第13話 初陣

 シャイアは戦を知らない王である。


 先のシサリス戦争では戦場に出ることは叶わなかった。即位したばかりで死なれては困ると思った周囲の反対を押しきれなかったのだ。


 兵法も、剣の腕も、弓も騎馬も心理学も、学べる事は全て学んだが、機会が無かった。


 国は豊かで内乱の一つも起こらない。山賊も野に下りてくるのは領主で対応できる程。騎士団などは、時折シサリス戦争の前ではあるが、ソロニア帝国に出張して援軍として活躍したらしい。


 シャイアはその話を聞く度に、戦というものに思いを馳せた。憧れたわけではない。争いがない国などは存在しないと歴史が語っている。


 さすれば、いつか来るその日に向けて己ができることを考えるだけ考え、学べるだけ学んできたのだ。


 シャイア・ガルバンド・ロウ・ヴァビロン。このガルバンドというのは、戦の神ガルフからとったものである。ガルフの剣、という意味を持つ。


 父も見越していたのだろう。この平和は終わる時が来ると。必ず、シャイアは戦地に立つことになると。だから父は……先代は、シャイアの無茶な訓練にも口を出さなかった。


 願う事ならば、シサリス戦争も勝って国を守りたかった。あの時とは軍の練度が違う。戦う敵も違う。それでも、毎回身を切られるような痛みを伴う。


 信じていた友に裏切られ、同じ国に住まう家臣に裏切られ、全く嫌な気分になるものだ。


 その上失うものはでかい。


 そんな事を思いながらソプリテン伯爵軍と向き合った王は、強行軍で震える手に鞭を打って馬を進めた。



 ソプリテン伯爵軍と国立軍の中間の辺りで、シャイアとソプリテン伯爵は其々護衛を付けて向き合う形になった。


「残念だ、ソプリテン伯爵。貴殿は周りの面倒見もよく、慕われてもいるようだ。そんな御仁が私の下にいてくれたのならと考えずにはいられまいよ」


 夜会の会場に貴族諸侯を残してきたのは、これ以上の造反を防ぐためである。想像以上に裏切りの規模は大きい。


「戯けたことを。貴様のようなへたれた王になどこの国は任せられぬ」


「すまないな。……あの時の先鋒の将は、貴殿の弟であったか」


 シサリス戦争で命を落とした将の名は、ラウア・ソプリテン将軍。ソプリテン伯爵の弟で、当時のバルミロ騎士団を率いていた長である。


「今更貴様に謝られたところで弟は返ってこぬ、……弟はようやく団長に就任したところであった。領地もそうだ。其々の貴族が三分の一の領地にまで減らされ、不満を抱かぬ者がいるだろうか」


 そうして不満を爆発させたのが西の領主達、ソプリテン伯爵軍の者たちだ。


「……貴殿は東の惨状を自分の事として受け止められぬのだな」


「私以上に受け止めておる者はそうおるまいよ」


「嘆かわしい……」


 シャイアが奥歯を噛む。


 東は、ソプリテン伯爵が思う以上に酷い状況なのだ。


 ある程度地形に沿って国境の壁は築かれたが、今まで交流のあった村と村が、集落が、突然違う国の者へと変わってしまったのだ。


 その上直轄地とはなったが、シサリス戦争によって踏み荒らされた田畑は多い。一年ではまだ持ち直しが利かず、他の直轄地や税として納められた穀物を分配して何とか暮らしている。


 自分たちが造ってきた作物が突然作れなくなった落胆。それまでずっと築き上げて来た自信。己たちが守って来た田畑という自尊心。それを挫かれて尚、来年には、と田畑を作り直す住民の強さ。


 確かに彼の弟は先鋒を買って出た上で、死んだ。ヴァベラニアにとっては誰か一人が犠牲にならなければ終わらなかった戦であり、ソロニア帝国にとっては何人死んだとしても絶対に攻め入らなければ終わらない戦争であったのだ。もはや目的も意気込みも違う。


「最早貴殿を敵として討つ事に躊躇無し。国賊と相成った貴殿に未来は無い」


「王宮の奥でぬくぬくと布団に包まっておればよかったものを、のこのこ出て来てくれたのならば好都合。貴様を殺して私が王となろう」


「……馬鹿には掛ける言葉すらないよ」


 シャイアはそう呟いて踵を返した。


 自分が玉座から引きずり落されたとして、次に国王になるのはリユニア公爵である。シャイアの次に血が濃く、王位継承権も持っている。


 そのリユニア公爵だが、シャイアの右手後ろに国立軍服を着て全てを聞いていた。


 普段は溢れんばかりに茶目っ気たっぷりな彼だが、ソプリテン伯爵とシャイアの会話を聞いて、その顔からは表情が消えている。怒り心頭に達すの域にいるようだ。こみあげてくる気迫が違う。


 他の者もそうだ。悔しかったのは、国立軍などと言いながら国を守れなかった屈辱を胸に一年己たちを鍛え上げて来た国立軍兵皆がそうなのである。


 弟を殺されて悔しかった事だろう。領地を減らされて不満を抱いた事だろう。しかし、それを王の、シャイアのせいにしている時点でよもや国を治める器では無い。己の手で己の領地を改革すらできない者に、この国土を治められる道理はない。そんな事にも思い至らない馬鹿に、国は任せられない。


「決戦は明日になるだろうね」


 リユニア公爵にシャイアが告げると、恐れながら、と左手側に控えていたリァンが割ってはいった。


「補給物資は馬に牽かせておりますので間に合うでしょう。歩兵は、バルミロ騎士団からの応援が三千でしょうな」


「いや、バルミロ騎士団には砦の守りと、この近辺の領民の護衛を頼む。あぶれた兵がまかり間違って民草に手を出しては意味が無い。……それに、きっと戦列に加わりたく無い者もいるだろうから」


「先の団長の件ですね。分かりました、今は裏切る可能性や士気の低い兵の加入は却って邪魔です。明日はこの人数で倍の人数を倒さねばなりませぬ。策を計じましょう」


 護衛と共に自陣の要であるジャモマイル子爵邸へと戻った。緊急にガジェ国立軍団長、リユニア公爵、リァンを集めて軍議を開始する。


「まずは指針だが、改めて言っておこう。ソプリテン伯爵軍の殲滅、及び捕縛だ」


 シャイアはいつもの愛嬌を消し、真顔で連れた。燭台の明かりに照らされた表情は抜き身の刃の如き鋭さだ。


「山側に誘いこみましょう」


 リァンは迷わず提案した。この人数であの人数を殲滅、あるいは捕縛するには、最低でもまずは対面する面積を前後左右の四面から三面に絞る事が必要である。


「西の山に我々の背面を守らせます。……これはソプリテン伯爵の意気ごみを聞くまでは可能性が低い作戦でしたが、どうも陛下を手に掛けようと躍起になっている様子。結果的に急いで陛下が現れてくれたことは僥倖だったと言えましょう」


 シャイアの顔を見てリァンはひとつ頷く。リユニア公爵が口を開いた。


「陛下、どうぞあの馬鹿めとの戦闘は我にお任せあれ。……恐れながらも兄弟も同然で育った陛下をあそこまで虚仮にされて黙っていられるほど、このハースという男は人間ができておりませぬ」


「任せよう。ガジェ、左右に展開する小隊だが、先鋒に出す者は厳選して欲しい」


「今いる兵の中でも腕扱きの者を集めましょう」


 ガジェが力強く請け負うと、シャイアは力強く頷く。


「そして私は優秀な餌だ。精々中堅から前線でちらついて誘って来よう。可能ならばソプリテン伯爵は捕縛するように」


「あ奴を生かしておく気ですか?」


 リユニア公爵が気色ばむと、シャイアはふと笑った。鼻で笑ったと言うべきだろうか。


 底冷えするような笑みを浮かべて、低い声で言い切った。


「馬鹿言え、殺す。ただし、それは処刑とする。戦死などと言う美談に仕立てて見ろ、今度は国のどこから挙兵されたか分かったものでは無い」


 ソプリテン伯爵の弟は、自ら望んで騎士団に入ったのだ。当然、戦で命を落とす危険があるにも関わらず、だ。こんな歪んだ復讐を企ててしまう位には、ヴァベラニア王国は豊かで長閑に過ぎた。ソプリテン伯爵程度の馬鹿ならば、どこに誰が潜んでいてもおかしく無い。


 国が大きすぎて大局を見通せない等という馬鹿に、この国は任せる事が出来ない。


 こうしてシャイア達は月が中天を過ぎるまで、明日の作戦を詰めた。




 翌朝、召集の鐘が両軍共に響き渡る。


 結局国立軍の歩兵は間に合わず、ソプリテン伯爵軍総勢一万に対し、国立軍は五千のまま戦が始まった。


 整然と並んだ国立軍の兵士たちが、一斉に足を踏み鳴らす。それは地響きとなって、ソプリテン伯爵軍を脅す。野生の獣が自分を大きく見せて相手を威嚇するように、国立軍も理不尽な戦を挑んできたソプリテン伯爵への怒りをこうして発し、威嚇して相手の士気を下げる。


 急造の領主連盟の軍ではこうはいかない。


 確かに兵の士気が下がったのを見ると、シャイアは打ち合わせ通りに号令した。


「かかれ!」


 その合図とともに、シャイア諸共国立軍は騎馬の機動力を活かして西の山へと向かっていった。


「なっ?!」


「くそ、そう来たか!」


 領主達から声が上がる。彼らを追うと歩兵が付いてこられない。数の有利を無くしてしまえば、練度で負ける。


「小癪な……」


 ソプリテン伯爵は斥候を放ち、国立軍を見失わないようにしながら、全軍で彼らを追った。


 西の斜面が急な崖を背に、シャイア達は陣取った。国中の地理は頭に入っているが、斥候に出した一人が良い場所を見つけてくれたのでこの場に辿り着いたのである。


 ソプリテン伯爵が来るまではもう少し間があるだろうが、もう少ししか間がないと言ってもいい。


 後は出たところ勝負である。


 初陣からこのように指揮を執り、不利な状況で戦を進めねばならない等とはシャイアも予測していなかった。


(もう少しこう、反乱軍の制圧とかスマートにやれるものだと思ったのだけれどな……)


 スマートに片付く戦など存在しないと分かっていても、やはり机上と実践では全く違う。


 兵を三面に配備して敵方を待つと、斥候が王の元へやってきた。


「申し上げます。ソプリテン伯爵軍、まもなく到着いたします」


「分かった。やはり歩兵もか」


「はい」


「ご苦労だった。下がって少し休め」


 斥候が下がって間もなく、地響きが聞こえてきた。


 歩兵が、馬が、進軍してくる音だ。地面の上の小石が跳ねる。


 逃げた獲物を追ってくるソプリテン伯爵の顔色は、遠目にも分かる程どす黒い。馬鹿にされたと思っているのだろう。あの男はそういう器だ。


 真正面から迫る軍に対し、シャイアは手をあげた。


「撃ち方はじめ!」


 自らも狩人が使う強弓を馬の上で構えると、シャイアが最初の一矢を放った。


 そこからは乱戦を極める事となった。


 まずは歩兵を弓で封じる。機動力には劣るが、接近戦では盾を持つ分騎馬は不利である。


 騎馬兵の装備は、バルミロ砦で補給した弓、後は槍と剣である。


 矢の限り弓を打ち尽くすと、国立軍の先鋒が飛び出た。


 歩兵を蹴散らさんとばかりに槍を振るう。しかし、ソプリテン伯爵軍も黙ってみているわけでは無い。


 騎馬隊を前に出し、そこを拮抗させた。弓による援護は続くが、今度は弓の精度の高い者だけが弓を引くので数は減る。味方に当ててしまっては目も当てられない。


 槍の穂先のようになった国立軍の陣形は、大きな隙間から零れてくるソプリテン伯爵軍の兵を左右の守りを硬くして迎え撃った。


(……劣勢だな)


 これで今日中に歩兵が到着するならば挟撃も出来よう。しかし、まずはそれまで持たせねばならない。少人数で持ったとしても意味が無い。


 シャイアが弓を引きながら打開策を考えていると、崖の上から声が降って来た。


「お困りのようですな、国王陛下。ここはひとつ、我らアッガーラにお任せを」


 軍の中程にいたシャイアの耳に届くのに、その声は特に張り上げている様子も無い。


 どうした風の作用かと訝しみながら振り返ると、崖の上に騎馬の戦士がおよそ千、歩兵が千、笑いながらシャイア達を見下ろしていた。 

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