第6話 図書室

「どうも、西がきな臭くてね」


 晩餐の席でシャイアがそう切り出すと、ナタリアは黙って食器を置き先を促した。


「ナタリアはまだ外に出ない方がいいだろう。出す積りも無いけれど、もう少し落ち着くまでは」


「はい。王宮での予定も詰まっております」


「だろうね、私もだ。……だからこれは、斥候に出している者からの報告と西の領主の嘆願書からの推測なのだけれど……本当に賊が出ているようなんだよ」


 西、賊、と聞いて思い当たるところがあるのか、ナタリアはひとつ頷いた。


「ウルド山脈ですわね」


「あぁ。東南にある国境付近は私の直轄地だが、西は違う。あそこには国境線は無いから領主に任せてある。戦の時分には鳴りを潜めていたのだけれど、また何やら騒ぎが起きているんだ」


 シャイアの話によると、収穫した穀物と家畜を狙ったものらしい。今は麦と米という主流の穀物の収穫期であると同時に、羊の毛刈りの時期でもある。西は特に米と羊が盛んで、冬に備えて備蓄をしているという。


 羊は少しばかり遅れても構わないが、穀物は収穫期を逃しては大変だ。だから、まだ毛を蓄えている家畜と穀物の両方を狙うには、今は絶好の時機とも言える。


 だからこそシャイアは警戒して斥候を出しているのだが、警吏を増やしても兵を配備してみても、どうもその抜け穴を狙われているという事だった。


「結構前に勅令で各々警備を強化するようにとも発しているが、悉く抜け目を狙われている」


「手引きの者がおりますね」


 そこまで聞けば、ナタリアにも理解できる。だから、シャイアが悩んでいるのはそれ以上の問題なのだろう。


「あぁ。しかし、一領民の内部からの手引きと見るには範囲が広すぎる」


 山賊が現れる場所は西の領地の広域に渡っている。北西に出たと思ったら、次は南南西。その次は真西といった具合に、兵の手薄な場所、対応が追い付いていない所を的確に狙っている。


「胸糞の悪い話になってしまうが、村の女性にも被害が出ている。早急に手を打ちたいが……勉強不足だろうかね。対応がまだ追いつかない」


「そんな事おっしゃるものではございませんわ、シャイア様」


 ナタリアが励ましても、シャイアは大きなため息を吐いて行儀悪く頬杖をつく。まるで子供のようだ、と思ったのは、ナタリアだけでは無いだろうが、そこは誰も口を出さない。


 姿勢だけは子供のようだが、誰も居ない壁を見る目はどこか遠くに突き刺さるような鋭さだ。


「しかしねぇ、私がしっかりとしていれば良いのだけど……現状はこれ以上の打つ手が無い。警備の兵も出し過ぎれば王都の守りが薄くなる」


 だから領主勢にそれぞれ手を打つようにと勅令を出したのだが、情報が駄々洩れでは意味が無い。


「今はもう少し様子を見ましょう。……もちろん、私も女です。女性に手を出す賊など早く捕らえて、襲われた女性以上の屈辱を味わって欲しいと思いますが……」


「ぶっは、ちょ、ちょっと待って過激だね? いや、私も同じ意見だけども」


 ナタリアは無表情のまま淡々と言い放ったが、その意見にシャイアは思わず吹き出してしまった。


 そもそも、危ないから外には出ないでね、というつもりで話し始めたが、ナタリアの視点の鋭さ、言葉の的確さは政治家のそれだ。女性ならば顔を顰めて「早くなんとかしてくださいませ」と言うに留めるものだろう。シャイアは今更ながら、軍議さながらの意見交換ができるナタリアが面白くなっていた。


「去勢して雑居牢に入れる位で丁度いいでしょう」


 何がそんなに面白いのか分からないナタリアは平然と続ける。シャイアは机に突っ伏さないのが精いっぱいの様子で肩を震わせていた。


「ふっ……、く、くく、うん、いや全くその通りだ」


(困った、本当、この奥方は面白い……)


 本来ならば賊という言葉ですら貴婦人は忌み嫌うものだ。晩餐と王を残して退室してしまっても不思議ではない。ナタリアは普通のご婦人とは違う、とは思っていたが、いやまたここまでとは、とシャイアは見解を改めた。


「そういえば、シャイア様。私、図書室に行きたいのですが」


 物騒な話を切ったのは、いつもは控えめなナタリアである。図書室に行きたい、というおねだりなんて可愛らしい事を先と同じ口で言うものだから、シャイアも少し理解に戸惑った。だが、それは図書室行きを阻むという意思ではない。


「ん? あぁ、いいよ。いつでも使って。この城の見取り図なんかもあるから、そのうち案内しようとは思っていたんだけど」


 ナタリアに見せられないものは無いよ、とばかりにシャイアは頷いた。


 どんなに愛想が無く普通のご婦人と違っていたとしても、彼女が『妻として』嫁いできた心は本当だ。それが分かっていれば秘密にするものは何もない、とシャイアは思っている。


「いえ、まだそこまでは……少し調べたい事ができましたので」


「うん、じゃあ明日ローザに案内させよう。シーヴィスでもいいけれど」


 シーヴィスは執事長の名前である。王宮の表を取り仕切るのが宰相ならば、裏方を取り仕切るのが彼だ。何も案内をしてもらうのに、彼の手を煩わせる事も無い。


「ローザにお願いしますわ」


「分かった。じゃあ明日からでも、好きに使って構わないよ」


「ありがとうございます」


 ナタリアが案内されたのは、サロンを三つほどくりぬいたような大きな部屋だった。


 一階の端に位置しており、天井に届こうかという書棚が所狭しと並んでいる。それぞれの書棚の端に梯子があり、物によってはそれを扱うらしい。伯爵家の図書室も大きなものだったが、ここまでではない。優に十倍は蔵書があるだろう。文明的に遅れた国、というには些か躊躇われる程に。まさに圧巻である。


「まぁ……、素晴らしい蔵書の数ですわね」


「王妃様がご所望の本をおっしゃっていただければ、私が取ってまいります」


「えぇ、ありがとう。植物図鑑が欲しいのだけれど……」


 ローザは蔵書の場所を把握しているらしい。自分で探すのも手間だし、知られて困る本でもない。素直にお願いした。


「畏まりました。席でお待ちください」


 見れば、明り取りの大きな窓の傍に幾つかの席が設けられている。


 ナタリアがそこに座って数分もしない間に、ローザは彼女の掌程の厚さもあろうかという本を三冊抱えて戻ってきた。


「ありがとう。重かったでしょう?」


「いえ、そんな事はございません。では、私は外で控えておりますので、終わったらお呼びください」


「ありがとう」


 本を読む時に人がいるのも邪魔だろう。シャイアの昨日の言葉を聞いていたローザにすれば、ここにナタリアに見られて困るものは置いていないのだ。だから、ローザは礼をして廊下へと下がった。


 ナタリアは早速本を捲ると、自国で採れたある植物がこの国にもあるかどうかを調べ始めた――。



 ナタリアの調べものが終わったのは、陽が大分傾いた頃だった。本の場所が分からなかったので、一先ず席に置いたままにして出た事をローザに謝ると、後で人を遣って片付けておきますと請け負ってくれた。数人の侍女たちはあの蔵書の場所をある程度把握しているらしい。


「感心するわ」


「いえ、皆が皆知っているわけでは無いんです。私は司書部に恋人がおりますので……」


「あぁ、だから詳しいのね? それでも不勉強よりも余程素敵よ。今度色々な事を教えてくださいませ」


 あれだけの蔵書だ。自分の知らない知識がまだあれだけあるという事が、ナタリアに素直に喜ばしい。


「は、はい。私でよろしければ……、王妃様も本がお好きなのですか?」


「そうね、よく読んだわ」


 地理の本から紀行、毒物や薬草の類の見分け方や使い方。武器の扱いや兵法、経済、交易。あらゆる知識を伯爵邸で詰め込まれたと言ってもいい。しかし、本が嫌いなわけでは無い。社交の場に出るより、文字の中に潜っている方がずっと安心して居られる。


「でしたら、また何か必要でしたら寝室にお持ちいたしますわ。とは言え、持ち出しできる範囲でですが……」


「えぇ、今度お願いしようかしら。さぁ晩餐に向かいましょう?」


 王妃に促されるまま晩餐へ向かう道すがら、ナタリアはローザの恋人についてよく尋ね、楽しい時間を過ごした。


 ナタリアは、ある計画を企てていた。それに都合よくローザがいた。彼女が必要なのだから、懐柔しておくべきだろう。


 幸い、目的の物はこの国にもある。ナタリアは満足感を覚えながら、さてどう言おうかとローザと話ながら考えていた。

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