第12話 西へ

 西から挙兵したとの報せに夜会は一時騒然となった。


 当然ながら何も知らずに西の領地から来た領主もいるのだが、すわお前も裏切り者かという視線を浴びる事となり、慌てて弁明する破目になっている。


「皆の衆、不安なのは分かるが落ち着いてほしい。この大広間の外には総勢五千からなる近衛兵団が控えている。万が一裏切りを働くにしても、ここに来た時点で詰みである。からして、此度の記念すべき日に反乱を起こした国賊はここに居ない者だけであろう。だからそう慌てず、今は宴を楽しんでほしい」


 シャイアは冷静に場を収めに掛かると、それでも、と声を上げる者に笑いかけた。


「私は火消しに行って参るが、近衛兵団は置いて行く。国を支える皆が楽しんでいるのだと思えば、私も仕事をいち早く終えて輪に加わりたいと思うもの。どうか、私の為にも宴を楽しんでいただきたい」


 愛嬌たっぷりに言い放つと、シャイアはナタリアを臨時の代表に立て、残していた国立軍のうち二千とリァンを連れて西へと発った。


「陛下の華々しい凱旋に!」


 ナタリアは席に戻って改めて乾杯の音頭をとると、人に聞こえるか聞こえないかの声で、唇を動かさずに言葉を発した。


「カレン、居ますか」


「ここに」


 ナタリアの背後に、それまで全く気配を消して居たカレンが現れる。


「軍に加わりなさい。必要に応じて技を振るうことを許します。決して人目には付かないように」


「畏まりました」


 王を守り戦を有利に進めよ、という厳命である。


 カレンは音もなく下がると、王妃の寝室の控えの間で胸を潰して男装した。着たのは事前にくすねておいた国立軍服である。


 男に見える様な化粧をし、動きを少し男らしく調整すると、今のカレンを王妃付きの侍女だと……そも、女性だと思う者は居ないだろう。


 カレンは露台に出ると、そこが二階にも関わらず飛び降りた。


 そのまま馬とまではいかないまでも、風のような速さで城壁に辿り着くと、そこも一息に駆け上がる。


 垂直に立った壁である。そこを、わずかな石の凸凹と走ってきた勢いのままに斜めに駆け上がったのだ。軽業師にもできない芸当で自分の体を城壁の上に持っていくと、そこからまた躊躇いなく飛び降りる。それを残りの城壁二枚分繰り返し、外に控えている国立軍の軍勢にさり気なく紛れた。


 荷運びの中に紛れてしまえば、あとは違和感なく国立軍に加わる事ができた。




 首都ブランデからこの度挙兵があった西の領までは、騎馬の軍で2日掛かる。途中にあるバルミロ砦までならば北西に一日。シャイアはこの時間を惜しんだ。


 少数だからこそできる無茶な早駆けで途中途中の領主邸に押し入り、馬を換えてまた走る。


 領主たちはそれぞれ私設の軍を擁している。一般的には大体二千から三千といった所だろうか。騎馬となれば大方その半数から三分の一と考えてよいだろう。


 一緒に飛び出したリァンに別の領主の館を指示すると、二手に分かれた騎馬のみの二千の軍勢は風もかくやという速さで夜の野を駆けた。


 荷の隊が途中で引き離されそうだったので、カレンは馬を換える際にそっと早駆けの隊へと移る。


 シャイアは体力の限り馬を駆った。何なら戦うまでの力は残らなくてもいい。目の前に立ちはだかる事で、相手の意気を砕くのが目的なのだ。


 途中、先行していた王立軍を見つけると、騎馬だけを率いて早駆けに加わるように命じバルミロ砦までを急いだ。バルミロ騎士団は総勢一万からなる軍勢である。その八割が騎馬の筈だから、おおよそ八千の無事な馬が居る。


 馬をつぶしかねない勢いでまだ陽が昇り切る前にバルミロ砦に着くと、王はまた無事な馬へと鞍替えをして今度は西へ急いだ。騎士団の馬は鍛えられており、強行軍でも潰れそうになる事は無い。


 そうして、太陽が中天に登る頃、不眠不休で走り続けた一団は西の軍と対面した。


 ジャモマイル子爵邸を拠点に構えた国王率いる王立軍五千に対し、向こうはソプリテン伯爵の旗を掲げた騎馬歩兵合わせて一万からの軍勢である。


 もはや裏切りは反乱という形になった。


 後はどう鎮圧するか。シャイアの腕の見せ所である。



「王妃様……王妃様、どうしましょう、あの人全然体力なんて無いんですの……!」


 その頃ナタリアは、泣きじゃくるローザをニシナと二人がかりで慰めていた。


 会場の隅で石のように白い顔色で固まっていたローザを見つけたナタリアは、ニシナを呼んで二人でローザをサロンの一つに連れ出した。


 せっかく洒落こんだというのに、その衣装が汚れるのも気にせずローザは涙を流し続け、紅茶のカップを持つ手も震えている。


「死んじゃったら……ど、どうしましょう……陛下が勝っても、あ、あんな、あんなに体力のないリァンなんて矢を避けそびれて……あぁ……」


「大丈夫よ、ローザ」


 ナタリアは、精いっぱいの優しい声でローザに語り掛けた。


「思い出してごらんなさい。リァンは何日不眠不休で本を読むの?」


「……五日、です」


 思った以上である。


「ならば、体力が無いという事はありません。では、その五日を明けて貴女に見つかったリァンは、貴女の平手をおとなしく喰らって?」


「いえ、いつも逃げられてしまいます……」


「ならば、反射神経も問題ないわ。貴女の平手より怖い矢なんて、飛んできませんからね」


「はい……」


 こうして具体的に慰めてやると、ローザはようやく少し落ち着きを取り戻したようだ。


 未だ悄然としているが、ナタリアにはその辛さは分かってやれない。


 成功すれば生き、失敗すれば死ぬ。そういう場所でずっと生きてきたからだが、普通の女性というのは恋人が戦場に赴くだけでもこれ程恐怖するのかと、認識の違いを思い知った。


 ナタリアはニシナに目配せをすると、ニシナはひとつ頷いた。ナタリアも強く頷き返す。


 相変わらず悄然と両手で持ったカップに視線を落としているローザに、ナタリアが語り掛ける。


「ローザ、顔を上げて」


「王妃さ……ま……」


 ローザが顔を上げると、そこには女神のごとき慈愛に満ちた笑みを浮かべるナタリアが居た。


 悄然としていた瞳がまんまるに開かれて、瞳が零れ落ちそうになる。


 今日の意匠も相まって神々しさに溢れるナタリアは、ローザの背を撫でながら笑みを深くした。


「大丈夫ですよ。リァンも、シャイア様も、無事で帰って来られます。必ずです。私が約束をしましょう」


「……」


「それとも、私の約束では心許ないかしら?」


「いえ! そんな、滅相もございませんわ……!」


「そう、よかった。では涙を拭いて、お化粧を直しましょう。リァン達が帰ってくるまで、楽しむのが私たちの役目です」


「はい、王妃様……!」


 ナタリアはローザが落ち着くのを見ると笑顔を収めて平素の顔へと戻った。彼女の表情というのは、あまりに目立ちすぎる。こうして盛装をしていると尚の事である。


 それは任務に支障を来す。だから、幼少のみぎりより父によって徹底的に無表情を叩き込まれた。


 一度見たら忘れない顔ならば、表情を消してしまえばいい。


 そうして、任務のおりには化粧で顔を崩して表情を付け加える。すると、不思議なことにナタリアはその場に溶け込んでしまえるのだ。


 こうしてたった一人の戦を戦ってきたナタリアやカレン、ニシナにしてみれば、戦というのは恐れる対象では無い。


 それでも、どうか無事で、と祈る気持ちは抑えられるものではない。


 ナタリアは胸元の飾りをそっと握った。



 西の軍は、リァンの読みの通り逃げる心算だった。しかし、逃げる方向はソロニア帝国ではない。


 北西に向って進軍していたのだ。


 北西にはウルド山脈の切れ間があり、北の方では既に雪が舞っている頃だろうが、その寒い地域を抜ければ未だ謎の多いとされている西の砂漠に出る。


 砂漠向こうには国があると聞いたことがある。砂漠超えなどはしたことが無いが、いざとなれば家来を蹴落としてでもソプリテン伯爵は逃げ切るつもりだった。その為にモートン辺境伯、及び一部の領主を取り込み、すわ反乱軍としてまとめ上げたのだ。急造ではあったが、砂漠に入ってしまえばこちらの物である。


 今日までこの行軍を待ったのは、王都に領主が集合するのを待つ為であった。あの民に命を握られたとあっては、もはや王がどこまで知っていようが関係がなかった。


 途中、ソプリテン伯爵軍に通り抜けられる領主との小競り合いになるよりも、目立っても邪魔の入らない今日決行すべきだと判断したのである。ブランデからの距離も鑑みれば十分成功率の高い作戦だったと言えよう。


 一か月前の通知より、周囲が夜会の準備に浮かれる中、自分たちは行軍の支度を秘密裏に進めていた。


 今頃はジャモマイル子爵からロダスが何もかもを聞いている頃だろうが、ソプリテン伯爵はこの西の連合軍に加わった十余名の領主に警備の助言をした。何なら警備計画も練ってやった。自分で立てた計画を売るためである。


 大方、領主というのは税が収められていれば大概の事に興味は無い。加えてヴァベラニア王国は平和な国、兵法等を心得ている者の方が少ない。有り余る時間はすべて自分の為に使われていたのだ。


 だから、突然兵を動かせ、と言われても対応できない者が多い。ジャモマイル子爵もその一人であったが、あの小男は王への裏切りを働いた気などそもそも無かったのだろう。勅令の意味も理解していなかったに違いない。


 ソプリテン伯爵は違う。ちゃんと理解した上で、気に入らない王の勅命を餌にしてまで、賊を取り込もうと躍起になったのだ。


 そもそも、今の王には不満しかない。決め手となったのは国境線の変更である。あれでソプリテン伯爵領は手狭になった。何せ、国土そのものが狭くなった上に、広大な直轄地が出来てしまったのだ。これでは台所事情も怪しくなるというもの。


 シャイアは充分に暮らしていける、と思っていたが、それは彼の認識が甘かったとも言えるだろう。


 貴族の金遣いというのは際限が無いのだ。加えて、見栄の張り合いをする。


 いきなり自分たちの領地が三分の二に減らされてしまっては、それまで通りの生活とはいかなくなる。


 だからこそ、あいつらを取り込んで王城へ攻め入ろうと娘を下賜げたのだが、その顛末は先の通りである。


 今、一番の勢力を持った軍は国王が持っている国立軍と近衛兵団だろう。このまま自国内で挙兵したとしても、とても勝てる人数ではない。せめて騎士団の一つでも取り込めれば話は早かったのだが、騎士団は完全に独立自治区である。その自尊心の高い集団に取り入る方法等、ソプリテン伯爵には思い浮かばない。


 しかし、山賊騒ぎで国王の信用を失墜させようと手引きまでしたが、あっという間に解決してしまった。今ではシャイア国王を見直す声まで聴くようになった。


(嘆かわしい……)


 先代の王が生きていれば、そもそもこんな事にはならなかったのだ。


 先代の王はソロニア帝国王と無類の友であったという。


 だから攻め込まれなかったのだ。この平和ボケした国がその証拠だ。


 それが、先代が亡くなった途端にどうだ。国土は三分の二になり、王には美しいだけで壊れた娘を献上する始末。


 これでは国が滅びてしまう。


(私の方が、立派に国を治めて見せるとも……)


 その為にも、まずは背後についてくれる国を確保せねばなるまい。


 ソロニア帝国は和平条約を結んだばかりである。対して西の国は、婚儀の際にも使節が来なかった。


 まだ付け入る隙があろうというもの。


 そうして北西に向っていた西の軍だが、斥候から慌てた報告が入ってきた。


「た、大変ですソプリテン閣下……! 北西の方向に、王立軍、その数五千! 全員騎馬です!」

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