第14話 アッガー

 アッガーは狩猟の神である。


 野山に息づく全ての獣と、それを狩る狩人を司るのがアッガーだ。


 アッガーは痩せぎすの色黒の男の姿をしているとされ、それは大地の色であり、生きるに必要な分だけを狩り、無駄な殺生はしないという教えに基づいている。


 そのアッガーの名を冠した、アッガーラという軍勢は、シャイア達の背後からソプリテン伯爵軍へと騎馬のまま崖を下って切込み噛み付いた。


 降りる者を助けるように、崖上からは西の連合軍に矢の雨が降り注ぐ。降り立った騎馬の戦士たちは、数は少なくとも一人一人が恐ろしく腕が立った。


 湾曲した刃の二刀流の戦士は敵の首を次々と刈り取っていく。


 大きな鉈のような幅広の剣を振るう女戦士は通り抜けざまに敵の急所を切って捨てている。


 援護の矢も、その一本一本の命中精度と威力が凄まじい。首に当たれば頭と胴に別れを告げさせ、胸に当たれば鎧を貫き一発で絶命させる。


 揃いの鎧など着て居なくても、連携もまた素晴らしかった。


 散り散りに切り込んだというのに其々がどうすべきか理解している。いつの間にかソプリテン伯爵軍の背後について、国立軍との挟撃でぐるりと西の連合軍を囲ってしまった。シャイアも指揮を執り、左右の守りを固めていた軍勢にソプリテン伯爵軍を挟撃させる。


 野生の狼は群れで狩りをするという。一頭一頭が獲物を追い詰め、傷付け体力を奪いながら追い込み、自分たちよりも大きな熊でさえ狩るという。


 それと同じで、彼等は数で劣りながらも一気に形勢を逆転させた。


 戦の混乱に乗じて、先程声を掛けてきたとおぼしき痩せぎすの眼鏡の男がシャイアの傍に馬を寄せた。馬上ではあるが、背が高い。それでも頬は少しこけており、とてもじゃないが戦士には見えない。まさに狩人といった風体である。


「お初にお目に掛かる、国王陛下。我らはアッガーラ、狩猟の民。先日は我々の元同胞がとんだ迷惑をかけた。此度の戦も、我々が先に彼奴を殺しておけば起こらないことであった。迷惑を掛けた詫びに助太刀いたす」


「助太刀、心より感謝します。恥ずかしながらあなた達の事は今の今迄知らなかった。御礼には穀物が良いだろうか、金銀が良いだろうか」


 シャイアは馬上ではあるが頭を下げた。首を差し出すような行為をしたのは、ソプリテンの手の者ならば遠に首を刈られていると即断したからである。


「……」


 話の早いシャイアの対応に、アッガーラの男は目を丸くして黙り込んだ。


 貴族やひいては国王というのは、もう少し偉そうにふんぞり返り、御礼ではなく褒美を取らせるとか言うものではないだろうか。しかも我々が狩猟の民だと知った上で、どこでも換金できる金銀か、または山では育ちにくい穀物かを選ばせるという。


「む、どうかしただろうか御仁。あいや、失礼した。私はこの国の王を務めている、シャイアと申します」


「アッガーラのバルク・ルインヴィス。礼の話は後程、信に足る証に今はあの馬鹿を捕らえて参りましょう」


「お任せしよう」


 シャイアが顔を上げて笑うと、バルクも気難しそうな顔を緩めて少し微笑む。


 戦場にかけだすと、片手を挙げて味方を鼓舞した。


「アッガーの名の下に!」


「アッガーの名の下にィ!」


 彼が唱えると、それを合図に彼方此方から声があがる。


 バルクは少数精鋭で切り込むと、ソプリテン伯爵の元へとまっすぐに切り込んだ。もはや、四方を敵に囲まれて中央はすかすかになっていた為、いっそやりやすい程であった。


「だぁら言ったろうが、お前は馬鹿だと。あの王と比べるのも馬鹿らしい、国王になろうなどと言う野望と共に死ね」


 ソプリテン伯爵が剣を構えようとした刹那、バルクの首刀がソプリテン伯爵の首に綺麗に決まった。


「大将は獲った! まだ戦るという者はこのアッガーラがお相手しよう!」


 バルクの雄叫びに、其処彼処で自分たちの身を兵に囲ませて守っていた領主達は全員武器を捨てた。


 シャイアの初陣は、思わぬ助っ人によって勝利となった。




「御仁達だろう? 私の斥候を帰してくれなかったのは」


「こ、殺しちゃおりませんぜ、捕まえて仲間に加えただけです」


 ジャモマイル子爵邸に席を設けると、バルク率いるアッガーラは意外にも素直についてきた。


 捕獲した領主達を一先ず牢に監禁し従っていた兵たちにも縄を掛ける。別棟に軟禁状態にして、負傷者は手当し、食事を与えた。


 頭を失った兵たちに、もはや謀反の意思は無い。彼らは主に従っていただけであり、兵とは悲しくも、そうあらねばならない。頭がいくつもあっては指揮系統が乱れる。それは兵としての在り方を見失うに等しい。だから、シャイアはソプリテン伯爵以外の兵には恩情をかける積りでいた。


 武器の代わりに鋤を、鍬を与え、東の直轄地を開墾させる予定である。


「仲間に加える、とはたやすく言ってくれるなぁ。斥候にも嘗められちゃっているのかなと不安になるじゃないか」


「いや、あの、そんな、陛下を嘗めるなんてとんでもないことで……」


 バルクの言葉は本心からのものだったが、シャイアはふふっと笑うと冗談だよと言って落ち着けた。


 この席に加わっているのはそれぞれ三名。


 シャイアと共にリユニア公爵とリァン。バルク側はまだ十代に見える女戦士と中年の弓兵だ。


「紹介が遅れました。こちらのじゃじゃ馬娘が……」


「じゃじゃ馬じゃねぇっつってんだろ! 国王陛下、この阿呆の言葉は聞き流してくださいね。剣兵隊のマーガレットです」


 この阿呆、の所で親指をバルクに向け、身を乗り出して挨拶したのはマーガレット。赤髪を頭の高い位置で括った、こうしていれば可愛らしい少女である。


「で、こっちのムッツリが……」


「誰がムッツリだこの阿呆。国王陛下、バルクが何ぞ失礼を働いてはおりませんかな? 弓兵隊のボスコです」


 中年の男は分厚い体をしていたが背が低い。シャイアの肩ぐらいまでの身長だろうか。バルクに向ける視線は厳しいが、三白眼の小さな目は意外と円らである。


「ほんで俺が頭目のバルクです。お見知りおきを」


「見知りになっていいのかい?」


 山に放った斥候の悉くを返してもらえなかったのは、彼らが自分の存在を隠そうとしていたからだとシャイアは直ぐに分かった。


 だからこそ、今後も付き合いがあるかのような言い分に少し驚いてみせた。


「へぇ。なんせもう、顔も技も見せてしまいましたからね。陛下なら適切にしてくださるでしょう」


「できれば国交を持ちたいものだが」


「国交、ですか。へぇ、ふむふむ……やはり陛下は侮れない御仁ですな」


「ウルド山脈はヴァベラニア王国のものでも、ソロニア帝国の物でもない。そこに暮らす集団がある一つの名前を掲げたら、それはもはや国でしょう」


「そういう風に汲んでいただけるなら僥倖。できれば是非国交を」


 そこからは六人掛かりで条約の骨組みを組み始めた。



 バルクは頭目を名乗ってはいるが、アッガーラは共和制を採用しているようだった。それぞれの首長が集まり、会議によって国の在り方を決めていく。頭目も首長も、役に立たないとなれば外される。


 厳しいが、自立して生きる国の民にはふさわしいだろうとシャイアは思った。


 今回の戦のお礼に関しては、金と麦で半々となった。山を開墾するには時間がかかる。手もかかる。


 豊かな実りがあるのに、それを逃す手は無いという事だろう。


 また、今後も穀物との交易を希望された。アッガーラからは貨幣でもってそれを買うという事が決まったが、その貨幣の出どころはシャイアにも聞けなかった。そういう空気を感じたのだ。


 また詳細はロダスを交えブランデで決める事となり、その日の夜は宴となった。


 一刻も早く帰りたい気持ちもあったが、強行軍に付き合わせた兵士達をねぎらわねばならない。伝令を一足先に飛ばして、ジャモマイル子爵邸の酒を呑みつくす勢いで兵士達やアッガーラに振舞った。


「しっかし国王陛下は良い斥候をお持ちですなぁ」


 そういって赤ら顔のバルクがシャイアに絡んできた。


「斥候?」


「そうですよ。俺達の村のすぐ近くまでやってきて、誘導するように陛下たちの元に戻ったんですよ。時折本気で気配を消しては、また気配を表すなんて芸当まで使ってね。ウルド山脈は俺らの庭のようなもんですが、ありゃあ相当な場数を踏んでまっせ」


「ふぅん……? そんな優秀な人、いたかなぁ」


「じゃあアッガーの使いかもしりゃあせんな」


 バルクはそう言い置くと、自分たちの仲間の元へ帰っていった。


 残されたシャイアは暫く首を捻っていたが、やめた。帰ってから順に呼び出して尋ねればいいとして、今は自分も宴に興じる事にした。



 街道を駆け抜ける一陣の風がある。カレンだ。


 夜の街道は人が居ない。邪魔もなければ人目も無いのだから、うんと力を発揮して道を駆ける。


 馬よりも早く、飛ぶよりも早く。カレンは脚力の限りでブランデを目指す。


 バルクの言っていた優秀な斥候はカレンである。また、切り立った崖を見つけてきたのもカレンだ。


 戦場であまり目立った武勲は立てられないが、斥候としてならば力を振るえる。それでも、戦が終わった今だから思う。


(自分の力はこんなものじゃないんだ……!)


 もっと働ける。もっと適切に、いろんな事ができる。


 勝利の余韻にもどかしさを感じながら、それを振り切るようにカレンは走る。


 王妃はきっと褒めてくれるだろう。今はそれだけが楽しみである。


 この平和な国にやってきた事は、力持つ者の運命としては悲しい事だ。それでも、技を振るってよいと言われた事の、策がハマった事の高揚感は抑えきれない。


(ナタリア様と話したい……、もっと、できる事がきっとあると……)


 こうして一陣の風は、騎馬で一日の距離を、夜の間に踏破した。

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