第32話 悪神の謀略

 南へ馬を駆って三日。王の行軍とは思えない少人数……そもそも、今のシャイアを王だと思う人間は居ないだろう。


 薄汚れた外套を纏い、埃と汗にまみれた髪と肌は薄黒くなっている。動きやすい服装でついてきているナタリアも似たようなものだが、浮いた所は無い。ひとくくりにした髪と騎士の平服が、ひとかどの女戦士のように彼女を見せていた。


 カレン、ソルテスも隠密行動に長けているのもあり、シャイアはその真似をする形で彼らに溶け込んでいる。強行軍の途中で補給に寄った集落や村でも怪しまれる事が無く助かった。


 そして、現状の村の様子も観察できた。


 人々の目には不満はあったが、飢饉と聞かされては貿易を止める他ない。収入源を失ったものの、物々交換でなんとか暮らせているようだ。幸い、穀物は保存が利くという点もあって不満は抑えられていると言えるだろう。実際、食べ物を分けてもらうのに然して苦労はしなかった。貴重な収入源なのだろう。


 道中、休憩や野営の際にリユニア公爵……アシュタロスの現状についても詳しく尋ねた。


 魔法には種類があり、その中の降霊術というものである事。降霊術は降ろすものの強大さによって生贄や条件が違う事。神を降ろしたとなると、ナタリアが殺した兵士達の存在は最低限の条件、他にも幾つか条件があるはずで、降ろしたままにしておくとなればさらに厳しい条件が必要だろうという事。


「こればっかりは行ってみにゃわかりませんが、カレンは既に術中にあるのかもしれません」


 ソルテスが自ら狩って焼いた兎をほおばりながら告げる。


「ルルイエがそうであるように、星の並びやら、方角やら、降ろす器やら、そういうモンが神ともなりゃあ相当厳しいでしょう。今迄そんな真似した奴ァ、あっしは知りませんから憶測ですが……、まぁ、現場に行ってみねぇとってとこですな」


「ソルテスの言う通りなんです。今迄前例がありませんの、ですからまず、スピリトに到着しましたら一日お時間をくださいませ。これが計画されていた事だとしたら、すでに術中も同じです」


「相分かった。そこはナタリア達に任せよう、私は素人だからな」


 素直にシャイアは頷き、それでも何かできる事があれば、とは付け加えた。現場に行くべきなのは王たる自分であるのは確かなのだが、嫌な予感が拭えず、それに対する力も持ち合わせていない。


 リユニア公爵の元へ、と思わず飛び出してしまったのだが、果たしてそれの吉兆までは考えが及んでいなかった。


「シャイア様?」


 焚火に照らされてむっつりと黙り込んだシャイアの顔を、ナタリアが覗き込んだ。無表情の視線と合うと、些か肩の荷が降りたように感じる。


「大丈夫だよ。……すまない、私が不安がっていてはいけないな」


 今一番不安なのはリユニア公爵のはずだろうから。


「シャイア様、スピリトは良い思い出が無い場所でしょう。今から向かうのは敵の腹の中も同じです。ですが、どうかお心だけはお強くお持ちください。シャイア様にならきっと現状打破できます」


 理由も無い、根拠も無い。それでもナタリアは本心からそう思ってくれているようだった。


 シャイアはようやく少し笑って、明日の行軍に備えて休んだ。




 ボロボロになった姿で南の街、スピリトへ到着した一行は、一先ずは宿を取って身を清めた。


 公爵邸を訪問するには明らかに相応しくない出で立ちだったからだ。


 先んじて身支度を済ませたカレンとソルテスに手伝ってもらい、街で服を買ってナタリアが王家の紋章を縫い取りした。


 来度の王の来訪は、国の有事に際して唐突に蟄居を決め込んだ公爵への裁きという体裁である。王家の紋章が無い服では仕様が無い。本来ならば一個小隊は引き連れているべきだが、そこは時間との闘いである。


 王妃が隣にいる、となれば体裁としては充分だろう。


「陛下、私とソルテスは斥候に参ります。明日に備えてお休みになってお待ちください」


 ニシナとソルテスが略式の礼でそう告げると、シャイアは心配の色を濃くしながらも頷いた。


「頼んだ」


「御意」


 そう言って二人が消えてしまうと、後は縫物をするナタリアと二人取り残された。


 スピリトに着いてから、何か違和感を覚えている。いや、スピリトに向かっている最中からそうだ。


「ナタリア、私に何か見落としは無いだろうか」


「見落とし、ですか? えぇ、たぶん。……いえ」


 ナタリアは真剣な面持ちで考えを巡らせた。刺繍していた針を止め、膝の上に手を置く。


 事の発端……蟄居の手紙が届いたときから、ナタリアも微かに感じていた違和感……その正体を掴もうと記憶をたどる。交わした言葉の中に、何か見落としがあったのではないか、そう思って糸を手繰る。


「……旗印に……」


 ハッとした様子でナタリアが小さく呟く。


「旗印に、掲げられてしまいます……リユニア公爵を乗っ取った、アシュタロスの目的が……」


「……! そうか、だからあの手紙は見逃された、いや……書かされたのか!」


 シャイアも気付いて椅子から飛び上がった。


「アシュタロスの目的はこの国の征服。だが……自国をこう言うのも難だが……平和したこの国で反旗を翻し、かつ王城を攻め落とすのは至難の業」


「えぇ、ですが国王陛下自らが出てくるのなら話は別です。そしてこの飢饉、それをもっと事前に察知しておかなかった怠慢と民意に訴えかければ十二分にあなたを引きずり落とす理由になります」


「私たちは間違っていたね、リユニア公爵に反乱の意思はない。それは確かだが……」


「今、リユニア公爵の中にいるアシュタロスには反乱の意思がある」


「あぁ、そして、私一人の首を落とせば国主となるのにリユニア公爵程相応しい人物は無い。くそ、やられたな……」


 シャイアが臍を噛む。ナタリアはシャイアに近付くと、そっと彼の手を取った。


 花が咲いたように微笑んだナタリアは、シャイアへと厳かに告げる。


「いいえ、あなた。シャイア様。あなたの首は私が必ずお守り致しますわ。あなたの妻であり、あなたの御庭番ですもの」


 シャイアはナタリアの笑顔に肩の力を抜くと、深い呼吸をして笑い返した。


「決戦は明日だ。私は勝てるだろうか?」 


「ふふ、物忘れが激しいのですね? あなたはお名前に何を戴いていると思っているんですか」


「そうだね、私は戦神の剣ガルバンド。戦の神では無いが、私とこの剣は戦をする為にあるのではない。戦を治めるためにあるのだろう」


「えぇ、ですから、勝つのではありませんわ。戦を起こさない――それこそが、あなたに相応しい」


 国王夫妻は笑って頷き合う。


 そこに斥候から帰ったニシナとソルテスがそっと入って来た。


「お話はおすみで?」


 どうやら聞かれていたらしい。少しばかり照れたシャイアが咳払いをし、ナタリアも手を離した。


「済んだ。――様子を聞かせてくれ」


「かしこまりましてごぜぇます」


 決戦は明日。一先ずは作戦会議と相成った。

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