余談 続・教育は様々
「私の経歴、でございますか?」
西の内乱以来、あの時執務室で顔を合わせた面子で会議を開く事が多くなった。
ある日の会議の休憩中にシャイアはロダスに尋ねたのである。
三十半ばにして宰相の位置についているのは(先王が先立つ前に前の宰相を別の役職に移してロダスを召し上げ実践教育を施したのだが)優秀なのは確かだ。宰相になる前はシャイアの教育係兼護衛として任に当たっていた。その頃から剣の腕、知識、礼儀のどれを取っても秀でていたのだが、となるとその若さでどうやってそうなったのかが気になった。
「別段面白いものではございませんが……、私は元は兵士でございました。十になる頃には、皆が成人するほどの上背がございましたので、騎士団入りを。それでも歴戦の戦士に比べればもやしの様でございましたので、基礎体力をつけながら技や兵法に注力して鍛えました。足りないところを補おうとしたのですね。十七の頃には一分隊を任せて頂けましたのでそれまで積み上げた知識や技を活かして活躍いたしまして、それが知将などと言われる事となり、王城へと召し上げられたのです。しかしその頃の私は兵士、王宮での礼儀や政治経済などとは無縁です。……そして、あのおぞましい日々は始まりました。騎士団の訓練や己の鍛錬などは生温い。徹底的に根本から造り替えられるような修練の日々。姿勢はともかく歩き方から気配の消し方。紅茶の淹れ方や政治経済、王に仕える者としての心構え。間違えれば手酷いお説教……まさに地獄の日々でした。シーヴィス師匠との日々は」
「うん?」
見知った者の名前が出てくると、シャイアは唐突に首を捻った。
シーヴィスと言えば好々爺そのもの、温厚を絵に描いたような執事長である。
「ご存知ありませんでしたか? 私の前の前の宰相を務められたのが師匠です」
「うんーー?!」
残念ながらここにクッションは無いので、口元を手で覆って代わりにする。あぁ、音の大半を吸収してくれる綿が恋しい。
代々、戴冠と共に宰相も代替わりしてきた事はシャイアも知っている。王と同じ目線に立つ者が必要だから、という理由と、年寄は役職がなくとも年嵩という身分があるので言いたい事は言える物、らしい。
シーヴィスからも確かに時折不穏な空気を感じては施政を見直す事があったが、そういう事だったかとシャイアは納得もした。
「師匠は陛下の事をよくお褒めになっております。私も教育係として鼻が高いです」
不穏な気配を察知しては修正しているのだから、確かに怒られはせずに褒められるだろうが、果たして素直にその言葉を受け取ってもいいものかとシャイアは再度首を捻った。
次はリァンにお鉢が回った。ジューガーという貴族はいないので、商人かなにかの出だろうかとシャイアが言うと、その通りですとリァンは頷いた。
「私の実家は所謂貸本屋を営んでおります。その為幼少時から字を習うことができました。本も読み放題で……とは言え流行の物語などが多かったのですが、それでも物語の中の戦略や知略、謎解きがはまった時の快感が好きでございまして。読んでいくうちに物足りなくなり、現役を引退した騎士団長の家に紹介をいただき下働きとして入らせていただきました。賃金は安くて構わないので空いた時間に本を読ませてほしいと言ったら変わり者扱いはされましたが、まぁそこはそれ、うまくいっていたのです。お陰で軍の暗号も一通り解けるようにもなりましたし、兵法や情報戦に関しても学べました。……騎士団長殿は殆ど飾りで置いておいたのにと仰っておりましたので、あの屋敷の本を読破したのは私が初めてじゃないでしょうかね? 読み切ってしまった事でやる気は減退、仕事の能率が落ちに落ちてしまったので、こちらの王宮に紹介状をいただき、晴れて司書部で本の読み放題の生活が始まりました。今では北の国と西の国の言語も大方理解できますよ」
ここでまた、シャイアが「ん?」と首を捻るはめになる。
「うん? そんな本あった?」
「ございますよ。先々代の王がお集めになった蒐集品の中に。とある本の中にメモ書きがあったので実践してみたのですが、奥から二番目の棚の上から三段目、右手から五冊目の本を三度出し入れすると隠し部屋の入り口が開くのですが……」
「この城には未知がいっぱいだーー?!」
叫んだシャイアはそのまま執務机につっぷしてしまった。リァンがどもりながら弁解する。
「いや、でも、蒐集品をため込んでいるだけの私的な部屋ですのでご存知なくても仕方がないかと……!」
シャイアは恨めしそうな顔を上げると遠くを見た。もう驚かないぞという決意と共に何やら壁に向かってぶつぶつと唱えているが、無理もない。
王宮については誰よりも熟知しているという自負があったのだが、それが一司書によって新たな隠し部屋の発見が為されていたのだ。報告も上がっていない。報告するまでもなく、ご存知でしたよね? という声なき声が聞こえてきそうである。
「私は図書室の本を読み切ってしまいましたので、新しい本が入るまでの間は蒐集品の部屋の掃除や本の手入れをしながら異国の本を読んでおりました。あの部屋の本は外国語のものばかりですので読むのに時間がかかり、読み切る前に西の戦があって軍師に召し上げて頂きました。――そういえば、軍師に召し上げていただくきっかけになった策を思いついたのも、ローザのポケットに入っていた謎の暗号のおかげです。暗号というのは一定期間使用されると一新されるのですが、十代は前の物でしたよ。今では理解できる者が少ない暗号を用いるとは、ローザに悪戯をした人も大変な知識がおありと見えます」
リァンが嬉々として語る内容を聞いて、はたと気付いたシャイアがナタリアの方を見る。ナタリアは控えめに小さく頷いて見せた。
(しっかり技を振るっているじゃないですかーー?!)
シャイアは声にこそ出さなかったが、体に力が入らない。ここ数日は驚くことの連続で、心も体も疲弊してきてしまっている。
ナタリアがあわてて気付けの酒をシャイアに飲ませると、シャイアはようやく人心地ついた。
「ははぁ、皆さまの経歴に比べると我々は地味ですな、ハクユウ殿」
「ですなぁ。我々は只管鍛錬、鍛錬、また鍛錬というものでしたから」
ガジェとハクユウが年嵩の余裕ではっはっと声を上げて笑った。若者同士の突拍子もないやり取りをこれまで黙って聞いていたが、内心は大変楽しんでいたらしい。
彼らが国立軍と近衛兵団の前進である王立軍に入隊した頃は、とんでもない鍛錬を行っていたらしい。
曰く、三日分の食糧を持たされた上で目隠しをされ、馬車で五日掛かるウルド山脈の山頂に地図も無く置き去りにされ、星と太陽を読んで方角と時間を測り、獲物を狩りながら下山するという生存訓練。
曰く、小隊毎に最後の一人になるまで木刀で打合いをする蟲毒訓練。もちろん負けた者はそれ以上に険しい訓練が待っており、勝ち残った者は勝ち残った者同士で不眠不休の打合いである。
なんで生きているのか? という疑問を若者一同は一斉に胸に抱いたが、口にしないが華である。どうりで動じない訳だ。
そろそろ自分の番が回ってくるか、とそわそわしていたリユニア公爵だったが、ロダスが話を切り上げ仕事に戻る事を決めてしまうと、皆一斉に動き出した。
「あれ?」
話が振られる事を期待してそれまで存在感を消していただけに、結局一言も発する事無く終わってしまった。
そんなリユニア公爵の肩をシャイアがポン、と叩く。
「お前は私とほぼ同じような教育を受けているのだし、その上それはロダスもガジェもハクユウも知っている。その上話がくどいことは周知の事実。残念だったな」
慰める積りの全く感じられない意地悪を告げられ、そして執務室に一人取り残された。
ポカンとした表情のリユニア公爵像は、結局夕刻までそのまま動かなかったという。
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