第25話 オペラ伯爵
彼は結婚式の時よりも重い重圧感を放ってシャイアと対峙していた。
季節は春。鶯が囀り、木々に若芽が息吹き、日差しが煌き空が広くなる時季。
シャイアの義父はソロニア帝国からさっそく馬車に揺られてヴァベラニアの首都ブランデへやってきた。
義父……ソロニア帝国オペラ伯爵は、到着してすぐシャイアと二人きりでの会談となった。娘に会うよりも先に、まずはシャイアに確認に来たのだろうとはシャイアの思う所である。
「さて……」
オペラ伯爵の低音が響く。表情は微笑んでさえいるというのに、ひどい重圧がシャイアに圧し掛かる。
「私の娘は如何お過ごしでしょうかな?」
「実によくやってくれています」
「ほほぉ……それはそれは」
「オペラ伯爵の教育がよかったのでしょうな、私を助けてくれる頼もしい妻です」
先手を打っていちいちシャイアは強調して告げる。
知っているぞ、しかし漏らす気は無い、という事だ。
緊迫の中見つめ合っていた二人だが、先に沈黙を破ったのはオペラ伯爵であった。
「…………ふむ。存外早かったな……」
一人ごちた伯爵から、急に重圧が消える。シャイアは内心冷や汗を掻いていただけに、唐突に息が楽になる感覚にほっとした。
早かった、というのはナタリアがシャイアに話した事だろうか。となれば、目の前の男はそれを分かっていてナタリアに嫁がせたという事になる。
シャイアが訝しそうにオペラ伯爵を見ると、あぁ、と伯爵は微笑した。
「否、娘を他国の嫁に出すという事は、人質に出すも同然。ならば娘の好きにさせようと口止めをしなかったのは私です。シャイア陛下にとって、娘は毒虫と変わらぬはず。娘をどうしているのか本当に気にかけていたのですが」
「何と」
これには純粋に驚いたシャイアである。なぜならナタリアの秘密とはそのままソロニア帝国の機密であるだろうからだ。それを知ったシャイアも、喋ったナタリアも諸共に処分する積りで来たのだとばかり――その時は持てる全ての力でもって追い返すつもりではあったのだが――思っていた。
「私もこれでも人の親です故。因縁あって多少逸れた道を歩む者だとは自覚しておりますが、それはそれ、人非人ではございませぬ」
シャイアの思いを一言から汲み取ると伯爵は笑みを深くした。
行者という者への偏見がシャイアの中にもあったらしい。勝手に忠に生き、そのためには身内も……と考えていた事を素直に謝罪した。
「これは……、失礼した。実は、娘御が秘密を漏らしていたのならば私諸共消す積りでは無いかと勘ぐっていました。誠に申し訳ない」
「思われるのも致し方ない。しかし、歴史を思い出して欲しい。そもそも我らオペラ座は、ヴァベラニア国王の助言によって御庭番となったのです」
鷹揚にオペラ伯爵は頷いて続けた。
「ですので、シャイア王に知られる事は些末な事。娘があらゆる意味でお役に立ち、大事にされている事を知って私は安心致しました。――毒虫として牢にでも囚われている様でしたら、死んだ事にして連れて帰る積りでしたが」
簡単に他国の城の攻略と一国の王妃の略奪など企てないで欲しい。
いや、それだけ真剣に身を案じていたという事だろうか。涙ぐましい親子愛である。
しかし、牢になどとはとんでもない。シャイアは慌てて言い繕った。誤解は解いておかねばならない。
「そんなことをする理由がありませぬ。彼女は真実私の味方と言ってくれました。私にはこれ以上無い同士です」
伯爵は素直に感心した。普通、自分の妻が自分の寝首をいつでも掻けるとしった男は妻と最低でも距離を取り、最悪は殺しかねないものだ。国王という体裁を割り引いても、やはり牢に入れるのが確実であろう。そんな牢など簡単に抜け出してしまうのだが、ナタリアはそういう事をする娘ではない。
だから、真実ナタリアが囚われの身であったのなら、オペラ伯爵は持てる技量を全て使ってでも娘を救い出して連れ帰る積りであった。その当てが外れて嬉しい驚きを得ている。
「いやはや、ここまで信を戴いているとなると、女として以上、一行者として以上の誉れでしょうな」
呵々、と笑って伯爵は剣呑な雰囲気をすべて飲み込んだ。お陰でシャイアにも余裕が生まれる。義父という事もあるが、自分の命をどうにでもできてしまう相手だと分かった上で二人で対峙するというのは、いかなシャイアにとっても居心地の良いものでは無い。敵ではないと解れば平気なのだが、そこまでが辛い。
そういう意味では、ナタリアは最初から『味方』であった。
普通は敵ではないと示されたとしてもそれを信じる程のお人好しはそう居ないのだが、シャイアは自分の事には鈍感であった。その位が丁度いいのだろう。
「私は得難い妻を得ました。心より感謝いたします、義父上」
「私も得難い義息むすこを得たようです。……娘を信じてくれて、ありがとう」
そこからは和やかな歓談となった。途中、使いを遣ってナタリアと共に来た三人を呼び、今日は無礼講という事で皆でテーブルを囲んで話をした。カレンとニシナがお代わりのお茶を淹れながら、誰に慮るでもない場にそれぞれ寛いでいた。
ナタリアは当然ながら、館の者とはオペラ伯爵の実子も同然。カレン、ニシナ、ソルテスも喜んで伯爵に此方での暮らしを報告している。
その話の中でも特に行者としての成果を報告する様は、小さな子供が上手にお手伝い出来た事をほめてもらうような様子だった。
しかし、その報告に些か思う所があるオペラ伯爵は、シャイアに晩餐後に再度二人きりでの歓談を申し込んだ。シャイアもこれを快く受けた。彼も聞きたい事があるのだ。
「では、晩餐の後に」
こうしてシャイアは一度席を外す事にした。敢えて故郷の者だけで語らせようという気になったのだ。ナタリアが目礼すると、シャイアは茶目っ気たっぷりに片目を瞑って部屋を出た。
「さて、国王陛下」
「はい、義父上」
その日の晩餐の後、同じサロンに今度は二人きりである。
今はナタリアも居ない。カレンやニシナもおらず、完全に二人きりになるよう人払いしてある。
シャイアの予想通りならば、誰にも聞かせる事が出来ない話が始まるはずである。――今はまだ。
「どうやら、私はもう一段進んだお話を貴方にしなければならないようです」
「やはり、そうなりますか」
ほう、と伯爵は感心したように顎を触る。別に自分の事を今更隠したいわけでは無いが、千里眼同士というのは話が早くに進み過ぎる。少し間を置いたのだろう。
「予見されておりましたか」
「はい、薄々は。――私のような未熟が即位したから、というだけでは済まされない動きがあるように思うのです」
シャイアの予見は凡その物。何も具体的な事は分かっていない漠然とした不安。それを伯爵は形にする気でいるのだと分かる。
本題に切り込む義息に、大きく頷いて伯爵は表情を改めた。真剣な面持ちで口を開く。
「まさにその通り。西からは直接の武力でもって、南からは経済への打撃という手段を使って。国王陛下に害を成そうとする者がおります」
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