余談 教育は様々

 ナタリアの言う所によれば、オペラ伯爵の教育は苛烈を極めたという。


 基礎体力の訓練に始め、地理や人の暗記、様々な国の歴史と裏の歴史、行者としての技の訓練、兵法から武器、暗器の知識、使い方、毒と薬の用法と容量、作り方、気配の消し方から変装の仕方、尾行のやり方、経済の仕組み、政治の内容、社交の礼儀、舞踏、歌、演奏、演技……一国の王でもそこまでは手が回らないという程の内容を詰め込まれ、大体が一般的に働きに出る十二歳か十三歳で実践に投入されたという。


 知識の深度はナタリアが一番であるが、技の冴えで言えばヴァベラニア王国に来ている中ではカレンが一番。ニシナは諜報役として最優良で、ソルテスは武器や暗器の手入れから使い方が一番うまいという。


「ちなみに、シャイア様。あの城壁なんですが」


 ナタリアがサロンの窓から見える王宮の城壁を指差す。


「うん? あれねぇ、平和な割に立派でしょう? 数代前の王が造ったらしいんだけど、必要だったのかなぁと不思議になるよ。あれがあれば首都まで攻め入られても籠城戦が出来ると私は踏んでいるんだけれど」


「はい。通常ならばそうなのですが、この国に来た中で一番身の熟しが未熟な私でも道具無しで乗り越えられます」


「首都防衛ってなんだっけーー?!」


 クッションが手放せない生活が続きそうである。




「私はこういう教育を受けて育ちましたので、社交はあまり得意では無いのですが……」


「そんな事ないさ。いつも言っているだろう? 話が面白いって。オペラ座の血が為せる業なのかな」


「そう言っていただけると光栄です。――私の教育はこういったものでしたが、シャイア様はどんな教育を受けられましたか? 大変教養がおありになりますし、この城の図書室は素晴らしい蔵書の数々です。知らない本がいっぱいございます」


 ナタリアはシャイアにだけは表情を露わにするように決めたようだが、身に付いた習慣というのはそう簡単に崩れないものだ。無表情のまま、周りにぱっと花が咲くような雰囲気だけを醸している。


「私かい? そうさな、地理や人の覚え、歴史や政治経済、兵法なんかは君と似たような事をしたと思うのだけど……違う事と言えば、剣の訓練と、毒の訓練かな」


「毒の、訓練ですか?」


 一国の王子には不似合いな言葉に聞こえる。


「あぁ、使う方ではないよ。受ける方だ。――そうだ、ナタリア。試しに明日から私に、機会があれば毒を盛ってごらんなさい」


「? 良いのですか?」


「もちろん。致死量で構わないよ。お腹を下すのは万が一があると嫌だからやめて欲しいけど……」


 死ぬより下す方が嫌なのか、とは思えどナタリアは黙っていた。


「まぁ、ものは試しさ」


 ナタリアは不思議に思いながらも、シャイアが当然のように言うので、一つこの遊戯に乗る事にした。




 明くる日から、ナタリアは(主にローザや行者じゃ無い者の)隙を見て王の紅茶に毒を盛る事にした。


 本当に死んでしまっては困るので、麻痺して動けなくなる神経毒や、体力を弱らせる毒などをまずは少量、紅茶の中に紛れさせてみる。


「うん、神経毒だね。蛇から採ったのかな? 無味無臭なのがいいよね」


「毒草は苦味があるよねぇ。もう少しナタリアが紅茶を淹れるのが下手だったら分からなかったかもしれないけど、あからさまだ」


 シャイアはその悉くを見破っては全て飲み干しけろりとしている。


 面白くなって一族秘伝の技を使って作り上げた麻薬や、先の毒草を無味無臭にした粉末、灯り油に溶かして使う自白剤を使ってみるが、何の効果も得られないどころか、全て看破される。


「お見事ですわ、シャイア様」


「だろう? つまり、こういう教育だったのさ」


 今も毒入りの紅茶を片手に、シャイアは茶目っ気たっぷりに片目をつむって見せる。


 ちなみに、あまりに効果が出ないのでナタリアはカレンにも事情を話して手伝ってもらっていたのだが、その場にいたカレンとニシナも拍手せんばかりに感心していた。


 ローザはリァンが忙しくなってから、夜は二人に任せて下がるようになったので、遠慮はいらない。


 今日の毒は熊をも殺す致死性・即効性の毒である。さすがに倒れくらいはするかと思ったが、シャイアは平気で飲み干してしまった。


「私の母は父が亡くなる五年前に亡くなってね。その前にもっと言うと、私には顔も知らない兄弟が居たらしい。……皆、私が産まれる前に赤子のまま毒殺されたのだよ。だから父は私に、戦の神の剣……ガルバンド、などと名付けてこういった教育をしたんだろうね。ハース……リユニア公爵も私と一緒の訓練を受けているから、なまじかの毒では死なないだろう。大抵の毒は一通り受けて、もう体に抗体が出来上がっているんだ。今も時々、私の晩餐にだけは毒入りが出されているんだよ」


 ナタリア程多種多様な毒を盛ってきた事はないけれど、と厨房の擁護も付け加えて。


「つまり、陛下の血を精製すれば……」


「うん、あらゆる毒に対する万能薬の出来上がりというわけさ。というか作ってある」


 だから御庭番が毒を受けたら私の所においでね、とシャイアは笑うが、何とも笑えない話である。


 毒を受ける訓練などと言うのは、ナタリアをはじめとする館の者の誰も受けていない。毒は喰らうものではなく、誰かに仕込む物であったからだ。


 毒を喰らわされるならば、毒を喰らえる者になればいいじゃない――。


 発想の逆転にナタリアもカレンもニシナも感心しきりである。


 驚かされ続きだったシャイアはようやく少し胸のすく思いをしたのであった。




 ソルテスとシャイアが初めて顔を合わせたのは、ナタリアの告白から三日程後のことである。


 燻した銀の髪に異様な程白い肌、酷い隈と背が高い割に背がまるまる程の猫背で最初は分からなかったが、ロダスに共通する部分が多いと気付く。


「ソルテス。話は聞いているよ、どうかよろしく頼む」


 シャイアはいつものように笑って手を差し出すも、ソルテスは視線を逸らして気まずそうに服で手を拭っている。


「へぇ……、私なんぞで役に立つ事があればよいのですが……」


「陛下。ソルテスは病的に卑屈なのでお気になさらないでくださいませ」


 握手をしようとした手がからぶったのだが、それは自分に落ち度があるわけではないらしい。


「……、陛下の御腰の物を拝見させていただいても?」


 ソルテスがふと興を引かれたのが、シャイアの剣である。からぶった手をそのまま腰に持っていくと、すらりと剣を抜いてソルテスへ手渡した。信を置くというのは、こうした事からコツコツとが大事なのであるとシャイアは知っていた。


「ははぁ、まだこれは人の血を知らないようで……、しかしこの白刃は大変美しく強い。大業物といって過言でないでしょう。手入れも行き届いている」


「陛下、因みにソルテスは病的に武器愛好の癖を持っておりますので御慣れくださいませ」


「ねぇさっきから話を聞いていると病気なんじゃないの? 違う?」


「病的ではありますが、困る趣味ではございませんので」


 一通り眺めて満足したのか、ソルテスはシャイアに剣を返す。


「私は武器や暗器の手入れと使い方を重点的に仕込まれましたので、趣味が実益になっとります。此度も万一此方で技を振るう事になった時、武器の手入れや作成ができる者がおった方が良いという事で参りましたので……」


 なるほど、とシャイアは少し考え込むと、ソルテスの身分を武器庫の管理課に回す事にした。


「それならば王妃や王妃付きの侍女の護身用の武器として様々なものを調達もできるし手入れもできる。この国では殆ど閑職のようなものだし、山の様に眠っている武器があるから、それの手入れや管理が表向きの仕事になるだろうけ」


「喜んで拝命いたします!」


 ソロニアはシャイアが言い終わるのを待ちきれず、被せ気味に跪くという芸当をしてのけた。


「異国の武器……暗器……手入れ……! 鈍って鈍って寝不足になっていたが……これで……!」


「陛下、この様に実に病的に武器愛好の気がありますが、優秀な者ですので使ってやってくださいませ」


 シャイアには見える。近い未来、武器庫中の武器という武器が適切な管理をされ煌めく様が……。 

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