ソロニアの蛇
第17話 文明開化の音がする
「ふぅむ……ナタリアはこの国についてどう思う?」
「また範囲の広いお話ですわね」
定例となった晩餐後のお茶の時間にシャイアは唐突に切り出した。最近はローザが朝の身支度を手伝い晩餐まで働くと帰ってしまうので、夜のお茶はカレンとニシナが付き添ってくれている。お陰で忌憚のない会話ができるのだが、今日の話題は唐突な上に曖昧であった。
ソロニア帝国と比べての話を聞きたいのだろうが、花壇と畑を比べて、どう思う? というようなものだ。
「あぁ、ごめん。うまく言葉にするのが難しいな……、もう少し範囲を絞るなら、この国の学びについて、だ」
「学び、ですか……、少し考えますのでお時間をいただきます」
これまた範囲の広い話である。学び、とは一概に勉学の事を指すわけでは無いからだ。
「といってもぱっと見の、思ったことでよいのだけれど」
「では率直に。あまり文字は普及していないのかしら、と思います」
ソロニア帝国はどの街にも劇場が建っているため、それに伴い商業施設の発展が目覚ましい。飲食店から小売業、宿もピンからキリまであるが、貴族諸侯や大商人が滞在する宿には侍従は付き物である。
商売柄、算術は最低限、歌劇を見るにしろ接待をするにしろ識字もやはり必要なものなので、識字率は高い。
比べてヴァベラニアは農業大国。字は読み書き出来ずとも、治水から開墾、作物の育て方といった口伝で伝えて来られた素晴らしい技術がある。
其々の国が己の風土に合わせて発展してきたため、別段問題は無いように思う。と、言うのがナタリアの見解であった。
「ですので、普及率については問題は感じられません」
「そこは私もそう思う。問題はね、貴族諸侯なんだ」
先日の西の一件で露呈したが、平和にかまけて読み書きのできる貴族諸侯が領地を統治するには不勉強な部分が多いというのがシャイアの直面した問題である。
子供では無いのだから家庭教師をつけるなどというのは問題になるだろう。下手に口を挟めば、また妥当国王の理由になってしまう。
「私の統治になったせいかな、先代までは皆二十の後半、ひいては三十代での即位だったから……」
シャイアは十七、言われてみれば若すぎる国王だ。年齢だけを見て侮ればあしらわれるのはそろそろ貴族諸侯もわかって来ているはずだが、偏見とは根深いものである。
偏見はあるものと割り切って、手の届く王宮内部には手を入れた。出来るところは改革し、人を入れ替えて新しい風を取り入れ、軍備も強化した。ガジェやハクユウがいた頃よりは温いだろうが、一旦落ちてしまった士気を上げるには相応の理由が居る。かといって他国に戦争を仕掛ける気も理由も無い。
果たして、貴族諸侯の教育はどうしたものか、というのがシャイアの頭の痛いところである。
「一人で考えて居ると頭が破裂しそうでね、かといって下手に相談したら本人の望むと望まざるとに関わらず、王が施政で教えを請うた、と揶揄されてしまう。私が召し上げてきた者たちは貴族の出では無い者が多くてね……、適切な助言をくれる貴族となると」
難しい顔でシャイアは言葉を切った。いつも飄々としているシャイアがこうも思い悩むというのは、ナタリアが嫁いでから初めての事である。
「一人に目を掛けると……館の教育もそうでしたが、その御仁が今度は旗印に挙げられてしまうか妬みを買ってしまいますね」
「反乱を起こしたい気持ちは分からなくは無い。領土は平等に削ったのだし、実入りが悪くなれば上に陳情するのは当然だ。生活が変わるからね。根本的に国土が大幅に減ったのだから改善してはあげられないけど……、生きていくだけ、以上の十分な収入を得て居るはずなんだ。本当ならば」
「あら、もしかしてここからが本題だったりいたします?」
ナタリアが口元を押さえて身を乗り出すと、シャイアも頷いて身を乗り出した。ひそひそばなしである。ここには話を隠すべき相手も隠せる相手も居ないのだが、意外と茶目っ気がある夫婦らしい。侍女二人はあからさまに聞こえていながらも壁際の花になっている。
「実は直轄地近くの街の貸金屋がどうにも拙い。貴族諸侯は勿論ながらシサリス戦争前の豪勢な暮らしを取り戻そうと躍起になる。そして借金だ。――その借金のカタに領民の税を上げさせて返済にあてさせているらしい。貸金屋の利率もとんでも無いとか」
「あらあら、経済戦争ですわね」
調子は軽いが声は真摯である。こうした時に一番に割を食うのは庶民だ。
市井からの出が多い館の者と暮らしていたからか、ナタリアは貴族諸侯の中では庶民に共感的である。
「ややこしいんだよね、その辺は今迄は文化に対して収入が豊かすぎる位だったから、法も整備されていないから違法な事は無いんだけれど……」
シサリス戦争の後、ソロニア帝国との貿易は盛んになった。
文化交易が進み、他国の文化や文明、知識や技術、芸術や装飾品、様々な物が続々とヴァベラニア王国にも入ってきている。それはウルド山脈という隔てが無くなった事も大きい上に、アッガーラが以前より山賊を自分たちの民族に取り込み安定した生活を送らせているのもあるだろう。
悲しい事だが、未だウルド山脈に逃げ込む者はいる。地方で軽犯罪を侵し、村八分にあって逃げ出す若者等も多いのが現状だ。
受け入れ先としてアッガーラが大きな組織となってきているのも、近年の山賊被害の減少に一躍買っている。有難い事だが、そこもいずれ自国で解決できないものか……、と広がりそうになった思考を止めて目の前の問題について話す。
「今はヴァベラニアにとって文明開化の時だ。この時代の流れには逆らえないし止める気も無いが、新しいものというのは必ず問題を伴う。今回の問題の根幹はそこにあると思うんだよ」
物体が無い物の価値、というのをヴァベラニア王国民は未だ知らない。無知な赤子に飴を与えて金貨を巻き上げる真似をする者も中にはいる。
「シャイア様がパパーンと法を作って、パパーンと利率を下げさせ、今の取立て分もお下げになる事はできませんの?」
身振り手振りを添えたナタリアが無表情のまま言い出すものだから、シャイアは横を向いて噴き出した。ひとしきり震えながら笑いの波が去るのを待つと、咳払いを一つ、ナタリアに向き直る。
「やぁ、うん、それもいいんだけど、それをしてしまうのはちょっとね……、子供の借金を親が肩代わりしたところで、また同じことが起きるだけさ。今度は法の元に、どうせ抜け目は幾らでもある」
「ソロニア帝国でも借金をする者に関しては誰も手出しは致しませんでしたわ。下手に関われば自分が使ったでもない金で損をする。国が手出しをすればきりがない。自業自得、と言う言葉がここまで当てはまる問題もございませんわね」
「律する側の貴族がこの調子では困るんだ。貸金屋が無くなっていいとは思わないよ、誰にだってお金がない時にどうしても必要になる事はあるのだから。適切な利率に法を整備するのは進めるとして……だから、問題は『現在』に絞ろう」
シャイアが広大だった問題点を絞ると、ナタリアは早かった。
「ならば詳細な実情を知らなければなりませんね……、カレン」
「心得ました」
カレンが応じてそっと部屋を出る。馬車で三日の南へと彼女の脚で今から走れば、大方明日の夕方には着く算段だ。調査も含めて約五日という所だろうか。
「後は報告を待ちましょう、シャイア様」
「……問題がはっきりしただけでも充分だったんだけどなぁ。私の部下の活躍のしどころが悉く無くなっていく気がするよ」
優雅に紅茶を口に運ぶナタリアを見てシャイアは苦笑するも、ナタリアは首を横に振る。
「油断大敵です。因循姑息になる事はいけませんが、使えるものは最大限使っていきましょう。こちらの草の皆さまにもお仕事は山とあるはずです」
「確かに。問題を見つけて来てくれるのは彼らだものね」
反省しました、と頭を下げるシャイアにナタリアは固まっている表情筋を動かして微笑む。
「上が働きを分かってくれているというのは、思った以上に嬉しいものですのよ、シャイア様」
それを聞いたニシナがそっと笑う。それは、まさしく我々が技を振るう理由の一つであるのだから、と。
シャイアは二人を見比べると、今度は勉強になりますと頭を下げた。
「南は酷い状況でした」
カレンの報告を受けたのは、六日後の昼、執務室での事だった。
王宮の中央棟一階にある執務室でシャイアが書類に埋もれていると、窓を叩く音が聞こえた。外を見れば、いつの間に手に入れたのかヴァベラニア王宮の文官の服を着たカレンがいたのだ。窓を開けてやると、滑るように中に入ってくる。と、同時にナタリアが執務室へとやってきた。帰ってくるカレンが見えたというが、今の彼女はどう見ても一文官、男の形であるが、そこは聞かない事にした。
そうしてカレンが開口一番に告げたのが先の言葉である。
「この国は農業大国。殆どが食べるに困らない生活をしているはずですが……南の街に貧民街ができかけています。早急に対処なされるのがよろしいかと」
「貧民街……? まさか。畑を取り上げる、ないしはその畑で働かせる農民を働けなくなどしたら、領土が回らなくなるぞ」
税を高くする事はあっても、それはあくまで食べていける範囲での話である。
よもやそこまで、と思ったシャイアの口を突いた言葉ではあったが、カレンは深刻な顔で首を横に振る。
「いいえ、事態は一刻を争います。南で問題を食い止める事ができれば、今後王国の中でここまでの惨状になる事は無いでしょう。……あの領主はお心の弱い方だったようです。新しい物事に目が無く、新しい酒、新しい宝飾品、新しい芸術、そして新しい女……放蕩の限りを尽くしております。貴族と言うのは血統ですから、事前に食い止められないのは仕方が無いかもしれませんが……王の直轄地に準じて次に文明の流れてくる場所ですので、領地を取り上げお心の強い方にお任せする方が良いかと思われます」
これでもカレンは精いっぱい控えめに進言している。シャイアにはそれが分かる故に、否定する材料も無い。
領地を取り上げるというのは大問題となる。その為には一度査察に向かわなければならない。
その領主の処遇を決め、貸金屋との問題を収め、新しい領主を据える必要がある。
しかし、国内でそのように心の強い領主、となると、即位して一年そこそこのシャイアでは思い至らないのが現状だ。
「……ご苦労、カレン。暫く休んでくれ」
「畏まりました。失礼致します」
執務室にナタリアと二人きりになると、シャイアは深いため息を吐いた。
現状、陳情書や新しい法の整備に掛かる手続きで問題は目の前の書類のように山積みだ。
しかし、南を後回しにもできない。
「……草の者を南に放とう。私が南に行く『理由』が必要だ」
これで十日は無駄にするが、仕方が無い。カレンと同じ報告を受け取るには、どんなに腕の立つ斥候を使ってもその程度の時間がかかる。
ナタリア達御庭番についてはロダスにも明かすことはできない。となれば、それは必要な時間なのだが、知っているだけに腹の奥にもどかしさが燻る。
「そうでございますわね。ロダス様や文官の方々にはご迷惑をお掛けしますが、致し方ございません」
「誰を連れて行くかも考えなければ。ナタリア、君は誰がいいと思う?」
「リァン様はもちろんの事、バルク様をお連れください。護衛と名目を打ってアッガーラの方々を数名、御雇になられるのがよろしいでしょう。彼らは山の民、ヴァベラニアとソロニア帝国の両方を知る方々です」
「ありがとう、大分整理できた。まずはその二方を当たって……時間が惜しいな、バルク殿を何かの名目で呼び出せないものだろうか」
「アッガーラは狩猟民族、とは言え冬に差し掛かって参りました。今回の件とは別に、穀物や家畜を譲る相談をしたいという名目で御呼びだてするのが良いかと」
「それでいこう。――私はこのうえない妻を戴いたものだなぁ」
ナタリアの言う事はいちいち適切にすぎるので、シャイアはそう呟いたのだが、ナタリアは首を傾げている。
(彼女が男で無くて、本当に良かった)
彼女が男ならばヴァベラニアに来る事も無かったが、もし彼女が男であったのなら。
打倒国王の旗印に万一にでも担ぎ上げられたら。
はたして、シャイアは敵うかどうか分からない、と心底思った。
恐ろしい程有能な部下を従え、恐ろしい程回る頭と冷静さを持ち、恐ろしい美貌と技を持つ。
誰が膝を折らずにいられようか。対してシャイアには目しかない……、と、彼は思うのだ。
「何でもないよ。ロダスを呼んで適当な理由で斥候を放とう。ついでにバルク殿への伝令も出さねばな」
しかし、シャイアは未だナタリアの事を誤解していた。
ナタリア率いる御庭番が技を振るうのは、誰かの為なのだ。誰かに従う事で強くあり、誰かに仕える事で力を発揮する。強い指針が必要であり、そうでなければ海原に浮かぶ小舟と同じ。
その強い指針が自分である事を、シャイアは理解していない。
「シャイア様……」
ナタリアはそれを伝えようとしたが、今は山の様な問題が目の前にある。
「私がロダス様をお呼び致しますわ。少しお休みくださいませ」
「ありがとう」
ナタリアは開きかけた口を閉じて、執務室を後にした。
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