第30話 裏切り者

「カレンから文が届きました」


 深夜にそっと窓からシャイアの寝室を訪れたのは、ナタリアとソルテスである。


 寝ぼけ眼だったシャイアが飛び起きる。今日はまだ、彼女が発ってから六日しか経って居ない。見ればソルテスは全身汚れまみれで、まだ息を切らせている。相当急いだことが伺える。


「内容は?」


「リユニア公爵様の命は無事でしたが、既に彼にはアシュタロスの降霊が済んでいます。カレンが命を賭して抑え込んでくれますが、事の流れを考えますと、王宮内に裏切り者がおります。ですので、こうして無礼ながら窓より訪れました」


「賢い奥方で助かります」


 シャイアが真剣な眼差しで目礼すると、して、と続きを促した。


 カレンの命が削れているならば、一刻も早く対処しなければならない。


「良いですか、裏切り者の名は……」




「釈明を聞こうか」


 執務室の中、右手にはナタリアとバルク、左手にロダスとリァンを控えさせたシャイアが向き合っていたのは、シーヴィスであった。


「おや、何のことでしょうかな……?」


 好々爺の体を崩さないシーヴィスが惚けるが、シャイアは机を強く叩いた。派手な音を立ててインク瓶が跳ねる。


「全て分かっているぞシーヴィス! 貴殿が南にリユニア公を推挙したのも、全てはあの場に哀れなリユニア公を向かわせる為だったのだと!」


 降霊術の条件はいくつかあるが、まず大前提なのは生者を生贄に捧げなければならない事だ。


 降霊というだけに、既にこの世に居場所がないものを降ろすのだから、そのための場所を作らなければならない。


 山賊騒ぎでも西の挙兵でも人死にが出たが、その時は魔術を扱える者が居なかったのか、場所が悪かったのか、それは行われなかった。


 しかし、南ならば納得がいく。あの場所では確かに魔術が働き、そして多量の人死にが起きた。ナタリアの手によって、だ。


 それを契機にあの場所に神の一部を降ろしたのだとしたら、南に依り代となる権力を持つ者……リユニア公爵が行くように仕向けなければならない。内乱を起こすには必須でありうってつけの人物である。


 西の騒動からアシュタロスの軍勢の掌の上だったのだとしたら……、いや、ほぼ確実にそうだろうとシャイアは思っていた。


 腹の奥で炎が渦巻いている。


「貴殿はまんまとリユニアめを依り代にする事に成功した。気付かなかった私も私だが、貴殿は先々代に仕えていた宰相、ならば飢饉について一言も言及しなかったのは不自然だったな」


「おや、おや……うまく目眩しできたかと思っていたのですが。致し方ありませんね。さぁ殺してください」


「何を……?」


 好々爺の笑みを浮かべて、シーヴィスはさぁと腕を広げた。


 笑顔で閉じた瞼の裏には、狂った瞳があるに違いない。そう確信できた。


「今更何をされたところで手遅れです、国王陛下。貴方はいずれ、リユニア公と刃を交えることになりましょう。私のような老ぼれの出番は終わりです。さぁ、どうぞ処刑なさい。なんなら舌でも噛みましょうか?」


「させるか」


 シャイアが言うと同時、屋根裏からシーヴィスの背後にニシナが降り立ち猿轡を噛ませた。手刀で意識を奪うと、縄で縛り上げて兵士に渡す。塔の最上階に監禁される運びである。


 予想通りの展開だった。


 こうなると、西もまたきな臭い。


「ルルイエ辺境伯の元に斥候を放たねばな……」


 その言葉にハッとしたのはバルクである。


「陛下……、忘れてた俺が悪いんですが、西の辺境伯の名をもう一度良いでしょうか……?」


「ルルイエ、だ。王家と同じ程古い血脈だったと思うが……、これではルルイエめも生贄か軍勢の仲間か」


「そいつは確実に軍勢の方ですぜ、陛下。斥候を無駄に死なせるのはお止しなさい」


 代わりにアッガーラが西を監視すると申し出た。


「敵がルルイエならば、俺たちは同盟を受けましょう陛下。……あぁ、目の前で言葉まで交わしたというのに気付かないなんざ情けない!」


「落ち着いてくれ、バルク殿。一体どうしたというのだ?」


 地団駄を踏みかねないバルク様子に、シャイアが目を丸くして尋ねる。


「良いですか、陛下。遠い遠い昔の話、神が天に昇った時に覆いかぶさった国……いえ、都市ですね。それこそが、ルルイエ、なんですよ!」


「なっ……?!」


「俺もここで異国の書に触れていなけりゃ思い出しもしなかったでしょう。まして、ルルイエたぁ昔読んだ本の一冊にあった名前。その本もいつの間にか手放す事になって十数年……しかし、ここまで条件がそろっていりゃあ思い出しもするってもんです。――アシュタロスなんて可愛いもんじゃねぇ、ルルイエに住まうのは異星の神、次元が違います」


 ルルイエ、の言葉の重さに誰もが二の句を継げないでいる。


 リァンが生唾を飲み込んだ。


「あの……その、ルルイエ辺境伯は、じゃあ……アシュタロスの軍勢を使って、何を……?」


「ルルイエの浮上は、星辰……星の並びですね、が正しい位置にある時に行われます。それが百二十年に一度ってやつじゃねぇんじゃねぇですか、たぶんね……普段は海の底にあって、浮上と共に異星の神が目覚めて地上を支配する。目的はそれを成し遂げる事しかねぇ!」


 バルクが断言すると同時に、シャイアの背をぞっと血が滑っていった。


 百二十年、練られに練られた罠が今発動しているのだとしたら、一体自分に何ができるというのだろう。


「シャイア様、お気を確かに」


 ナタリアがシャイアの顔を覗き込んで小さく励ます。同時、シャイアの体から力が抜けた。


「なるほど……戦支度は遠の昔に整っていたわけだ。我々が甘かった、敵を見くびっていた。リァン、至急天文と暦に詳しい者を集めて星辰の位置が揃う日を調べよ。ロダスは手伝ってやれ。バルク殿、済まないが西の斥候は任せた、ルルイエに何かあれば直ぐに知らせてくれ。ナタリア、ソルテスとニシナを連れて私と南に向かってくれるか」


 命を賭してくれるか、という問いかけである。


 まずは西がどうあれ南が先だ。相手に居るのが今生の神であろうが異星の神であろうが、どちらにしろ神殺しを行わねばならない。


 まして西が本格的になった時に抗う手段はひとつでも多い方がいい。カレンもリユニアも見捨てる事はできない。


「もちろんですわ、国王陛下。私はあなたの武器です」


「いいや、妻だよ」


 茶目っ気いっぱいで笑ってナタリアの肩を抱き寄せる。シャイアにいつもの調子が戻ってくると、空気が少し軽くなったように思う。


 リァンがほっと息を吐いた。自分がすべきことを示してくれる人が居る事の、なんと心強い事だろう。


 同時に思う。年下の国王には、それをしてくれる相手が居ない。ならば、せめて支えなければと。


「お任せください、国王陛下!」


「私も向かいます。何かあればすぐ早馬を飛ばします」


 リァンとロダスが礼をして執務室を出る。


「そんじゃま、俺も仲間に連絡しまさぁ。……陛下にもお貸ししましょう、我々アッガーラの伝達手段を」


「早馬より早いとなると……鳥、ですか?」


 シャイアに抱かれたままのナタリアが首を傾げると、バルクは「俺のセリフを取らんでください」と苦笑した。


「その通り、俺の事を覚えさせてあるのが何羽かおります。王宮に一羽、後は仲間の所から俺へと飛ぶように残しておきまさ。星の位置について分かった時にはそいつを使ってもらいましょう。……俺がここに入り浸ってるってんでね、何羽かおりますよ。ちょうどよくね。すぐにアッガーラに伝達いたします」


 バルクはそう言って礼をして出ていく。


 シャイアはそれまで黙っていたニシナへ向き直る。


「ニシナ、すまない」


「お謝りにならないでくださいませ、陛下。私はもとより行者として居なければ死んでいた者、カレンを助ける為に働く事に何ら迷いはございません」


 ニシナは行者として生きるよりも女として生きたがっている、とナタリアが昔言っていた。


 そんな彼女を戦火の真っただ中に引っ張り出す事に、シャイアにはためらいがあったのだが、ニシナはそれを笑って否定した。


「ルルイエでしたか? そんなものがおっかぶさってしまっては、私のまだ見ぬ恋路も邪魔されるというものです。不肖ニシナ、精いっぱいお勤めいたします」


 膝をついての最敬礼でニシナがシャイアへ忠心を誓う。


 そこに同じく天井裏に控えて来たソルテスが降りてきた。


「陛下……、お腰の物について話があります」

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