第11話 裏切りの夜会

 夜会当日。王宮の大広間には盛装した男女がひしめき合っていた。


 婚儀の時以上の人数になっているのは、本当に『辺境伯も男爵も』含めて、国中のすべての貴族諸侯を招待したからである。


 ヴァベラニア王国創立記念兼シャイア国王陛下即位一周年記念という華々しいお題目の元開かれた夜会の招待状を無碍にする事は、この国の誰にもできないだろう。


 貴族が地方から王城に登るには、まずは護衛の兵が一分隊程。侍女、使用人が十名前後。ご本人と奥方。必要ならば馴染みの服飾職人や宝飾商人を連れてこなければならない。


 国を挙げて、ならぬ、城を挙げて、の夜会に、朝から王宮は忙しない。王都に館の無い貴族諸侯の為に、すべての客間を開放する事になるのだ。



「緊張するわ……」


 若草色のドレスに身を包んだローザは、リァンにエスコートされながら広間前の車停めで固まっていた。


 真夏の向日葵のような瑞々しい美しさだったが、本人に元気がなければ萎れた花である。


 リァンは盛装したローザの美しさに喜ぶばかりで、さぁ行こう早く行こうとローザの気持ちには鈍感である。


「大丈夫、今日のローザにはどんな貴婦人も敵わないよ。本当に綺麗だ」


「……あなた、最近ちょっと口が軽くなったわね? 中央に召し上げられて何か悪いお付き合いでもしているのではないの?」


 約一名、大いに悪影響を受けているだろう公爵の顔が過ったが、リァンはいいからいいからと強引にその場を逃れて階段を登って中へと入った。


「リァン軍師、及びローザ様がいらっしゃいました!」


 門兵が声高に宣言すると、会場の目が一斉に入口に向かう。ローザもさすがにこれには顔を伏せそうになるが、リァンが小さく、とても綺麗だから堂々として、と囁くと姿勢を正して張り出しの階段を下りて会場へ降りた。


 夜会は立食形式で、中央は舞踏用に広く開けられている。楽団が常に曲を奏でており、それに合わせて思い思いに踊っていた。


 上座を見れば、王と王妃用の立派な椅子があるが、そこにいるのは国王陛下ただ一人である。


 リァンはローザを伴って王の元へ向かうと、二人は膝を折って礼をした。


「ご機嫌麗しゅう、国王陛下。本日はご招待ありがとうございます」


「身に余る光栄でございます、陛下。……あの、王妃様はどちらに?」


 失礼とは思いながらも、今日の目的の一つである王妃の姿が無い事を訝しんでローザが控えめに尋ねると、シャイアはさぁ?と首を捻った。


「ナタリアはもう少し時間がかかるようだよ。今日は徹底的に目立つと意気込んでいたから、もう少し後に華々しく登場するんじゃないかなぁ?」


 事も無げに笑う王も、今日はナタリアに合わせて濃い青色の衣装を身に纏っている。赤に国紋を刺繍した外套が映え、愛嬌はそのままに、どこか怜悧な刃物のような雰囲気を醸し出していた。


「いつも二人にはお世話になっているからね、楽しんで欲しい。その前にリァン、少し残ってくれるかい? 悪いねローザ、少しだけ君の軍師殿をお借りするよ」


「馬車馬のように使ってやってくださいまし。最近、少し軽くなっているようですので」


「ははは、分かった。存分にこき使わせてもらうよ」


「陛下?! ローザ?!」


 シャイアの言葉に、まだ少しお冠のローザは頬を膨らませて踵を返すと、リァンは二人のやり取りに気色ばんで返した。


 悪のりなのか本当なのか分からないやり取りでその場に残されたリァンは、王が用意した椅子に座ってシャイアと秘密の会談を始めた。


「実は、西からの来賓が非常に少ない」


「やはり組織だった裏切りだったのでしょう。しかし、これではかえって目立つというもの」


「警備の兵を増やして遅れてやってくる、という事も考えられるが……彼らに王都制圧が可能な程の兵力は無い。果たして、どう出るか」


「……今日来ても黒、来なくても黒、となれば……、私ならば、来ませんね。逃げるでしょう」


 私なら、とリァンが自然に口にすると、シャイアは笑った。自然にやっているように見えるが、それは裏切りの詳細までを詳らかに理解した上で可能な考え方だ。どこまでが知られているのか、どこまでが隠せていると思っているのか、相手の気持ちになるというのは実に繊細な作業を要求される。


「逃げるか……、ふむ、国立軍を西の近くまで向かわせよう。今日は近衛がこの王宮を守ってくれている」


「先行させるのですか? 刺激してしまっては下手をするとソロニア帝国に亡命しかねませんよ」


「そこはそれ、私の直轄地だから守りは万全だ。――西の近くのバルミロ騎士団の砦に派兵しよう」


 そうと決まれば行動は早かった。王は伝令を飛ばして場外に待機させていた国立軍に連絡すると、国立軍は騎馬歩兵一万の兵をバルミロ砦へと進軍させた。念のために残り一万の兵とガジェは留守番である。


 シャイアが欲しかったのは、もう一つの目、だった。リァンはその点出来が良い。シャイアは何もかも見通す事ができるが、見える事と、その立場になって考える事は別の物である。


 逃げる物をそのまま逃がす積りは無い。


 リァンに礼をして彼を開放してしまうと、後はぼんやりと夜会を眺めながら自分の奥方を待った。さて、いつ来てくれるものかと思っていると、目の端で上座近くの兵が口をぱくぱくと動かしている。声にならない声とでも言うべきだろうか。呼吸をようやく自分の意思の下に取り戻すと、兵は声を張り上げた。


「ナタリア王妃殿下のご入場!」


 その号令に起立したシャイアも、上座の扉から現れたナタリアの姿に絶句した。


 今は秋、肌寒い時期だが、ナタリアの肩から腕、胸元までを繊細な紺のレースが覆っている。


 首元までを覆うレースは、胸元で光沢のある紺の布地に切り替わり、それは体の線をなぞるように足元まで綺麗に流れていた。スカート部分は大きな切れ込みが入っているが、合わせて重ねているから脚を出しているわけでは無い。切れ込みのフリルが揺れ、後ろに流れるスカートの布地が歩く度に心地よい衣擦れの音を立てる。紺の地に、大ぶりの銀の装飾品がよく映えていた。


 王の隣に並ぶと、ナタリアはぽかんと目を丸くしたままのシャイアに視線を送った。


 会場中の視線を独占している彼女にとっては、シャイアが気に入ってくれるかどうかが一番の問題であったのだ。


「まったく……貴女と言う人は。私の心臓をいくつ持っていくおつもりで?」


「やはり、下品でしたでしょうか……? 極東の島国の服を参考に意匠を考えてみたのですが」


「大層似合っていると言っているのです。今宵の貴方は月も霞む程美しい」


 シャイアは態と歌舞いて跪くと、ナタリアの手をとって甲に口付ける。


 会場であっけにとられたまま帰ってこない貴族諸侯に向って、ナタリアと二人グラスを受け取ると、高らかに宣言した。


「我が国の王妃の美しさに!」


 美しさに! と、大きな歓声が会場を包み、ようやく彼らも息を吹き返した。


 椅子に座ったナタリアは、会場中の視線を集めながらローザの姿を探した。見れば、彼女も今日は実に可愛らしい。白い長手袋に覆われた手で王妃を見て感激に打ち震えているのを見つけると、ナタリアはゆっくりと頷いて見せた。微笑む代わりにそうすると、ローザはこくこくと何度も首を振って王妃の美しさを無言で讃えた。


「美しいだけじゃない、よく目立ってくれている。みんな君と君の意匠に夢中だ。老若男女問わずにね」


 いい仕事をしている、とシャイアが視線を会場にやったまま告げると、王妃も視線は前に投げたままで答える。


「西に兵をやったそうですね。……確かに、いらしていない方が多いようですわ」


「あぁ、これじゃあ火元を突き止めるどころか、火元の方から逃げてしまう――というのはリァンの見解なのだけれど、私もそう思う。……さて、事情を知ってそうなのがいますよ。参りましょうか」


「もちろんですわ、陛下」


 会場中が王妃を気にする中、誰かに国立軍が派兵された事を聞いたのだろう。一人、焦った様子で落ち着かない男が居る。


 西からやってきた数少ない領主、ジャモマイル子爵である。


 少し頭髪の怪しくなってきた頭に小太りの体、五十歳前後のジャモマイル子爵は、奥方が王妃の美しさに興奮して『次は私もあのようなドレスが良いですわ』と言っているのを聞いているのか居ないのかという様子で、気付けのシャンパンを干しては次のシャンパンを流し込んでいる。ちなみに、奥方も子爵と同年代なので、ジャモマイル子爵が正気ならば慌てて止めただろう。


「ジャモマイル子爵、子爵婦人。ご機嫌麗しゅう。本日は楽しんでおられますかな?」


 そこに、今会場中の視線を集める国王夫妻が話しかけた。


 自然と会場の注目もジャモマイル子爵夫妻へと注がれる事となった。王が気さくに話しかけ、歓談に興じる中、ナタリアは背後の会話に耳をそばだてた。


「そういえば、ジャモマイル子爵の領地も被害にあわれたのではなくて?」


「あぁ、そういえば……、西の領主で無事だったのはモートン辺境伯、ルルイエ子爵、ソプリテン伯爵だったか……」


「そういえば、西の方々は本日はあまりいらしていないようですわね?」


「ルルイエ子爵は先程会場の隅で見かけたよ。何せ被害にあったのは隣の領地だからね、騒ぎへのお見舞いを代わりに受けていらした、今日も乗り気では無いだろうにお顔出しにいらっしゃるとは律儀なお方だ」


「モートン辺境伯とソプリテン伯爵はいらっしゃらないわね。ほかにも……」


 社交の場での噂話は情報が早い。正確性には欠けるが、今日の目的としては名前が分かるというのは大きな有利要素である。


 ある程度情報を集め終わると、シャイアの腕を握る手にわずかに力を籠めた。ナタリアの方はもう知りたい事は知れたという合図だ。


 シャイアは愛想よくニコニコしていた表情を引っ込めて、一転気遣わし気な顔をする。


「ジャモマイル子爵、この度は散々だったが、どうかこれからも統治に精を出して欲しい。貴方が確りしてくださっていれば、私もその分安心できるというもの」


「はっ、まことその通りで……」


「できれば今回も、被害を出さずに乗り切っていただきたかったが、賊というのは嵐と一緒。いつどこに現れるか分からないから恐ろしいものだったでしょう」


「は、い……いや、まったくその通りで……」


 シャイアはここで叩き出せる埃は出してしまう積りだった。


「調べによれば、賊に警備の計画がバレていたというのです。嘆かわしい事ですが、手引きの者が居たと睨んでおります。ジャモマイル子爵も知っての通り、私は西の領主に『各個で計画を立てて警備に当たるよう』通達致しました。普通ならばこのように広い範囲に被害が出る筈もありません。賊に的を絞らせない為の勅令だったのですから……ジャモマイル子爵、先ほどから汗が凄いようだが、どうされましたかな?」


 シャイアは人を呼ぶと、子爵を裏の控えの間へと連れて行かせた。そこにはロダスが控えている。


 後は彼がうまくやってくれるだろう。


 二人はもう少し事情を知っていそうなルルイエ子爵に話を聞こうと踏み出したところだった。


 突然、入場門の辺りが慌ただしくなる。


 見れば、草臥れた服装の兵士が息も絶え絶えに飛び込んできた様子だった。


「も、申し上げます! 西より、ソプリテン伯爵を筆頭とした反乱軍が挙兵いたしました!」


 会場は再び静寂に包まれる。そして、一人が悲鳴を挙げると連鎖的に、大きな騒ぎとなって声は広まっていった。

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