第8話 司書の作戦

「それではですね、まずはオオタケノグサという麻薬を採取し家畜に与えるよう、西の領にご命令ください」


 時は遡り、リァンが飛び込んだ軍議の朝に戻る。


 麻薬、という言葉に一部の者が眉を顰める。シャイアの表情は変わらなかったが、それで、と先を促した。


「というのも、オオタケノグサは羊には無害です。人間と牛や羊では消化できる物が違います。人間にとっては過剰摂取すれば死の危険のある麻薬ですが、羊には少し気持ちよくなる草、程度のものでございます」


「ふむ……して、何故?」


「はい。羊は『少し気持ちよくなる』程度ですが、その肉を人が口にすれば、ある程度の過剰摂取になります。羊は日に7ケロンの餌を食べますが、その五分の一であっても相当な量であります。奪わせたと思わせておいて、手中より相手の自由を奪います」


 消化された麻薬成分は、血中を通り体の隅々まで行き渡るだろう。そうなった羊を食べれば、間接的に賊も麻薬を摂取したのと同じ状況になる。麻薬に関しては、農耕が盛んな土地柄、流行する事も少なくない。過剰摂取による研究も進んでいる。


「なるほど……、しかし、それでは今後羊肉が食えなくなるのでは? 住民の収入や食糧が減っては元も子も無いぞ」


 過剰摂取した人間は廃人となってしまう。羊は平気だとしても、その薬が抜けないうちに肉を食べれば民草も廃人と化してしまう。また、取り調べを行う前に賊を殺してしまっては内通者の行方も掴めない。


「ご安心ください。オオタケノグサは手に入れやすい性質上、抜けるのも早い薬です。薬物依存もありません。王宮の温室でも、精神安定剤として少量ですが育成されている物です」


「ふむ、薬にもなる草か……それほど手に入りやすいのか?」


 問題は量だ。どこにいつ現れるのかも分からない盗賊のために、何日、どれほどの量を羊に与え続ければよいのか。また、それは可能な数字なのか。


「我が国の土地ならば、田畑の脇にでも生えているでしょう。似た草の一部にヨギノクサがありますが、あれは料理の臭み止めに用いられる一般的な香草です。見分けがし難いのですが、農地にいる民ならば問題なく採取できるかと」


「しかし、現れる場所は広域に渡っている。家畜を態と奪わせたとして、住民に被害が及んではこの作戦は決行とは行かぬ」


 シャイアは考えつく限りの問題点を挙げていく。これは、この作戦に期待しているからこそ、問題を『衆人環視の中で潰す』事が必要だからだ。シャイアが問題に思わなくとも、穴があれば誰かがつつく。それは、リァンが飛び込んで来た時の反応を考えれば当然の帰結である。


 つつく穴を無くすのがシャイアの目的だ。


「そこで、国立軍をお出しいただきたい」


 リァンは礼の姿のまま、堂々と言い放った。


「き、貴様! 言わせておけば何という不敬……!」


「よい。リァン、続けよ」


 先に笑い者にした一人が気色ばむも、それをシャイアはすぐに諫めた。シャイアの手の軍である必要を説かせれば良い。それで済むなら安いものである。


「はっ! というのも、これだけの広域に渡った被害となると、ある程度の地位の者が手引きしていると考えられます。また、山賊側の組織力も不明です。――そこで国立軍です。国立軍は膨大な『分隊』からなる大軍です。そして、西の諸侯には『警備も兼ねて斥候の演習を行う』と御通達ください。筋は通ります」


 西の領には西の領の諸侯がおり、それぞれ軍を持っている。当然、王の手が入れば反感を持つ者もいる。……という心理を利用して、今回の内通者が挙兵を企てる可能性もある。が、リァンはそれを『警備と演習』という形で圧し留めるという。配備されるのも分隊単位ならば、諸侯の反感は少なくて済むだろう。また、実際に問題が起きているのだから筋も通る。


「それならば西の諸侯の機嫌を損なう事無く軍を配備できるだろうな。……分隊一つでは山賊を壊滅させるに至らぬという事か?」


 先の戦争から一年。雑兵を減らして軍の練度を上げる事に注力してきたシャイアとしては、賊の一団ごときを分隊で抑えられないのか、というのも疑問であった。


 リァンは首を横に振る。


「いえ。ですが、山賊が野に出てきているだけとは限りません。ですので、斥候と牽制、これが各分隊の役目となります」


 確かに、山賊が山に居を構えているなら全てが全て野に出ているわけではないのかもしれない。視野狭窄になっていたか、とシャイアは素直に反省し、目の前の事より一歩先を進んだ考えを持つリァンに頷いた。


「わかった。そうしよう。そして、薬の作用で伸びていたとしても、山賊はどう捕まえる?」


「はい。山洗いを行います。……裾野より一斉に山に踏み入り、しらみつぶしに探します。これもまた、人数の多い国立軍と被害集落の者に任ずるべきかと」


 この時期、農民から仕事を取り上げるというのは、従ったとしても嫌がられるものだ。しかし、被害が出た村ならば違う。彼らは家族を手に掛けられた者たちだ。喜んで賊の壊滅に手を貸してくれるだろう。


 人の心理をここまで読むとは、司書もなかなか侮れない、とシャイアは内心ほくそ笑んだ。それとも、この司書が特別なのだろうか? それは追々見極めれば良い。


「成程。……さて、皆。これ以上の作戦を思いつく者は手を挙げよ」


 シン……、とした朝議の場では、誰からも手は挙がらない。シャイアとしても、これ以上の作戦は無いと踏んでいた以上、一つ頷く。


「では、これよりリァンの策を詰める事とする。国立軍の将ガジェ、及びにロダス、リァン、軍師ホムズ、バロムを残して職務に戻るように」


「はっ!」


 こうして作戦として形を成したリァンの策は、八日後に山賊の壊滅と捕縛という形で終止符を打った。



 捕まった山賊は、存外と素直に自分たちの働いた罪を認めた。だが、内通者の話となると途端に貝のように口を閉ざす。


 奪われた穀物や家畜はそれぞれの村や集落に返された。先に襲われた者の家畜や穀物が消費されてしまっているのは仕方が無い。仕様としては、合計した物を村や集落の規模に合わせて分散して返すという事になった。薬が抜けるまで肉は食わないようにとの通達もした。


 賊に対して脅し賺しも、拷問も吝かではないとちらつかせてみても、一向に話す気は無いようだ。しかし、年若い賊の一人が恐怖に震えながら『民』と言った。


「民に殺される……民に殺されるくらいなら、ここで死んだ方がマシだ……」


 この一言でもある程度の推測は立てられる。報告を受け取ったシャイアは、珍しく難しい顔で考え込んだ。


 民、というからにはある程度の規模の『集団』がいるという事だ。民族、と言い換えてもいいかもしれない。死罪になる方がマシ、という事は野蛮であるのかもしれない。喋ってしまえば、首都の中にある厳重に警備された牢獄からでも『攫われる』可能性があるという事。そして、それをこの賊達は心底恐れている。


 統治され、しかも腕が立つ集団が、あのウルド山脈には住み着いていると読む事ができる。


 山賊は、暴行を働いた者は絞首刑。見張りや強盗を働いた者は無期懲役となった。


 内通者がある程度の地位を持つ者、というリァンの見解が当たっていれば、過剰な罰は漬け込ませる隙になる。


 西の密偵をもう少し増やして様子を見る事と相成り、この話は決着した。



「そうですか、捕まったのですね。本当にようございました」


 晩餐の席で今回の盗賊騒ぎの結末をナタリアに話すと、ナタリアは満足そうに頷いた。


 シャイアは以前に話した内容を思い出して(虚勢して雑居牢に投獄)苦笑する。


「過激な処罰は行えないけれども、これで充分という事にしておいてね」


「あら、もちろんですわ。シャイア様の成さる事に些かも間違いはございません」


 ナタリアは意外そうな声を発した。相変わらず表情は一切変わらないが、声の抑揚はよく分かる。それは、こうして晩餐をともにするシャイアも、周囲に控える使用人達にも分かって来た事だ。


「いやぁ、そう言われると照れるなぁ。……ナタリアは、西に関してどう思う?」


 思い出しついでに、鋭い意見を言うナタリアにシャイアは話を持ち掛けてみた。軍議ではあまり色好い意見が出なかったため、打開策を探っているのだ。


「まず間違いなく、爵位を持ったお方の内通でしょう。そうすると目的が分かりません」


 西の領には侯爵をはじめとして、辺境伯、伯爵、子爵、男爵と大勢の爵位持ちがいる。それだけ西の領は広く、今回の被害範囲は広い。こうなってくると、下手をしたら西の侯爵も怪しい。しかし、横のつながりの強い者なら、どの貴族でもある程度の内通は可能である。最初に西の領に通達して、それぞれで対応に当たらせたのは悪手だったかもしれない、とシャイアは壁を睨んだ。


「民、と言っていたからね。その集団を取り込もうとしての事かもしれない」


「自分の領民はその餌ですか……、嘆かわしい事ですわ」


「そうだよねぇ。――でも、これは放って置くと反乱の芽になりかねない」


 いや、すでに芽生えているのかもしれない。


 シサリス戦争から一年。これ以上の被害は塞ぐために、国土全域で軍備の強化を行った事が仇となったか。


「……ヴァベラニアは豊かな国です。戦から一年、国力は衰えておりません」


 むしろ、練度の上がった兵や、不平等ながらも安全な交易ができるソロニア帝国からの技術で、国力は上がっている。


「兵の増強も済んでいる。だからこそ、内側から裏切られると痛手を負う」


「今回は自身に巣食う虫が一番の敵、という事ですわね」


 そうなんだ、とシャイアが肯定する頃には晩餐は終わった。場所をサロンに移して話の続きをする事となり、二人は連れ立って私用のサロンへと向かい、紅茶と茶菓子をつまみに改めて話を始めた。


「ソロニア帝国では、山に住むだろう民について何か聞いたことは?」


「申し訳ございません。これと言って……」


 オペラ領はソロニア帝国の辺境であるが、どちらかと言えばウルド山脈からは遠い位置に面している。王家傍流というだけあって、危険が伴う場所に昔から王家の者は嫁がせられては居ないのだ。だからこそウルド山脈については、表面上は無知である事が当然である。


 しかし、実の所ナタリアには思い当たる節があった。彼らならば別に問題は無い。一領主の手に負える相手では無いのだ。


「山に斥候は放てないしなぁ。みんな帰ってこないんだ。危険すぎる」


「では、なされている通り、西の領の見張りを増やすしかございませんね」


「そこから少しでも尻尾を掴むしかないね。……あぁ、私苦手なんだよ。座して待つとか。もう私が行ってしまいたい」


 シャイアがクッションを抱えて唸る。駄々をこねる子供のような仕草だが、内容はあまりにも危険が過ぎる。ナタリアは控えめに目を伏せてそれを諫めた。


「……陛下、お控えくださいませ」


「分かってます。ごめんなさい」


 それでも、という具合に棒読みの謝罪が返って来たので、ナタリアは話を逸らす事にした。


「そういえば……件のリァンというのは、ローザの恋人らしいのです」


「おや、ローザの? そうなのかい?」


 シャイアが目を丸くして、壁際に控えているローザに目をやる。ローザは焦って膝を折ると、頭を垂れて返事をした。まさかここで自分に話が回って来るとは思ってもいなかったのだろう。耳まで赤くなっている。


「お、恐れながら……!」


 シャイアは上機嫌にうんうんと頷いている。こうして側仕えする者は、シーヴィスやロダスといった、シャイアが信を置く者が選別している。だからシャイアも名を覚え、目を掛けていた。


「そうかそうか。じゃあ、褒美はうんと奮発しよう。昇進というかね、軍師の一人として迎えようかと私は思っているのだけれど……ローザ、済まないがリァンの気持ちをそれとなく聞いてみてもらえるかな? 司書というのはこうね、本が好きで堪らない、というちょっと変わった人が多いみたいで……」


 自分の恋人の事を変人呼ばわりされても、ローザは何も言えなかった。まさにその通りの人だからである。司書部にいる人は皆、大抵は本が好きな本の虫なのだ。


「畏まりました、伺っておきます」


 恭しく拝命する。シャイアは気遣わし気に続けた。


「君になら本音を話すだろうから。命令して無理矢理迎え入れても仕方無いんだけど、今回の作戦は見事なものだった。できれば逃したくないんだ」


「確かに、知識の豊富な司書ならではの搦め手でございましたわ」


 ナタリアも口添えすると、シャイアは花の咲いたように笑った。造りは飛びぬけて美しいとか、精悍というわけではないシャイアだが、表情が華を添えるのだ。不思議な魅力を持っている。


「ねぇ? 本当、加わってくれると助かるんだよ」


「ローザ、私からもよろしくお願いいたしますわ」


 シャイアとナタリアという国王陛下夫妻に『お願い』されたローザは堪ったものではないだろうが、リァンにとっても素晴らしい話である。ローザは内心の興奮を抑えた声でこれを受けた。


「承りましてございます、暫しお時間を頂戴します」


「焦らなくてもいいからね。よろしく」

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