第33話 神が来たりて
「よく参られた、国王陛下。王妃閣下。ご機嫌麗しゅう。来度は私事での勝手な蟄居に大層お怒りのようだが、それで使わされるのが兵士ではなく美しく有能な侍女という所に人徳を感じ入りましたな。いやしかし、その上で先触れも無くご来訪いただくとはこのリユニアどれ程買われているか己の評価を二段階は上げる事と相成りましたとも、えぇ、えぇ、身に余る幸福にございます」
窓という窓を木の板で塞ぎ庭の手入れもせず荒れ放題にしているせいで人の気配のない屋敷。
その敷居をまたぎ通された客間で、シャイア達はリユニア公爵の熱烈な皮肉の歓迎を受けた。
現れたリユニア公爵は多少やつれてはいたものの、平素の様子と変わり無いように見えた。先の皮肉を多分に含んだ挨拶が第一声である。右半身に包帯を巻いていたとカレンの手紙には書かれていたが、特に怪我や火傷を負った痕のようなものは無い。それもまた魔術故なのだろうが、一先ずは肉体の無事を知れてシャイアは安心した。
昨日の斥候の成果を聞くに、リユニア公爵は半ばアシュタロスに呑まれたと考えて良いらしい。
カレンとの接触こそ適わなかったが、それというのも、この屋敷の敷地そのものに強力な術式が働いているという。魔術の効果で、敷地の中にいる間はおかしいはずの物事がおかしいと感じなくなる、という事だった。
しかし、シャイアにはナタリアがついている。そんな効果は受け付けず、つぶさにリユニア公爵を観察した。一見その姿かたちに違和感は無い。が、目が違う。特に右目だ。どこか探るようで、引きずり込むようで、獲物の喉笛を狙う魔獣の目だった。
「リユニア公、変わり無いようで何よりだ。南の運命の人は何処かな? ぜひそのご尊顔を拝見したいのだが。そう、貴殿が蟄居を決め込む程の運命とやらを」
「ははは、陛下。気が急いていらっしゃるようだ。確かに運命は見つけたと思ったのですが、なに、運命というのは私のような凡夫の手に収まるものでは無いらしい。遠の昔に逃げられましたとも。その代わり、美しい侍女殿には多大なお世話になりました」
リユニア公爵の後ろに控えているカレンに目を遣ると、人形のように静かに壁際に立っている。しかし、小刻みに震える右手を隠す事が出来ないらしい。カレンも、リユニア公爵自身も、シャイアが到着する事がどんな意味を含むのかを充分に理解していたのだろう。それを踏まえてリユニア公爵を見れば、昨日のニシナとソルテスの報告も頷ける。
異常の中で何の異常も現していないのは、異常である。
「ほお。あれはこのナタリアの侍女、いずれ返してもらわねばならぬのだが?」
「ご安心を。この一件に片が付いたら王妃様にお返し致しますとも」
終始笑顔で交わされる会話は、緊張感を多分に含んでいる。
針でつついたら今にも弾けそうな空気であり、二人の間には合意の上の建前と本音があった。
よく似ていながら、月と太陽のように対照的なシャイアとリユニア公爵は今、同じ思惑を持って対面している筈である。
即ち、ここで王の首を落とすか否か、という思惑だ。
初手のリユニア公爵の挨拶は完全に戦意の無いものではあったが、それにしては多少の棘があった。しかし、シャイアはあくまで建前を前面に押し出して対応した。その建前を受け流したリユニア公爵がカレンの存在に言及する事で問題の本質を一気に引き寄せたと言っても良いだろうう。
シャイアはそこまでを瞬時に考えると、一転笑顔を引っ込めて真剣な表情になる。
「して、南の運命の代わりに変なものに居つかれたと聞くが?」
リユニア公爵の笑顔が皮肉な笑みに変わる。まるで別人のような雰囲気を醸すその顔は、確かにリユニア公爵でありながら、もはや別人だとはっきりと分かった。――兄弟のように育ったシャイアには、特に。
リユニア公爵は夏の青空のような青い目をしていたが、その右目が真っ赤に染まる。
カレンがその実態を知って慄く。今迄これを抑えていたのかと、そんな事できる筈が無いのにと、顔が強張った。
「変なもの、とはまた酷い言い様ですな国王陛下。この国の象徴と言っても過言ではない豊穣をつかさどるイシュタル神を起源に持つこのアシュタロスに対して」
悠然と脚を組み、まるで王に対する姿勢ではないリユニア公爵……リユニア公爵の姿をしたアシュタロスからは、強い圧力が発されている。殺気と言ってもいい。
シャイアとナタリアの後ろに控えているニシナとソルテスが気圧され、思わず一歩下がった。
「今となっては悪神となったアシュタロス神であるはずだが? 過去と未来に通じ、あらゆる学問の知識を授けるとされる。が、怠惰を司る貴殿に我が国は譲れはせぬな」
「どうしてだ? 私の千里眼は貴殿の紛いものと違って本物だ。過去も未来も見通せぬ紛い物のせいで、来度の飢饉を見逃し急に策を打つ破目になった。即位してから一年という猶予があったろう? その間、悠長に何をしていたというのだ。戦にでも興じていたかね? 私が居れば防げた戦だが」
シャイアの他には唯一、アシュタロスの気に一歩も引かなかったナタリアが口を開く。
「それは違いますわ、アシュタロス様。貴方では無数の血を見るような戦を、国王陛下はよく治めました」
「と、妻は言うのだが身内の贔屓目だと思うかな? それとも、貴殿も多少は私の評価を改めるだろうか」
シャイアもナタリアも肌を斬られるような殺気の中にありながら、王と王妃としての威厳を崩さない。背筋を伸ばし、強い眼差しでアシュタロスに対峙していた。
互いの後ろに控えているカレン、ニシナ、ソルテスは思わず逃げ出してしまいそうになっている。空気がちりちりと焼け、皮膚が刃で無数に斬りつけられているように錯覚する。
ニィ、とアシュタロスの口角が不気味に上がる。
「さて、はて、いかに褒めようか? 褒める所のない物を褒めるとなると、いかな学問の神とは言え皮肉にならない言葉を探すのは難しい」
リユニア公爵の青い左目が赤く染まっていく。いよいよもってアシュタロスがリユニア公爵を掌握したという事なのだろう。
「褒める所が無いとは初対面の相手に対してあまりにも酷い言い様じゃないか。仮にも一国の王なのだがなぁ」
「不様で無知な国王に治められる国の民が不憫でならんよ。その首落として救ってやらねばなるまい」
「私がただ首を落とされるためにここに来たと思うのかい?」
「そうでなければのこのこ現れるものか。手紙に籠めた呪はよく効いたろう、視えるぞ、貴様が必至に馬を駆った姿が」
何の対策もする事もなく、のこのこ出て来たと言いたいらしい。
「貴殿の首を落とせば後はどうとでもなる。死んでくれればいい、それがシャイア王、貴殿が民草のためにできる最初で最後の偉業となる」
アシュタロスが悠然と立ち上がる。と、その足がふわりと浮いた。黒い竜巻が風も無いのに足元から巻き起こる。風圧は感じない、しかし、それは荒れ狂う殺気を表しているようで、禍々しい災いの竜巻だ。
「仮初の肉体だがよく馴染んだ。私では焼き尽してしまいかねなかったが、そこな下女が良い仕事をした」
低い、低い声だ。何重にもぶれているような、地獄の底から這いあがってくるような、深く低く黒い声だった。
リユニア公爵の朗らかな声では無い。アシュタロスの声なのだろう。
「公爵、というのも馴染んだ一つであろう。語呂合わせというのは中々馬鹿に出来ぬものだからな」
「そうだな、私もそう思う。……私の名を知っているか? アシュタロス」
シャイアが立ち上がり腰の剣に手を掛ける。赤く燃えるような剣の柄をゆっくりと握りこむと、吸い付くような感触がした。
剣が熱を持っている。アシュタロスに対抗して光を放つ白刃を抜く。
「貴様の名等、愚凡な王で充分だろう」
「ならば覚えて地獄へ帰れ、悪神よ。戦神の剣、というのだよ」
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