとも、詳しい文献も無いまま単身アシュタロスを数日圧し留めた実力の持ち主だ。
今はもう要石を見つけている頃だろう。
そんな事を考えているうちに、ナタリアは書斎へとたどり着いた。
扉には鍵がかかっている。呪もだ。ナタリアは構わず、再度ドレスをたくし上げるとその扉を蹴破った。
彼女が履いているのは踵の高い靴である。最高級品で、繊細な彫り物が施されている。最高級品というのは壊れにくさも一級品だ。扉を蹴破っても傷一つ付かなかった。
(腕の良い靴職人ですわね。またお願いしましょう)
足を地面に下ろしても違和感が無い。完璧である。
部屋に入ってしまえばこちらのもの。お淑やかにスカートを払って、ナタリアは迷わず書斎の机に歩み寄った。
引き出しの三段目に、その要石は無造作に入れられていた。
紫の透明度の高い石にはアシュタロスの印章が彫り込まれている。
ナタリアは懐刀を取り出すと、ひと思いに石を叩き割った。
「ふ、ふふ……楽しかったぞ、ガルフの剣よ」
ナタリアが要石を割る頃には、アシュタロスもシャイアも互いの拳を喰らって部屋以上にひどい有様になっていた。口端から血をたらし、殴られた頬が腫れている。
アシュタロスが急に剣を降ろし笑い出したので、シャイアは訝し気に彼を見た。先程までの殺気が嘘のように、アシュタロスからはもう何も感じない。いや、穏やかな神の威厳を感じるのみだ。
「……私は千里眼の持ち主だと言ったろう? そも、この戦いが私の勝ち目のない事等百も承知。その上で計略に乗ったのだ」
「何を……」
「私はもともとここの土着の神である。未だあのルルイエを許していない。私が計略に乗った事で彼の者は大層気を良くしているはずだ。このまま私が負けた事を隠し、彼の者を打ち倒すが良い」
「一体何を言っているんだ?」
シャイアは困惑を極めていたが、冷静にアシュタロスを見るだけの理性は取り戻していた。
アシュタロスが床に胡坐をかく。彼の蠕動する闇で出来た剣は、いつの間にか霧散して消えていた。
ガルフの剣を鞘に戻したシャイアがアシュタロスに近付く。まぁ座れ、とアシュタロスが目配せをするに従い、シャイアも腰掛けた。
「貴様の従兄弟を操ったのは済まなかった。ある程度実力を見る意味もあったのだが、この男は中々に屈強な精神を持っている。貴様にぶつけた理想もこやつのものだ、大事にしろ」
「……リユニアは、王へあんな姿勢を望んでいるのか?」
「夢ばかりは見ていられぬさ。だから貴様もこやつも毒を喰らう真似をして生き延びたのだろう? 身内に自分と同じ意思の者ばかりを飼っておくと碌な事にならん。よく耳を傾けよ」
アシュタロスの穏やかな赤い瞳がシャイアを諭す。そこに嘘は無い。
「なぜこんな事を?」
シャイアの口から自然と疑問が零れた。アシュタロスは目を伏せて笑う。
「あまり時間は無い。今頃貴様の仲間が私の要石を破壊して回っているはずだ。一度しか話せぬからよく聞くが良い」
そうしてアシュタロスは語った。この国の過去の姿……神代の時代を。
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