第10話 夜会の準備

「夜会を開こうと思うんだけど」


 シャイアが晩餐のメインである牛の香草焼きに舌鼓を打ちながら、唐突に切り出した。


 フォークを動かしていた手を止めてナタリアが顔を上げる。


「夜会……ですか?」


「うん。ぱぁーーっとね。ぱぁーーっと」


「はぁ……」


 山賊騒ぎが落ち着いたばかりだというのに何を言い出すのかと思いつつ、夜会を開くにしてはあまりに要領を得ない話に思わず生温い相槌で返してしまう。


「どうせなら辺境伯も男爵もみんな呼んで国を挙げて盛大にさ。西の事件が片付いたお祝いとか、建国記念日とか、即位一周年とか、何かお題目を付けて」


 建国記念日も即位一周年も別段おかしな事は無いのだが、それにしては話が唐突な上に大雑把だ。さらに言えば、先日婚儀の際に連日の夜会を繰り返したばかりである。その上でこの題目で国中の貴族諸侯を集めるとなれば、相応に大掛かりな事になるだろう。


 ナタリアは慎重に口を開いた。


「何かお考えがございますのね?」


「うん。……もうね、裏切りの首謀者については大体は尻尾を掴んだんだけど、直に顔を合わせないと裁くに裁けないんだ。裏切りというのは複雑で、一人だけが裏切るという事は無いんだよ。裏切りの意思が強いのは一人だとしてもね。私はほら、頼りない嘗められ王だからさ」


 確かにシャイアの言う通りこの度の叛意は規模が大きい。西、と曖昧に括ってしまえる程だ。そうなると単独犯だと考えるのは難しい。故意にしろ事故にしろ、裏切りを働いた人間は一定数いるだろう。その芽を摘んでしまえるならしまうに越した事は無い。


「ご冗談も程ほどに。……でも、そういう事でしたらお手伝い致します」


 シャイアの卑下芸を一蹴するも、彼の言った内容は的を射ている。大小問わず、貴族諸侯を一同に集める事で炙り出しと同時に逃走も防げる。あたかも、西の騒動はこれで終わった、とシャイアが思っているように見せかける事もできる上に、本人の言う通りそれを信じて疑われない程相手はシャイアを嘗めているだろう。


 ナタリアは内心、こんなに恐ろしい王はいないだろうに、とほくそ笑むが、それが表情に現れる事はない。


「ありがとう。ナタリアが居れば安心だ」


「精々悪目立ち致しますわ」


 ナタリアが目立てば、皆ナタリアを見る。隣にいる王へ顔を向ける。しかし、王に注目しているわけでは無いから、王からは観察し放題である。ナタリアはそういう作戦だと理解して事実を述べたが、シャイアは急に眉間に皺を寄せた。


「あぁ、人形姫だっけ? あれねぇ、よく私の前で言うものだと思ったよ。私が開いた夜会で私の耳に入らない事なんて無いのに、こんな美人の奥さんを捕まえて人形だなんて無礼千万だ。それこそナタリアの人形を作って売りだしたら飛ぶように売れるだろうにね」


 後半はともかく、前半は心から立腹しているようだった。もはや数を数えるのも馬鹿らしい程、あらゆる人がナタリアを人形姫と嘲笑ったのだ。それが例えどんなに顰めた声であろうとも、王宮で起こる事は王の体の内で起こる事も当然である。シャイア、ひいてはナタリアの耳に入らない筈も無い。


「そのご冗談は笑えませんわよ、陛下。――それに、私が人形のようだというのは、事実ですから」


 人形を売り出すなどと、本当に実行されては堪らないので強めに諫める。


 ナタリアは委細気にしていないのだが、シャイアは大いに気にしているらしい。


「はい、ごめんなさい。……ナタリアはなまじ身分があるから悪目立ちしてしまうんだよね。話せば楽しい人だと分かるのに」


 壁際でローザも、まったくです、と強く思ったのだが、同意を示す動きをするようなへまはしない。ただ、その視線だけは強く感じてナタリアは一度ローザを見て、シャイアへ視線を移した。


 そうだ、ローザにも何か礼をしなければなるまい。彼女のおかげで西の盗賊は捕まえられたのだから。


「シャイア様が存じてくださっていれば十分でございます」


 ナタリアは優しい声でそう告げると、サロンへの道すがらにシャイアとそっと内緒話をした。



「という事で、夜会が開かれます。だからローザもドレスを作りましょうね」


「なんでそうなるのですか王妃さま?!」


 私室で湯浴みを済ませて鏡台の前で髪の手入れをしている間に、ナタリアはローザへと優しく言い含めた。当然、ローザの顔はぎょっとしたものになり、反射的に大きな声を出してしまったのを恥じて口元を抑える。それがおかしかったのか、ナタリアは軽く首を傾げる。


「リァンが軍師として参加するからです。恋人が居るのに伴わないのは変でしょう?」


「それはそうですが、私は王妃様のお世話が御座いますし……」


 確かに、今のナタリア付きはローザだけである。その他は持ち回りで身の回りの世話を焼いてくれるが、夜会の支度となればローザの手を借りないわけにはいかないだろう。


 ナタリアはそれも首を横に振って答えた。


「心配しなくていいわ。私が連れてきた侍女達が明日には戻って参ります。ローザが私付きなのは変わらないけれど、仲良くやってくれると嬉しいわ」


 ナタリアについてソロニア帝国からやって来たのは二人の侍女と御者だけである。その二人も、暫くの間は他国の王宮のやり方を学ぶため、様々な部署をたらい回しにされてしきたりを学んでいた。それが明日で終わるというと、ローザは鏡の向こうのナタリアに少し悔しそうな目を向けた。


「では、夜会の支度は……」


「彼女たちがしてくださいます。だから、ね? 明日はせっかく服飾職人がいらっしゃるのだから、ローザのドレスも作るわよ」


「決定事項なんですね……」


 そうよ、と言う代わりにナタリアの声が弾む。


「ローザは夏の花のようだもの、明るい色がいいわね」


 愛嬌いっぱいにくるくると変わる表情、控えめながら小さな太陽のように笑う彼女を着飾るのは、ナタリアにとっても楽しみな事だった。何色がいいかしら、と指折り思いつく色を数える。


「王妃様はどんな色も似あわれますが……何色かお決めになられているんですの?」


 放って置けば自分の話題一色になってしまいそうだったのでローザは慌てて話を変えた。


「そうね、青がいいかしらと思っているのだけれど……、あと、少し意匠を変わったものにしようかしらと」


「意匠を? あら、いやだ、どうしましょう。それは私、当日に見て驚きたいですわ」


 どんぐりのような瞳を真ん丸にして、ローザは鏡越しのナタリアの姿をまじまじと見つめた。


 主流はコルセットを締めて胸のボリュームを出し腹を絞る。そしてたっぷりとボリュームを持たせたスカート姿だが、一体この変わった王妃が言う変わった意匠とはどんなだろうかと楽しみになる。


「ふふ、なら、やっぱり夜会には出なきゃね? 明日は一緒にドレスを作るわよ」


「まんまと乗せられた気もしますが……、わかりました。では明日、また朝に参ります」


 髪の手入れを終えてナタリアが寝台に入ると、ローザはいつも通り寝台横の硝子ランプに明かりを灯して退室の礼をする。


「えぇ、おやすみなさいローザ」


 明日は少し忙しくなりそうだと思いながら、ナタリアは枕に頭を預けた。



「おはようございます。本日より王妃様付を拝命しました、カレンです」


「同じくニシナです。……私たちがこの王宮のしきたりに慣れるまで、御一人でのお勤め感謝いたします」


「王妃様は不安がる事はございませんでしたか?」


 黒い短髪にホワイトプリムを乗せたカレンはどこか凛々しさを感じさせる美人で、姿形もすらりと背が高く美しい。出る所が出ている為に男性と間違える事は無いが、王妃を気遣う声は優しい騎士のようにも聞こえる。


 隣にいるニシナは正反対で、どこにでもいる町娘のようだが動きは熟練した侍女のそれである。品があり、茶色の長い髪を結い上げてドレスでも着せれば、どこかの貴族の娘と言ってもおかしくないだろう。少し垂れ気味の瞳と口元の黒子が艶やかだ。


 二人とも初対面のローザに優しい視線を送る。彼女たちは表情が豊かなので、王妃と長く接していたローザは一瞬戸惑ったが、すぐに気持ちを切り替えして笑い返した。


(ソロニア帝国の人はみんな無表情だなんて考え、馬鹿かしら私は……!)


「いえ、そんな。王妃様は大変良くしてくださいました。お二人には王妃様の偉業の数々をたくさんお話したいですわ」


 薬草の話から社交の場での振る舞い、婚儀のお返しの品の選定眼のすばらしさ。語る事は山のようにある。


「王妃様は優秀ですから」


「きっと、色々な内助の功を成された事でしょうね」


「はい! 本当に素晴らしいお方ですわ。今日は変わった意匠でドレスを作るとおっしゃっていて……とても楽しみなのですけれど、お話合いの最中は私の採寸をしていただく事になりましたの」


 カレンとニシナは顔を合わせて破顔すると、力強く頷いた。後でお聞かせください、とローザに強請ると、今日の予定を確認に入る。


「伺っております。今日は私たち二人が王妃様とローザ様のお手伝いを致しますので」


「様なんて辞めてくださいませ。どうか、ローザと」


「分かりました。では、ローザ。今日はどうぞ楽しんでくださいませね」


 王宮の侍女としての地位はローザの方が上だが、目の前の二人の身のこなしや言葉を交わした印象から、ローザは二人の優秀さを何となく悟る。この二人に畏まられる程、自分は優秀ではないという事を認めて受け止め、それを何とも思わない。


 これがローザの長所である。くよくよしないのだ。


 今日は忙しくなるわ、と腕まくりせんばかりの気合を入れたローザを筆頭に、三人は王妃の私室へと向かった。


「ありがとう。そろそろ王妃様を起こす時間だわ。さぁ、行きましょう」


 ナタリアの支度をして数刻もすると、国一番の服飾職人と名高い老婆がサロンの一室へやってきた。


 今日のサロンは私的な物の中でも可愛らしい部類で、白地に白で薔薇の箔押しをした壁紙にレースのカーテン、家具も寄木の模細工柄で統一され、ソファも金の猫足に天鵞絨張りの女性らしい部屋である。


 老婆が連れてきた助手により、ナタリアとローザはそれぞれ控えの間で順番に採寸をした。ナタリアのウエディングドレスもこの老婆の作品である。


 ローザが採寸に入ると、ナタリアは老婆へ意匠について相談した。


「あら、あら。まぁ。長生きはするものですわ。きっと美しい姿になるでしょう、お任せくださいませ」


 主流のデザインから大胆に外れた意匠を伝えると、老婆はころころと笑って快諾した。


 愛嬌の無い王妃だが、老婆からしてみればそれこそがこの王妃の美しさを引き立てている。氷の美貌とでもいうべき、まさに彫刻のごとき美しさだ。ここに表情が加わってしまうと、少し親しみが湧いてしまい、却って付け入られる隙を見せる事になるだろう。話せばそんな隙が無い事は分かるのだが、そこはそれ、殿上人の悲しさである。


 ナタリアの衣装の打ち合わせが終わると、今度はローザの衣装の打ち合わせである。


 話を詰めていくうちに、若草色の薄衣を重ね、梔子色で小花の刺繍をする衣装に決まった。ローザの髪色にも映えていいだろうとは、老婆の太鼓判だ。


 採寸と打ち合わせが終わると、次は宝飾品である。此方も腕は一流と名高い宝飾職人が呼ばれ、ナタリアの宝飾品には衣装に合わせた瑠璃を大きく使った銀色に。ローザの衣装には色の綺麗な柘榴石を連ねた首飾りと耳飾りが作られる事になった。


「お、王妃様、さすがにそこまでは……!」


「駄目よ、受け取ってちょうだいな」


 ナタリアは当然のようにローザの分も拵えさせる気で話を進めていたが、ローザは慌ててそれを止める。


 しかしこうと決めたら王妃はてこでも動かない。


 結局は、ナタリアが押し切りドレスと合わせてローザに贈る事となった。


 実に一ヶ月、慣れない土地にきたナタリアを内面から支えていたのはローザだから、とナタリアは当然のようにそうした。すでにシャイアの許可も取ってあるという。ローザが助けを求める目をカレンとニシナに送るも、二人も微笑んで首を縦に振るだけであった。


 こうして夜会の準備が終わった所で、シャイアからの使いがナタリアのもとへやって来た。執務室へ来て欲しいとの呼び出しだが、ヴァベラニアへやってきてから初めての事である。



 ローザ達は置いて、一人で来て欲しいという事で、ナタリアは呼びに来た執事に従って執務室へと向かった。


「国王陛下。王妃様をお連れしました」


「入って」


 執務室の中には国王陛下をはじめ、国立軍団長、近衛兵団長、宰相、リユニア公爵、そこにリァン軍師という堂々たる顔ぶれである。


「今度の夜会の前に作戦会議をしておこうと思って。まずは顔合わせからだね」


「皆さま、婚儀以来のお顔合わせとなります。そしてリァン軍師、昇進おめでとうございます。ナタリア・ソロム・ロウ・ヴァビロンです」


 王妃は膝を折らずに美しい礼をする。こういった場では上下関係が重んじられる。王妃が膝を折ってしまえば、彼らは膝をついて礼をする事になる。敢えて直立のまま軽く会釈するに留めた思惑を察して、王は笑顔になる。


 中心の執務机で笑うシャイアが目配せすると、左手から順に自己紹介を始めた。


「王妃様、お久しぶりです。宰相のロダスで御座います」


 いつも王の右手後ろに控えている、燻した銀の髪と片眼鏡が特徴的な偉丈夫が恭しく腰を折った。


「国立軍団長を拝命しております、ガジェと申します」


 右手拳を左掌に当てる略式の礼をした五十半ばの男性は、筋肉の付いた若々しい体をしていた。髪は後ろに撫で付け、整えられた口髭が威厳を醸し出している。シャイアと並べて立たせれば、どちらが王か分からないだろう。


「同じく、近衛兵団長のハクユウです」


 こちらも鍛えた体をしているが、少し背が低く細い。引き絞った弓の弦を思わせるような存在感で、長く伸ばした髪を後ろ頭に丸めている。


「ぐ、軍師を拝命いたしました、リァン・ジュ―ガーです。お会いできて光栄です」


 召し上げられる事となり、ローザに髪を短く切りそろえられたリァンはこざっぱりとした印象になっている。略式の礼をするも、猫背は直らないままであまり様になっていない。これから場を踏むごとに板につくだろう。


「王妃様、本日もご機嫌麗しゅう。そのご尊顔を再び拝見できるのをどれ程心待ちにしていたか。この国王陛下というのは腹に一物も二物も抱えているくせに、妙な所で子供っぽい所がございましてな。お気に入りの宝物程、人目より遠ざけるのです。ですので私は貴婦人たちの妖精の囁きに貴女の話を聞いてはどのように素晴らしい御方なのかと毎夜夢想するばかり……ですが、こうしてお会い出来た事を嬉しく思います。私はハース・ウェン・リユニア公爵。お気軽にハースとお呼びください」


 よくまあこの長い台詞を舌を噛まずに言ってのけるものだとナタリアは内心おおいに感心しながら、内容は聞き流した。


 彼が以前シャイアが言っていた、兄弟のように育ったという従兄弟だろう。シャイアよりも三つほど年上か、体は鍛え抜かれて背も高く、胸板も厚い。模範的な騎士といった風体だ。


 今にも王妃の手を取って口付けせんばかりの勢いだが手は出さない。これは王妃を出汁にシャイアに遊んで欲しいのだから、自然とそうなるだろう。


「ロダス様、ガジェ様、ハクユウ様、リァン様、そしてリユニア公爵様。陛下をお支え下さり、僭越ながら妻として、まずは御礼申し上げます。何卒私の事も、陛下を支える同士としてよろしくしてくださいませ」


「おい国王陛下。王妃様が何事も無かったかのように挨拶を返してくるんだが、ここは嘆いていい所か?」


 自分の渾身の挨拶を綺麗に流された事で、リユニアはシャイアにじとりとした視線を送った。何か吹き込んだのか? という意味だ。


「話の邪魔だから家に帰ってから存分に一人でやってくれ」


「承った。何なら嘆きながら王妃様との面会の機会を増やせという嘆願書を五十枚程したためてやろう」


「いい焚き付けになるだろうな。冬に使わせてもらうよ」


 シャイアも彼の悪ふざけには慣れているのだろう(本人によればふざけてなど居ないと声を大にして言うだろうが)、程ほどにあしらってしまう。すると、今度は矛先がナタリアに向く。


「聞きましたか王妃様! 国王陛下の冷血なお言葉! 人の温かい血が通っていれば兄弟のように育った私の嘆願書を焚き付けに使うなどとは夢にも思わないはず。こういう男なんですよ。苛められていませんか?」


「陛下は大変よくしてくださっております。お二人は大層仲がよろしいのだというのは、充分解りました」


 このままでは茶番で日が暮れてしまう。周りを見れば、ロダスを始め皆この嵐が過ぎるのを黙して耐えるといった所だろうか。日常茶飯事なのだろう。なまじ身分が高いだけに、戯れに口をはさむのも憚られるといった所だ。


「だからこの茶番はもう終わりにしてくれって意味だからな、ハース。……さて、皆もそろそろ堪忍袋の緒が切れる頃だろう。その理不尽に対する怒りは元凶である西に向けてくれ。これをもって軍議を始める」


「はっ!」

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