第18話 いざや行かん南方視察

 この度の視察にあたっての同行者は、御者にソルテス、意見役としてリァンと、シャイアが召し上げたという財政部のアカム。侍女はローザを始めとする王妃付きのカレンとニシナ、他は国王付きが二名と小間使いが三名。そして護衛にアッガーラのバルクとその部下七名が付いて来る事となった。


 守られる人数の半数だが、腕が立つ事はよく知っている。ハクユウは一個小隊をつけようとしていたが、あまりに目立つのも考え物だ。アッガーラの働きぶりを知っているガジェの口添えもあり、近衛兵団は置いてくる事となった。


 ロダスに後の仕事を押し付けてしまったが、彼は斥候の報告を聞いて当然とばかりに引き受けた。


 斥候から聞いた内容でも、南は酷いものだった。東南の方角はソロニア帝国の領地となって以降、間近は王の直轄地として収め、食糧自給率も経済も滞りなく回っていた。しかし、その直轄地の隣にある南の大領主、辺境伯のザナス領が酷い。


 食糧自給率は何とか基準値を保っているが、これは追徴税を引いていない数字だろう。領主にはある程度は領地内の整備をするため税の融通を利かせられる権限を与えているが、それはザナス辺境伯の遊蕩の為ではない。


 ロダスとよく話し合って、特例ではあるがザナス辺境伯邸ではなく直接街へ行こうとなった。


 丁度よく王宮に来ていたバルクを捕まえて、貧民街の事を交え、兵ではなくアッガーラに護衛を頼めないかと依頼すると快く引き受けてくれた。


「なに、俺らのような荒くれものが日銭を稼ぐとしたらこういった護衛業ですからな。冬の蓄えを買い込んだ所で財布も寒い。喜んで引き受けましょう」


 そうして、バルクの村から一緒にやってきていた十五名のうち半数を借りて、南への視察へと向かった。残りの半数はウルド山脈の各村へ買い付けの証書を配りに行くらしい。


 護衛の中にはマーガレットとボスコもおり、二人とも今は馬で馬車を取り囲むようにしている。


 南の視察団はシャイア、リァン、アカム、ナタリアとローザの馬車と、後ろに従者たちを乗せた馬車が付いてきている三台編成だ。その三台を囲むように騎馬でバルク達が配置されている。


 シャイアは喋る余裕も無いのか、アカムとナタリア達を紹介することもなく黙りこくって旅を続けた。


 収穫が終わり空になった田畑を眺めながら、途中集落や村に泊まって三日後の夕刻、南の……ザナス領の街、スピリトへと着いた。


 領主が新しいもの好きというのは本当で、街の中には劇場やシャイア達が泊まれるような高級宿場、その隣に八百屋があるかと思えば通りを挟んで向かいには宝飾店がある。街角には吟遊詩人と娼婦が通りを挟んでそれぞれ客引きをしていた。


 賑わってはいるのだが、どこか退廃的で雑然とした様に、シャイアは最初あんぐりとした。一年前、直轄地を視察に来た時にはこんな街では無かったはずだ。そもそも、見えるところに警吏の一人も立っていない。


「あぁ、やっと着きましたわ。王妃様はお疲れではございません?」


 馬車での長距離移動は初めてだったのだろう。シャイアに次いで続々と馬車を降りた面々の中でも、最初に動き始めたのは疲れた顔のローザだった。小間使いに宿へ荷物を運ばせながらナタリアに尋ねた。


「えぇ、私は慣れてますから。ローザこそ少し顔色が悪いわ、今日はもう休んで頂戴。晩餐の時にはまた呼びに行かせるわ」


「いえ、でも……」


「私たちは慣れていますから、本当に大丈夫よ。明日からまた美味しいお茶を淹れてくださる?」


「はい。では、お言葉に甘えて今日は下がらせていただきます」


「リァンはもう少し貸しておいてちょうだいね」


「お、王妃様……!」


「冗談よ。部屋は別ですものね。ではまた明日ね」


 早々にローザを部屋に下がらせてしまうと、ナタリアはシャイアと共に自分たちの部屋へと向かった。その宿場の最高級だという部屋はなるほど広さも造りも申し分無い。侍女二人の寝室が入口の右手に誂えてあり、当然そこにはカレンとニシナを呼んだ。嫁いで初めての旅行で心細いという事にしておけば、他の侍女の反感も買うまい。


 あとは広間と寝室が二つ。手洗い洗面も備え付けてあり、酒や果物も置いてある。


 他の侍女と使用人はそれぞれ男女別に四人部屋を幾つか借り、意見役とアッガーラにも二人ずつの部屋を用意した。一先ず今日は視察は止めて休もうという事に相成ったので、各々が夕飯を済ませるとアッガーラは街の酒場へ、シャイアとナタリアは部屋へと戻った。


 広間の長椅子に腰掛けると、シャイアは深いため息を吐いた。ここの所頭の痛い問題が続いているが、今日の街の様子は予想以上にキた。


「……シャイア様、どうかお気を確かに」


「あぁ、もちろん。……と、言いたいんだが、めげそうだ。まだ陽のあるうちから娼婦が街角に立っていたぞ。警吏も居ない。領主宅に滞在する事にしなくて正解だった」


 愛嬌が取り柄であるはずのシャイアが、髪を乱して自嘲している。その姿が痛ましいと感じたナタリアは、カレンとニシナを呼んだ。


「今からシャイア様と貧民街へ向かいます。分からないように護衛して頂戴」


「畏まりました」


「ナタリア……?」


「さぁ、支度をしますよ」


 支度? と首を傾げるシャイアを前に、カレンとニシナが笑顔で迫った。




「いつの間にこんな服用意してたのさ……」


「諜報の基本です。その街についたらその街の服を買います」


 顔を崩すような化粧をしたナタリアは商家の使用人のような姿を、シャイアはその商家の子息といった格好をして街を歩いていた。


 どの店も明々と灯りをともし、大いに賑わっている。それはいいのだが、やはりどこか下品だ。


「前に来た時には、そりゃこんなに文化のある街ではなかったけど、もっとずっとちゃんとしていた。文明開化を嫌がっているわけでは無いんだが……」


「新しいことには、何事も苦しみが伴います」


 ナタリアの迷いない言葉に、シャイアはまた自嘲気味に笑う。


「本当、そうだよね。私は今苦しんでいる、それこそ文明開化なんて止めて鎖国してしまおうかという程に。しかし、それでは戦争で失うだけ失った事になる。いかんば事情があったとはいえ、それは避けたい。失う事に慣れてしまうような国にはしたくない」


「シャイア様のそのお心があれば大丈夫です。私もついて参ります」


「ありがとう。……でもどうして急に貧民街へ?」


「それは、シャイア様のお考えと一緒ですわ」


 その様子を寂しそうに見ながらナタリアの先導で歩き、何度目かの角を曲がると、それまで感じなかったのに酷い悪臭が鼻に突いた。


「シャイア様がザナス辺境伯様に黙ってスピリトに参られたのは、真の姿が見たいから。ソロニア帝国にも貧民街はございました。でしたら、その真の姿は夜にこそ現れるのです」

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